種は芽吹かない 36
翠の魔女から、アルティリアとミミ・フィットンの諍いの結果を聞いた茜の魔女は、薄墨の魔女の元を訪れた。俄かに信じられないが、灰色の髪をした女が渡したそれを手に取るだけで理解した。
その小さな粒には膨大な力が圧縮されている。
「これが無色の魔女が奪った力の結晶ですか」
小瓶に詰められた黒い種は角度を変えれば輝きを見せた。どこか禍々しく感じるのは、かつての持ち主が魅了や呪いに長けた者だったからか。
「奪ったのではないわ。細かく砕いて、創り変えたのよ」
茜の魔女の問いかけに薄墨の魔女が答えた。
「こんな事が可能なんて」
「ふふ、私もこんな事は初めてよ。長く生きてみるものね」
目を細める薄墨の魔女は、まるで小さな子供がお使いをやり遂げたかのような口ぶりだ。しかし力を根こそぎ取り除き、それを別の物質へと変貌させるなど、神の成せる業。そう呼んでも大袈裟ではない。
奇跡――
意図せず、人ならざる者の所業をやってのけてしまう。それが聖女と祭り上げられてしまう所以の一つだ。
無色の魔女を人の世界に置いたままで良いのだろうか。あの少女は人間として生きる事が可能なのか。茜の魔女は不安に駆られる。かつて、己も人の世で迫害を受けた。
「薄墨様、あの娘をこのままルヴァランに任せておいてよろしいのでしょうか」
否が応でも波乱は巻き起こるだろう。ただでさえ皇女という立場だ。平穏と言える人生を歩む方が難しい。
「そうね……」
二人が座る部屋から臨む庭の木々が風で揺らされ、赤く色付いた木の葉が舞い降りる。茜の魔女も人間と決別して以降、長い年月を過ごしてきた。しかし薄墨の魔女はさらに長く、悠久の時を生き続けている。
はじまりの魔女。
薄墨の魔女がいつ現れ、どこから来たのか。
知る者はいない。
「本人が、望むのならばね」
同胞達は皆、薄墨の魔女の決定に従う。
それは魔女として生きると決めた女達の決め事。
「薄墨様が仰るのならば」
灰色の女が是とするならば、茜の魔女は意を唱えることはしない。だが、時折、娘の様子を見るくらいは良いだろう。
初めて出会った時は今よりも幼かった。自分から見たら赤子も同然、成長したと言ってもまだまだ、ひよっこだ。人を辞めたとて、子供を見捨てるほど冷徹になる必要もないはずだ。
茜の魔女の髪が燃え始め、炎が全身を覆いつくし、その姿は薄墨の魔女の前から消えた。
女は手に持っている小瓶をかざすと、種がころりと揺れる。
「さて、どうしようかしら、これ。池の鯉にでもあげようかしら」
茜の魔女が聞けば冗談だろうと思われる台詞だと考え、薄墨の魔女は一人声を出して笑う。
「お庭の肥料にでもしようかしら。ふふ」
自然に返すのが一番だろう。
魔女も世界の一部なのだから。
ブリエロアはメールブールより出航し、順調に航海を進め、ルヴァラン皇国内の島に到着。そこはアルティリアとフェルディナンドの従兄弟ヴァルドの生家グレイヴ侯爵家の領地だ。
皇族一行は3日ほど滞在し、旅の疲れを癒し、皇都へと戻る予定であった。本日、アルティリアはグレイヴ家専用区の砂浜で、護衛騎士や侍女達と散策を楽しんでいる。真っ白な砂浜に素足で立ち、水際を歩いていると透き通った波がアルティリアの足を通り抜けていく。
皇女殿下が素足で歩くなど如何なものかと、筆頭侍女のジャニスは良い顔をしなかったが、ヴァルドの「カトレアナ皇女は素潜りをしていた」という言葉を聞いて、波打ち際を散歩する程度ならと許可を出した。
「そうそう。ヴィラでカトレアナお姉様に泳ぎ方を習ったわ。上手ねって、褒めてもらったのよ」
皇帝アレクサンドロスの所有しているヴィラ。そこは温浴施設が併設されており、皇帝の子供達は幼少より水泳に親しんでいたのだが、徹底管理された施設と海は全く違うとジャニスは言いたい。
このアルティリアの思い出話にジャニスは震え上がったが、もちろん顔に出すことなく、楚々と微笑み、決して深い所に行かないよう伝えるに留めた。さらにアルティリアが行く所には必ず自分も付いて行くと宣言した。
「殿下と共に海の底までご一緒致します」
「ふふ。やあね、そんな深い所に行かないわ」
アルティリアはジャニスが珍しく冗談を言っていると笑っていたが、同行していたレネは上司の言葉が本気だと知っている。姫君が溺れるような事態になったら責任を取って海の藻屑になるつもりだ。
一方、アルティリアが歩く砂浜を見下ろすグレイヴ公爵家の邸から強い視線を送り続ける男がいた。
「何故、俺はこんな所にいなければならないんだ」
「執務があるからですよ」
メールブール出発後、片時も妹を離さなかった皇子は少々仕事を溜め込んでいた。フェルディナンドは無計画な男ではないが、アルティリアが絡むと様々な物事を見失う。
グレイブ領に到着して、ライルは、すぐさま、ヴァルドに密告した。メールブールに置いてけぼりにされそうになった事を根に持っていた。執念深いところは非常に似ている2人。
「妹に現を抜かして、職務放棄するとはなんたる事だ」
フェルディナンドは二十歳にもなって普通に叱られた。
「皇宮に帰ったらやるつもりです。それに放棄と言われる程、溜めてません」
「……子供みたいな言い訳をするな」
威風堂々と胸を張る従兄弟に、ヴァルドはどうしたものかと呆れてしまうが、そんな状況を変えたのは、やはりアルティリアだった。
「お兄様、お仕事が滞ってますの?わたくしのせいですね、ごめんなさい」
相変わらずフェルディナンドの側から離してもらえない妹姫は、もちろん兄達のやり取りを見ている。ショボリと落ち込むアルティリアを前にして、フェルディナンドは我に返った。
「違うぞ、フェルディナンドが我儘を……」
「何を言っているんだい!リアのせいではないよ!」
ヴァルドの言葉を遮ると、ベラベラと言い訳を始める。
「ライルとヴァルド兄上は大袈裟なんだ。それに兄様はこの程度の業務すぐに終わらせてしまうから問題ないのさ。だからね、リアが気に悩む必要なんて、これっぽっちもないんだよ」
妹と過ごせる事が嬉し過ぎて、少々羽目を外してしまった事を反省する。何より、万が一でも愛する妹に「お兄様ってば、お仕事出来ない方なのね。がっかり。カッコ悪いわ、嫌いになっちゃう」なんて思われてしまった日には息の根が止まってしまう。フェルディナンドはアルティリアにとって世界で最も素敵なお兄様でなければならないのだ。
ちなみに、アルティリアにとってジークフリードは第二の父親みたいなものだと、フェルディナンドは勝手に判断しているので敵手ではない。
そう、フェルディナンドが危険視しているのはジークフリードではないのだ。
「レン」
アルティリアは砂浜を歩きながら、ヤドカリの姿を探したり、漂着した貝や珊瑚を集めたりとグレイブの海を満喫していた。
「見て、可愛い貝をたくさん見付けたわ」
姫君の手には小さな貝や白い珊瑚があり、年相応の少女のように顔を綻ばせている。貴女の方が可愛らしいですよとレオンハートは思う。
「こんな物もありましたよ」
アルティリアの手に置かれた物は、群青を淡くした色の半透明の石に見えた。まるで海を閉じ込めたような色をしている。
「これは鉱物の一種かしら?」
「硝子の欠片ですよ。長い時間をかけて、波に揉まれて角の取れて滑らかな形になるんです」
「素敵、自然の力でこんなに綺麗になるのね」
「どうぞ、お持ちください」
「まあ、いいの?」
嬉しそうに微笑む姫君の姿を見て、レオンハートは安堵する。アルティリアはミミ・フィットンの呪いから目覚めて以降、常に神経を張っており、テティス王女やドーリス王妃の事も胸を痛めていたのだろう、ブリエロアに乗船中もどこか気落ちしているように見えた。
「あの岩場の方にも行ってみますか?魚や蟹を見付ける事が出来るかもしれませんよ」
また、アルティリアはメールブールの動植物を見る事が出来ず、帰国となり残念に思っているであろう事は分かっていた。
「ええ、行ってみたいわ」
姫君は往路の船内で、時折、海洋生物の書籍にも目を通していたのだ。出会った頃から興味のあるものは変わらないのだなと微笑ましく思う。
「岩場なんて危険ですわ」
筆頭侍女殿がハラハラとした顔で言う。
「俺が殿下を抱えてお連れしますよ」
「では、リーフは、私の所へおいで」
レオンハートの腕にしがみついていたリーフはピョンとロゼッタの背中に飛び乗った。空気の読める猿だ。
「ありがとう、レン」
抱き抱えるとアルティリアは小さく囁く。
「お安い御用です。俺はアルティリア様のためなら何でもしますから」
「頼もしいわね、わたくしの騎士様は」
姫君と騎士が笑い合っている頃――
「アルティリアに危機が迫っている気がする!」
「余計な事言ってないでさっさと仕事しろ」
思っていたよりも仕事を溜め込んでいたフェルディナンドは、ヴァルドに監視されながら執務に励んでいた。
【種は芽吹かない】これにて終了。
皆様、お付き合い、ありがとうございました!
【ルヴァラン皇国物語の後書きや人物紹介みたいなもの】は11月15日公開予定。
次回はシスコンがシスコンになった時のお話しだよ。
【ラストの続き執務室の中】
フェルディナンド「嫌な予感がするんだ!」
ヴァルド「グレイブ領の警備は万全だ」
ライル「そうです、そうです」
フェルディナンド「ライル!お前は誰の味方なんだ」
ライル「僕は皇国に忠誠を誓っております故、親愛なる第二皇子殿下には引き続き職務に邁進して頂きたく存じます」
フェルディナンド「リアが呼んでるんだ!」
ヴァルド「気のせいだ」
フェルディナンド「リィーアアアア!」
【ちょいと説明】
レンがアルティリアにあげたのはシーグラスです。
姫君はたいそう気に入り、皇都に戻ると職人に依頼をしてブレスレットに加工したそうですよ。
フェルディナンド「リア、青い石が好きならサファイアなんかどうかな?それともアクアマリンのブレスレットを贈ろうか?」
アルティリア「これが気に入ってるんです。綺麗でしょう?」
フェルディナンド「そうだね……」




