種は芽吹かない 27
何の手立ても打てぬまま、邸へと連れ帰られたヴェントであったが諦めてはいなかった。
王宮では動揺し、思うように事は運ばなかったが、まだ間に合う。自分は父の後を継いでメールブールの宰相となる男なのだから。
自室にてどうにか外部と連絡を取る手段を模索していると、都合よく弟が部屋に入って来た。
「あーいたいた、兄上。皇女殿下に不敬罪やらかして廃嫡って本当だったんだ」
しかし断りもなくやってきた弟は、異様な程、呑気な様子でヴェントを苛立たせた。
「何をしに来たんだ」
「少し、話せるかなと思ってさ」
弟のアンリは決して優秀でない訳ではないのに、昔から飄々とした態度を貫き意識が低い。だが贅沢を言っている場合ではない。
「話してる暇はない、私はこれから大使館に向かう。お前は秘密裏に準備を整えるんだ」
侍従達は当主である父に絶対服従しているが、弟であれば多少は動けるだろう。
「第二皇子殿下や第三皇女殿下に謁見を求めるつもり?無理じゃない?」
「お前は黙って言われた事だけすればいい」
「でもさぁ」
「でも、ではない」
「大使館にお二人はいらっしゃらないよ」
「なんだと」
すでにブリエロアは建国祭の最初の夜会の後、ヴェール港を出航したと言う。
「御二方が乗っているとは限らないだろう」
「兄上は皇族専用船が皇族を置いて港を出ると思うの?」
生意気な物言いではあるが一理ある。しかし万が一というともあるのではないか。アンリはそんなヴェントの考えを感じ取ったかのように苦笑いを浮かべる。
「もうさ、兄上は情報力貧弱なんだから、大人しくしてなよ。ただでさえ杜撰な計画立てて大失敗してるんだから」
「なにを言うか!」
あまりに失礼な物言いにヴェントは弟を怒鳴り付けた。しかしアンリは気にする素振りもない。
「そもそも、ミミ・フィットンなんかを皇女殿下に引き合わせるなんて正気の沙汰じゃないでしょ。イヴィヤが献上した白リスザルより躾がなってないんだからさ」
「無礼だぞ、ミミはメールブール王妃になる女性だ!」
「そりゃ大変だあ」
ヴェントの言葉にアンリはわざとらしく手を口に当て、その瞳を見開いた。
「兄上知ってる?イヴィヤの猿はグラスや茶器をひっくり返した事なんてないんだってさ。なぁーんてこった、我が国の未来の王妃様は猿以下ってこと?」
「……アンリ、いい加減にしないと」
「いい加減にするのは兄上だよ」
突如、真顔に戻ったアンリは言う。
「ルヴァランの公子と男爵令嬢の結婚をアルティリア皇女殿下が後押ししたと思ってるみたいだけど、それは勘違いだよ」
何が違うと言うのか。アークライド公爵家の次男、とルシアム男爵家の令嬢のロマンスは他国にも聞こえてきており、特に男爵令嬢とアルティリア皇女は親しい間柄だと言う情報は間違いない。
「そもそも、第三皇女殿下にその男爵令嬢を紹介したのは公子ではなく、姫君の教育者の一人だったらしいよ」
アルティリア姫の経済・経営学の教育者である教授の教え子で、若くして自領の運営、商会の仕事に携わっている才女。彼女は実践的な領地経営の助言が可能であり、皇族と対面しても不足のない教養とマナーを持ち合わせていた。
かつ、ルシアム家は新興貴族ではあるが、男爵から子爵への陞爵が決まっており、確かな才覚で豊かな財を築き、堅実な運営により領地を発展させた皇族から覚えめでたい一族であった。
「どう考えても、ただの恋愛結婚じゃない。皇族の依頼で公爵家が能力のある一族の後ろ盾になるための措置だよ」
公子ギルバートとシャーロットは仲睦まじいと有名だが、恋愛関係だけで婚姻が認められる訳がない。シャーロット自身と実家の能力が認められてのものだ。
「才女どころか、最低限のマナーも知らない阿呆女を皇族に近付けるなんて、メールブールを滅ぼそうとでも思ってたの?」
アンリからすれば、兄達を泳がせていた父を含む上層部も甘いと言わざるを得ない。せいぜい、トリトス王子やミミ・フィットンが相手にされずに、少々の恥を晒す程度だとでも思っていたのだろう。
「ミミは素晴らしい女性だ。誤解されやすいだけなのだ」
国の最上位にいる尊い女性が誤解されやすいなど致命的だ。この兄は何故こんなにも人の話を聞かないのだろうか。功を急ぐばかりに一部の情報を切り取り、都合の良い考えに落とし込む。かと言って軌道修正する柔軟性はなく、間違いを認められる度量もない。
「ミミ・フィットンの価値って何なんなの?」
ネレイスやシャーロットのように教養を持つ淑女でもない、実家に力がある訳でもない。アンリに言わせれば害しかない。
「ミミは市井の……」
「言っておくけど、平民からの人気なんてないよ」
アンリは容赦なく兄の言葉をさえぎる。
ミミの実家のフィットン商会は顧客も取引相手も貴族ではなく、殆どが平民だ。またトリトスの威光を傘にきた商いを行っているようで、フィットン家自体が評判が悪い。トリトスとミミの恋愛も、横柄な貴族の家の娘が王子を誑かしたと思われている。
「そんなはずはない。平民と王子が恋に落ちたのだぞ。市井で好まれる話だろう」
「誰が言ったの?調査はしたの?」
「なっ、それは」
裏取りなどしていないのだろう。ただの希望的観測による思い込みだ。口ごもる兄を見て不快感が込み上げる。
「僕は調べたよ。トリトス殿下とミミ・フィットンや兄上達の内情から貴族、平民問わず世間の噂話まで」
「何故、そんな事を……」
「情報は金より価値があるんだよ、兄上」
ヴェントが10代の半ばまで優秀と言われていたのは、トリトス王子と共に居たネレイスが、本人達に悟られないよう補っていたのだろう。その証拠にミミと親しくなり、ネレイスと距離を置き続けたヴェント達は落ちぶれていった。
それに気が付かず、プライドだけは高い兄。
端的に言って恥ずかしい。
「ミミは、ミミはな」
それでも何か言おうとしている。
いい加減、気が付いてくれ。ミミ・フィットンに価値はないと。自分達が間違っていたと。
「ミミは心優しく国母に相応しい女性なのだ」
「どこが?どんな所が?」
「殿下のみならず、我々、側近をも癒してくれるのだ」
そんなものが国営の役に立つと言うのだろうか。アンリは苛立つ感情を抑えながら兄に問う。
「何年か前に、兄上達がフィットン商会から綿を大量に注文したよね?」
「ああ、だが、それが何なのだ」
祖父の商いが上手くいっていないとミミから聞き、トリトス王子とヴェント達が少しでも商売の足しになればと購入したのだ。
「倉庫の邪魔になっていた、使い道のないその綿をテティス殿下は自費で買い取って、救護院に寄付をした事を覚えてる?そして職人を手配して、そこに身を寄せている女性や子供達にリネンやカーテンの作り方を指導させたんだよ」
そうして作られた製品はバザーで販売され救護院の運営資金に、また女性達が自立するための技術を身に付ける事へと繋がっている。王侯貴族の慈悲は民へ向けられるべきだ。
「優しさっていうのは、そういうものだよ、兄上。癒しが欲しけりゃ愛玩動物でも飼えばいいよ」
ヴェントとアンリのおしゃべりは次回にも続きます!