種は芽吹かない 28
「無礼な事を言うな!」
「何が違うの?王侯貴族に貢がせるだけ貢がせて、遊んでいるだけだろう?」
ミミは素晴らしい女性だ。この愚かな弟に証明してやらねば。気高く純粋で優しさで溢れたミミの真実を。
「ミミは気さくに誰とでも親しくなれるのだ」
「令息ばかりに声をかけていたんだろ」
「それは令嬢達がミミを疎んでいたためだ」
「マナーも爵位も無視して振る舞えば、距離を置かれるだろうね」
「嫌われていても挫けずに学園に通っていた」
「自分に非があるのに、改めないなら嫌悪されて当然だよ」
弟の発言は全て屁理屈だ。だが、ヴェントの貴族としての常識がそれらを否定出来ずにいた。しかし、兄が弟の言い分など認めるなどあってはならない。
「そうだ、これを見ろ」
ヴェントは常に持ち歩いているハンカチを取り出した。それは学生時代、ミミが刺した刺繍のハンカチであった。ヴェントの家の紋章に使われている梟が描かれている。
「殿下だけでなく、我々、側近にも準備してくれたのだ」
広げて見せると、アンリはあっと声を上げる。
「それ、ミミ・フィットンが刺したものじゃないよ」
ヴェントが口を開く前にアンリは一枚のハンカチを取り出す。それは、ミミのハンカチと似た構図でありながら、梟はさらに細やかに描写されており、周囲の魔術紋様は複雑なものが施されていた。そして「ヴェイル」という名がある。
「従兄弟のヴェイルの婚約者のフローラ嬢がね。学生時代、学園の談話室で刺繍をしてたらミミ・フィットンが作りかけのハンカチを奪って行ったって相談を受けててさ。そのハンカチがそうだろうね」
「な、何かの間違いだろう」
「見比べれば分かるだろ」
その二枚は非常に似ていた。ただし、ヴェントのハンカチはアンリが持つそれの制作途中といった状態に見える。
「いや、これには私の名が入っている」
「確かに兄上の名前があるけど、梟や他の模様との技術の落差があるよ。きっと、その部分だけミミ・フィットンが刺したんだろう」
「だ、だが、そんな馬鹿な」
「はは。このハンカチの事を聞きに来たのに、兄上が馬鹿な事を言い出すから、本来の目的を忘れるところだったよー」
アンリはヴェイルを通じてフローラから相談を受けていた。自分の作っていたハンカチが、もしヴェントの手に渡っているならば回収して欲しいと。
「ヴェイルは家の商いで他国に行くことが多いだろ?だけど、メールブール以外の国の食事が体に合わないらしくて、体調が悪くなる事があるらしいんだ」
フローラはそんな婚約者のために、旅先でも問題なく過ごせるようにと、魔術紋様を施したハンカチをお守りとして贈ろうとしていたのだ。ただ、彼女の魔力は強くない。疫病や怪我などは防げないが、普段の状態に近付ける程度の効力しかない。しかし、旅先ではすぐに薬師や医者などにかからない状況にあれば、有難い守りとなる。
ただし、それはヴェイルの状態に合わせて組まれた魔術紋様。制作途中とはいえ、他者が所持していては良くない作用が生まれるのではないかと、危惧していると言う。
「他にも作品を盗まれたご令嬢がいるらしいんだけど、皆、普通の刺繍らしいから、そう言った意味では不安はないらしいけど。でも兄上は、ここ数年、定期的に整腸剤を服用してるだろう。これは処分した方が良いと思うよ」
ヴェントは自分のハンカチの刺繍とアンリの持つハンカチに指先を当て、魔力を探る。これは簡易的な魔力分析だ。
アンリのハンカチには、一名の魔力が検出されたが、自分のハンカチからは異なる二つの性質の魔力を感じる。その内、大部分を占める魔力とアンリのハンカチから検出されている魔力は同一のものだ。
異なる魔力を発している箇所は、拙く縫い付けられた「ヴェント」という文字。
「信用出来ないっていうなら持ち続けていても良いよ。でも、この先ずーっと下痢止めが必要になっちゃうよ。あは」
ケラケラと笑う弟のアンリにヴェントは何も言う事が出来ない。
ヴェントの部屋から出るとアンリは一枚のハンカチを侍従に渡した。
「これは処分してくれ」
少しは理解しただろうか。自分達が愚かであったことを。アンリは決して兄を許すつもりはない。馬鹿を蔑んでいるくせに誰よりも愚かな兄。
家を継ぐのは父の弟の息子になるだろう。自分は恐れ多くもテティス殿下の王配候補のままだ。ヴェントの弟である自分が選ばれる可能性は低い。それでも、あの方の治世を支えていくと、アンリは誓うのだった。
ブリエロアにあるアルティリアの船室には、弟子から呼び出された翠の魔女の姿があった。アルティリアから説明を受けた翠の魔女は漆黒の石を手に取る。それは、ミミ・フィットンの呪いから目覚めた際に待っていたものだ。
「珍しい事もあるものねぇ」
翠の魔女の指先にある種のような塊は鈍い光を放っている。
「魔女様、これは何でしょうか?有機物のようにも無機物のようにも見えます」
「予測は付くけど、こんな事は初めてだわ。うふふ」
翠の魔女はやけに機嫌が良いようだ。
「他の方にも確認してもらうから、これは私が持っていても良いかしら?」
「もちろんです」
そう言うと、翠の魔女の手の中で黒い種が浮き上がり、淡い光を放ち消える。得体の知れないそれが手を離れ、ほんの少しホッとした。
「魔女様、ミミさんの事ですが」
「もう私達は彼女に関与しないわ」
ミミ・フィットンは己自身の事を知らないとは言え、魔女の弟子であるアルティリアを呪った。同胞同士で争う事は御法度である。しかし今回の事は特例と見なされ決闘扱いとなった。
「呪いを破ったのだから、アルティリアちゃんの勝ちよー」
それ故にミミ・フィットンが同胞として魔女達に迎え入れられる事はなくなったという。
「では、ルヴァランがミミ・フィットンと相対したとしても問題はありませんね」
アルティリアの代わりに答えたのはフェルディナンドだ。現状、ミミ・フィットンが最も罪深いと判断しているが、皇族としては魔女達と対立する事は避けねばならないと考えていた。
「ええ、ミミさんがどうなろうと、私達は構わないわ」
「それは、良かった」
「うふふ」
「あはは」
師匠は兄と朗らかに笑い合うと「また、来るから」と言って姿を消す。
「よし、これで8割程度は解決したな」
「さりげなく、わたくしを膝に乗せようとするのはやめて下さい」
翠の魔女がいなくなった途端に甘やかそうとする兄から、アルティリアは距離を取って向かいのカウチに座り直した。自立するという決心は揺らいでいない。
「今後の方針はどうするのですか?」
フェルディナンドは捨て犬のような瞳を向けてくるが、アルティリアはそれを受け流す。
子犬ぶった表情の兄としばし対峙するが、アルティリアはリーフをギュッと抱きしめる。そうして絆されそうになる気持ちを奮い立たせるのだ。リーフが一番可愛いもの。
「……残りの2割が意外と厄介でね。どうやら諦めの悪い者がいるらしい」
小さい猿を抱くアルティリア、可愛い。良きもの見た気分になったフェルディナンドは仕事をする気力が湧いてくる。意図せず、兄をやる気にさせたアルティリアだったが本人はフェルディナンドが諦めて真面目に仕事を始めようとしていると勘違いしている。
「懸念材料は全て潰さねばならないからね。そろそろ戻ろうかと考えているんだ」
「では、わたくしも……」
「いや、アルティリアは兄様が良いと言うまでブリエロアを離れないでくれ」
フェルディナンドは外交の際によく見る笑顔をつくる。これは何か企てているのだなと思いつつアルティリアは頷いた。
翠の魔女は、アルティリアと別れた後。薄墨の魔女の屋敷に行く前に、茜の魔女の家に突撃した。
翠の魔女「ウチの子が最高よ!茜ちゃん!」
茜の魔女「は?なんなの?」
翠の魔女「うっふっふー。また、来るわねー♪」
突如、弟子自慢をして去る友人。
茜の魔女「……私は魅了女の面倒をみなくて済んだってことかしら?」
ヴェントとアンリの従兄弟ヴェイル。
彼は外国に行くと便秘気味になるらしいです。
例のハンカチを御守りがわりに持ち歩いていたヴェントはお腹を下しやすい人になってました。泥棒って怖いね。