種は芽吹かない 35
ふとライルはフェルディナンドの侍従フランクが美しく包装された包みを持っている事に気が付いた。まるで女性への贈り物のように見える。
「そこでだ、ライル。1日休暇をやる」
「はい?いや、帰国の前日ですよ」
「お前も久々に兄のヴィンセントとゆっくり話したいだろう。それからエリザベス夫人から贈られたリアへの書物の礼を渡してくれ。夫人はルヴァランの菓子がお好きらしい」
エルドラの次期女公爵に警告してこいということだろう。だが出発に間に合うだろうか。乗り遅れたら豪華宿泊施設のようなブリエロアでの優雅な船旅が消滅する。なんて人使いの荒い皇子だ。こんちくしょうめ。
「絶対、帰ってきますからね!僕が帰ってくるまで出航しないで下さいよ!」
ライルはフランクから包みを受け取るとすぐに部屋を出ていく。
「丁寧に運べよ、崩れやすい菓子だからな」
フェルディナンドは特技の嘘泣きを、ライルがアルティリアに密告したことを根に持っていた。
アルティリアは考える。フェルディナンドが自分の前で帝国の話をしたのは警戒せよとのことだろう。ビルドナはかつての栄光と比べれば斜陽となっているとは言え、侮れない相手だ。そして、皇族の隙をつくならば弱いと思われる存在、つまり末子のアルティリアを狙う可能性を否定できない。
「リア、ミミ・フィットンについて話そう」
気が付くと部屋にいる側仕えや騎士が減っていた。アルティリアの機密を知る者だけだ。このタイミングでライルを遣いに出したのも、極秘事項を話すためなのかもしれない。
ミミ・フィットンは力を失った。
「正確には壊された後、創り替えられたと言えばいいかしら」
アルティリアから漆黒の塊を受け取った翠の魔女は、再びブリエロアに戻ると、フェルディナンド達含めて説明した。
「アルティリアちゃんはミミさんの創った世界を分解したと言ってたでしょう」
翠の魔女の推測によるとアルティリアの閉じ込められた世界は、自分達が創造する異空間とは異なるものであったという。
それは、ミミ・フィットンの力そのもの。
ミミ・フィットンはアルティリアを呪ったのではなく、アルティリアからアルティリアの全てを奪いたいと願い、己に取り込もうとしたのだ。
だがアルティリアは異物だ。容易く吸収出来るはずもない。さらにアルティリアはミミ・フィットンを拒絶し抵抗を続けた。
「ですが、わたくしはミミさんから力を奪おうとしてはおりません」
「それよ。アルティリアちゃんのことだから、ミミさんへの被害を最小限にしたいと考えていたのではないの?」
「ミミさんの身に悪い影響がなければ良いと思っていましたが」
そのアルティリアの意思が反映した結果。ミミ・フィットンの持つ力、魔力を含めた全ては破壊され再構築されたのだ。
「それが、この塊ですか」
アルティリアは翠の魔女の手にある植物の種のような石を見つめていると、フェルディナンドが質問をする。
「魔女殿、現在、ミミ・フィットンはどのような状況下かと思われますか?」
「ただの人間になっただけよ、体も頭も問題はないわ」
翠の魔女の答えはルヴァランにとっては最も都合の良いものだった。だがアルティリアは手放しで喜べない。
「リア、ミミ・フィットンは元々魔術など学んでいない。活用していないものを再起不能にしたとて、気に病む必要はないよ」
「ありがとうございます、お兄様」
兄の慰めにアルティリアは微笑みを返すが、フェルディナンド、騎士達含め全員が魔女の力の巨大さを再認識していた。
「じゃあ、これは返すわね」
ルヴァランの者達思いをよそに、魔女は道端に落ちている小石を扱うかのように、ヒョイと魔女の力の塊を弟子に差し出すが、当のアルティリアは戸惑ってしまう。
「あら、いらない?」
「はい、いりません、欲しくありません」
何度も頷く弟子を見て、翠の魔女はほんの少し笑うと言った。
「なら、私のお師匠様に預けて良いかしら?」
「お任せします!」
むしろ返却しないで下さい。
こうして、美しき海洋国家で生まれた魅了と呪いの力は、芽吹く事なく主人の中から消滅した。
そして、ただの人間となったミミ・フィットンは皇国によって制裁対象となる。それはメールブールとの密約の一つ。王妃ドーリスのような温情は与えられる事はない。
フェルディナンドは身分も王子の後ろ盾もなくした女の末路を語り始める。
「ミミ・フィットンにはトリトス達とは別の劣悪な環境での強制労働を言い渡されるが、移送の際に逃走する。ところが……」
きっとミミ・フィットンは自分の意思で逃げ出したと考えるのだろうが、ルヴァランの影達によって手引きされ、目当ての場所へと誘導されるのだ。
「あろう事か、ミミ・フィットンはルヴァラン行きの船と勘違いして、別の船に密航してしまうんだ」
向かうのは西大陸。ビルドナ帝国が君臨する地。そこはルヴァランとは異なり階級と血統が優遇され、比べるもなく平民は生きにくい国々が多い。
「あの、お兄様、西大陸には……」
「ああ、奴隷制がある」
犯罪者の多くは奴隷に落とされる聞く。魅了の力を失くしたミミ・フィットンが言葉も通じない国にたどり着き、密航者としてどうなるか。
罪人の行末を案じる妹にフェルディナンドは優しく話す。
「安心して、リア。ミミ・フィットンには仲間が出来るかもしれないんだ」
「それはどういう事でしょうか?」
「アイギスに入り込んでいた商会の連中と間者を数名ほど取り逃してやる予定でね。運が良ければ奴らに拾われるかもしれない」
腐ってもメールブールの王太子と側近達を虜にした女だ。帝国が興味を示す可能性がある。それを見越した状態で、すでにミミ・フィットンには追跡魔術が施されていた。
「ですが、ミミさんは」
「ああ、ミミ・フィットンは今やただ頭の悪い人格醜女だ」
お兄様は妹を虐める奴には辛辣だ。
「わたくし、一つ仮説があるんです」
「なんだい?」
「ミミさんの異常なまでの自己愛は、無意識に自分自身に魅了をかけていたという可能性はありませんか?」
なるほどと、フェルディナンドは考える。確かに自分も意識しなくとも防御魔術をかけている状態にある。
「今なら魅了の効果が切れた状態です」
また皇族の魔力の高い子供は意図せずとも、自身に身体強化を施すこともある。
「もし、ミミさんが自分を顧みて、振る舞いを改める様子が見えたら……」
アルティリアは魅了が解けたミミ・フィットンが悔い改める事ができる人間だと信じているようだ。その優しさを皇帝も兄皇子達も不安視していた。
だが、自分が全ての危険を潰してやればいい。
「分かった、ルヴァランの影には必要以上に痛め付けないよう命じておこう」
しかし、帝国から守るとは約束しない。
「どうなるかは本人次第だね」
使えると判断されたのならマシな待遇を受けられるだろうが、あくまでそれは罪人としてのそれだ。また力を失ったミミ・フィットンは不快な生物でしかない。すぐに破棄処分になるだろう。命を奪われるか、奴隷として売られるかは、それこそ運次第といったところか。それまでは追跡魔術がかけられた発信機として帝国での諜報活動に使ってやるつもりでいる。
かつて戦争を引き起こし。
一つの国家を滅亡に追いやった聖女。
その女と同じ力を持つ穢らわしき乙女、ミミ・フィットン。
くたばる前に精々、苦しむがいい。
ルヴァランは使えるもんは犯罪者も活用する国です




