種は芽吹かない 29
【ご注意】大変申し訳ございませんが、虐め描写、差別描写がございます。虐め、差別を助長する意図はありません。
自室に軟禁されて何日経過しただろうか。アレスは暴れ出したい感情を抑える。邸に戻ってきた際はかなり抵抗したが、父に殴られ、大人しくしていなければ脚の腱を切ると脅されたのだ。いや、父はやると言ったからには実行するだろう。
だが、窓から父が出掛ける姿を確認し、その隙を狙って何度か脱出を試みた。しかし警備をしている騎士達にすぐに取り押さえられてしまう。その中には、かつて共に切磋琢磨した仲間の姿もあり、彼らの温度のない視線に衝撃を受ける。
「ダチじゃねぇのかよ」
彼らとは間違いなく友人だったはずだ。トリトスが王となり、その治世を支えるアレスを盛り立ててくれると約束したはずだった。
裏切られた。
喪失感に飲み込まれそうになる中、妹のことを思い出す。妹のハルモニアはアレスにとって、守ると誓った最初の一人だ。武家に生まれたからという理由で鍛錬をしていたが、妹を守るという明確な理由が生まれたからこそ、アレスは強くなれたのだと思っている。
妹は幼い頃に落馬し、以来、片脚を引きずるようになり、杖を手放せない。大人しい気性であるのに馬が好きだったが、乗馬が出来なくなり気落ちしてしまい、さらに脚が不自由になってしまった事で、家族に迷惑がかかると、より内気になってしまった妹。
アレスはそんな妹を愛馬の前に乗せて、遠乗りに出掛け、乗馬がしたければ自分がいくらでも連れて行ってやると、ハルモニアを笑う者、嘲る者がいれば必ず守ると誓った。
妹はどうしているのだ。自分がこのような事になり、不安になっているに違いない。
「なあ、おい!」
アレスは扉を叩いて、部屋の外で待機しているであろう騎士と侍従に声を掛ける。
「ハルモニアに会いたい!ハルモニアを呼んでくれ!」
「……ハルモニア様はお会いにはなりません」
しかし、返ってきたのは、そんな言葉だった。本人に確認さえしないのかと憤る。
「ふざけるな!」
怒りのまま扉を蹴り続けると、外から懐かしい声が聞こえた。
「アレス、俺だ。入るぞ」
それは幼馴染の一人のカドモスだった。彼も共に家の訓練場で鍛錬した仲間で、実力も人望も確かなものだった。またカドモスは妹のハルモニアを大切に思っており、父は婚約者候補にと考えていた。
「カドモス!モニアはどうした、何で連れてこないんだ!」
「今更、何の用だ」
「今更って、俺は兄貴だぞ!」
「ハルモニアを守ると誓った約束を違えたお前に、彼女と会わせる訳にはいかない」
「そんな事した覚えはない!」
「では、何故、学園でモニアに嫌がらせを繰り返していた女をのさばらせていたんだ?」
ハルモニアは学園に在籍していた際、同学年の女生徒に執拗に嫌がらせをされていたという。幸い同じクラスになることはなく、親しい友人に庇われていたが、相手はハルモニアを侮辱し続けた。
「高位貴族だからって偉そうにしてるけど、アンタみたいなのは欠陥品って言うのよ」
きっかけは、ハルモニアがその女生徒にノートを譲らなかったことだと言う。クラスが異なるにも関わらず、ノートを求めたのはハルモニアが美しい模様の入った皮のノートカバーを使用していたためだ。女性は浅ましくも、それを求めた。しかし、そのカバーはアレスが入学祝いに贈ったものだったため断ったのだ。
女生徒は怒り、ハルモニアからノートを奪うと、窓から投げ捨てた。
アレスはそれを聞いた瞬間、怒りで身体が熱くなる。例え、令嬢であろうが思い切り殴り付けてやりたい。
「そんな、みっともない身体晒して恥ずかしくないの?ねぇ、高位貴族のおジョー様ってカーテシーやるんでしょ、見せてよ。はぁ?アタシには出来ない?なにさ、お高く止まっちゃってさ。キズモノが偉そうに。卒業したら、どうせ金持ちの糞爺に売られるでしょうね。アンタみたいな役立たず生きてたって、意味ないもん」
以来、女生徒はハルモニアを見つけるたびに、下品な言葉を投げ付け、時には脚を伸ばしてハルモニアを転ばせるような行為を続けたと言う。
「うちは伯爵家だぞ、そんなこと許されないだろう!」
またアレスとハルモニアの父はメールブール騎士団の重鎮だ。たとえ格上の貴族家でもぞんざいに扱って良いはずがない。
「好き勝手振る舞える女がいたんだ」
「まさか、ネレイス・トライデントか」
あの冷たい女ならば、やりかねない。学園では最高位にいたのだ。伯爵令嬢に嫌がらせをしたとしても誰も止めることは出来ないだろう。だが、それはカドモスに否定された。それどころか、ネレイスはハルモニアを庇い相手を糾弾していたと言うではないか。
「本当なのか?」
「ああ、間違いない」
ネレイスは、その女生徒がハルモニアから杖を奪い、殴り付けようとしていたところに駆け付けると、相手を“恥知らず”と叱り“ 二度とこんな事はさせない”と宣言した。その宣言通り、ネレイスは派閥の貴族家から騎士を目指す令嬢や令息に指示し、学園内でのハルモニアの護衛としてくれたのだった。
「だけど、うちの騎士見習いだっていたはずだろう!なんでネレイス・トライデントが首を突っ込んでくるんだよ」
「それは、お兄様の命令があったためです」
「モニア!」
久しぶりに聞いた妹の声は、記憶よりも凛とした響きがあった。女性騎士を伴って部屋に入ってきたハルモニアは随分と大人びた顔をしている。そういえば、最後に顔を合わせたのはいつだったか。
「あなたが私に会わせろと暴れていると聞きました。皆に迷惑を掛けるのはやめて下さい」
仲の良い妹からの厳しい物言いに一瞬たじろいでしまう。幼い頃は常に自分の後ろを付いて回っていたはずなのに。
「お話がないようでしたら、失礼致しますわ」
「いや、待ってくれ。学生時代、何があったんだ?俺がどんな命令をしたっていうんだ?」
一体何故、伯爵家の派閥の生徒達はハルモニアへの暴挙を許したのか。何より、妹はどうして、自分に助けを求めなかったのか。
「ミミ・フィットン嬢の身を最優先にと皆に伝えていたでしょう」
「ああ。だが、それは、モニアを蔑ろにして良いなんて意味じゃねぇ」
気遣うような視線を送っているカドモスに、妹は「大丈夫よ」と小さく答えると、アレスを見据える。
「私に嫌がらせをしていた相手はミミ・フィットンです」
ハルモニアは何と言った?アレスは妹の放った言葉が理解できなかった。
「そんな、嘘だろう?」
動揺するアレスを見て、ハルモニアは表情を緩める。微笑んでいるのに、どこか困ったような悲しげな顔で、それは幼い頃の妹を思い出させた。
「はい、信じて頂かなくて結構です。では、失礼致します」
しかし、次の瞬間、それは恐ろしく冷たいものに変わる。
「お、おい、話は終わってないぞ!」
「私の言葉など信じないのに?話すだけ無駄です」
ハルモニアを追いかけようとするアレスの前に、妹のそばに控えていた女性騎士が守るように割り込んだ。
「お控え下さい」
「お前、メノスか。何故ここにいる!」
アレスはその女性騎士を見ていきり立つ。彼女はかつて自分が派閥から追放した令嬢であった事に気が付いた。
「私は、ご当主様より、ハルモニア様の護衛をと正式に任命されております」
「なんだと」
メノスは侮蔑を孕んだ視線をアレスに向けると、ハルモニアを追って部屋を出て行く。
何故だ?
自分の知らない何かが起きている。それはアレスをより不安にさせた。