種は芽吹かない 31
メールブール王国建国祭、最終日。その前夜、トリトスは王妃である母と面会していた。
「メールブールの王は貴方です」
建国祭終了後、トリトス達の処罰は言い渡されるであろう。己の人生は二十歳にして終わってしまった。窓から臨む王都の姿は美しい。建国祭のために飾られたランタンの光がメールブールを包んでいる。だが、その先に見える海は仄暗く沈み、トリトスの未来を暗示しているかのようで、首を押さえ付けられている気分に襲われた。
だが食事を運ぶ侍女に扮して母の使いが現れた。
「妃殿下がお会いになりたいとの事で御座います」
淡い期待が広がっていく。母なら自分を救ってくれるのではないか。
深夜、母の側近の侍女と騎士に先導され、回廊を進んでいく。到着したのは母の自室ではなく、王宮にある神殿であった。静かな神殿の中に厚いベールをかぶった母がいた。
「祈りましょう」
そう言った母の横に並び、海神の像と向かい合う。メールベールを守護する偉大なる海の王。
静寂に包まれる神殿の中で次の言葉を待っていると、メールブールの王妃の言葉はトリトスの期待通りだった。
「王位を継ぐのは貴方以外には考えられません」
「母上っ。では……」
ああ、これで母が何とかしてくれるだろう。
「ええ、貴方を王太子に戻してあげましょう」
だが、その後。命じられた事はトリトスには受け入れ難いものであった。
「そのような事は出来かねます!」
「それ以外に方法があるなら聞きましょう」
母の言葉にトリトスは押し黙った。何か策があれば既に実行している。
「この母の言う通りにすれば良いのです」
「ですが、母上、私は」
「あら、いけない。話し込んでしまったわね。もうお戻りなさい」
トリトスは思い出した。母との会話で己の意見など通ることはない。これまでは全て自分のためである事を理解していたので、拒絶する必要などなかった。
しかし、この時ばかりは、己の誇りも、人間性も、犠牲にしろと言っているとしか思えなかった。
「それしか……ないのか?」
メールブール王宮は連日、夜会や園遊会や演武会などが行われてきた。そして、開催初日から波乱に満ちたメールブール王国建国祭は、本日をもって幕を下ろす。初日のよりも一層、力を込められた夜会が始まった。メールブールを安堵させたのは、最終日の夜会にルヴァラン皇国、第二皇子と第三皇女の参加が叶った事だ。
「メールブールの面目も保たれたようね」
「ああ、そのようだな」
気品ある仕草で扇子を広げるエルドラ王国代表エリザベス・バーナードは、夫であるヴィンセントに母国語で話しかけた。一見、仲の良い夫婦が囁き合っているかのように見える。
「そうそう、弟君にお会いになれた?お元気だったかしら?」
ルヴァランが無条件で参加するはずはない。エリザベスは、皇国とメールブールでどのような取引が行われたのかと尋ねているのだ。
弟のライルは第二皇子の側近だ。二カ国の間で何が起きたのか把握しているだろう。
「いや、忙しいらしい、話す時間もないようだ」
ライルに家族として、連絡を取ったものの断られた。親しい身内とでさえ、時間を取れない状況という事だ。
「まあ、残念ね。帰国前には、私もご挨拶に伺いたいわ」
そして、妻はこれくらいの会話で、ルヴァランとメールブールの交渉、もしくは何かが現在進行形で動いている事を妻は理解してしまう。
本当ならばエリザベスはエルドラの王妃となる女性であった。本人に言わせれば、これくらいは出来て当然なのだろうが……最高だ、痺れる、愛しい、好きだ。
「愛してる」
「はい、ありがとう」
口に出た告白はサラリとながされた。つれない。そこがいい。いや、そこもいいのだ。ライルに会った際には我が妻の素晴らしさ教えてやらねばならぬ。
一方で注目を浴びる美しい兄妹は多くの来賓達に囲まれていた。そこには、もうお騒がせな令嬢の姿はない。また同様にメールブール王太子とその側近達の姿もなく、彼らが早々に失脚したのだと周囲は理解する。
一見すると、会場は和やかな空気に包まれていた。滞りなく夜会は終了するだろう。
しかしアルティリア皇女は途中で退席するとの事でホールから姿を消した。姫君はまだ幼いため、それについては不思議ではない。
実際は皇女は少々体調が優れないとの事であった。本来は夜会終了あと、すぐにブリエロアに戻る予定だったが王宮で休むこととなる。
「お部屋が整いました」
メールブールの侍女達に案内され、部屋に到着するとアルティリアは呟いた。
「どうなるかしらね」
最後の夜会は深夜まで行われる。賑やかな音楽が宮殿の奥まで届いていた。軟禁されているトリトスの部屋にも宮廷音楽が達の奏でる旋律は聞こえている。
母は自分を見限る事なく、救おうとしてくれているのだと分かってはいた……
「トライデントは敵となりました。貴方の後ろ盾となる事はありません」
「ではどうすれば?」
「宗主国の姫君がいらっしゃるでしょう」
「アルティリア皇女殿下ですか?」
だが姫君には不敬を犯したとされている。やはり和解せよという事だろうか。
「許して頂けるでしょうか」
「そうせざるを得ない状況にすれば良いのです」
母はあまり自分の考えを曝け出す事はない。理解出来ず、横にいる母に視線を向けると、ベールの奥で微笑んだ気がした。ところが捕食動物を前にした兎になった気がした。
「明日の夜会には皇国の皇子と皇女も出席します」
「それは両国の間で和解となったのですか?」
母はそれには答えずに続ける。
「ですが幼い姫君は体調が優れず、王宮にお泊まりになるでしょう」
「待って下さい、母上」
まさか、アルティリア皇女に毒を盛るつもりなのではないだろうか。しかし母はそれを否定する。
「後遺症が残る事はありません」
「しかし!」
「心配する必要は不要です」
ただをこねる子供をあやすかのように、母は言った。
「姫君には貴方の子供を産んでもらうのですから」
「……母上、貴方は一体何をお考えになっているのです」
「あら、まだ貴方はフィットン嬢に心があるのですか?」
「いえ、それは……」
「なら、問題ないでしょう」
問題がないどころか、問題しかない。皇国が自分との縁談など受け入れるはずがない。そんな事はトリトスにも分かる事だ。
「ふふ“ そうせざるを得ない状況にすれば良い”と言ったでしょう?」
「まさか、そんな」
「姫君の醜聞など皇国も表沙汰にしたくないと思いませんか」
この母は、自分の息子に自分の娘よりも幼い姫に何をさせるつもりなのか。
愛した女性だけではい。
己の母も恐ろしい化物だ。
しかし、トリトスには抗う術も、逃げ出す手立てもない。
まして、助けてくれる人間も……
ライル「身内にも執着心ヤバい奴がいるとか……義姉上が皇国男が全員こんなだって誤解してなきゃいいんだけどなぁ」
ヴィンセント「妻、最高。妻、女神」
エリザベス「あーはいはい、ありがとね」
来週24日金曜日は別の短編を更新する予定なので、次回のルヴァラン皇国物語は21日火曜日の更新予定です。