睡蓮の姫君 01
カマドウマ伯爵の愛でルル・サットンの色目をガン無視していた騎士の話。彼が12歳の時、アルティリアと出会いました。彼にではないけど、ざまあもあるよ。
騎士を多く輩出しているダーシエ侯爵家の子息、レオンハートは父から呼び出された。
「俺がですか?」
「うむ」
「士官学校に入学までの一年間限定で?」
「うむ」
なんと自分が2歳になる末の皇女殿下の遊び相手に抜擢されたという。幼い皇族の遊び相手になる事は名誉だ。なんせ右も左も分からぬ幼児の側に侍るのだ、爵位が高くても、本人の人格、素行、能力が認められなければ選ばれる事はない。それだけではない、将来の側近、側仕えに選ばれる可能性が他の者よりも高まる。
幼い貴族にとって、これ程、誉高い事はないだろう。しかし通常であれば、10歳前後の同性の子供達が選ばれるはずだ。自分は12歳になる。2歳の姫君の遊び相手としてはぎりぎりの年齢だし、何より男だ。
「何故、俺なんです?」
「うむ」
「何か理由があるんですね」
「うむ」
父は「うむ」しか言わない。
「嫌です」
「う……ダメだ」
「冗談です」
「お前は……」
「しかし、まともな説明がないならば、受けたくはありません」
再び、父は「うむ」と言って考え込んでしまった。口下手が過ぎる。昔、母に言葉が足りないと言われてから、反省したと言っていたが本当だろうか。
「他言無用だぞ」
「当然です」
「アルティリア皇女殿下は問題があるのだ」
とだけ言われて、自分は皇宮に通う事となった。絶対に親父は反省していない。レオンハートは帰ったら、母にちくろうと心に誓った。
「問題かあ」
皇帝アレクサンドロスと皇后フローリィーゼには、現在五人の子供がいる。
長男の皇太子ジークフリードは18歳。既にいくつかの武勇がありルヴァランの若き獅子として名を馳せている。早くに後継者として指名されたのも、それが理由だ。
長女のマドリアーヌ第一皇女は成人前の15歳だが、貴婦人の片鱗を見せており、デビュー後は社交界の花となるだろうと期待されている。
次女の第二皇女カトレアナは活動的で馬術大会での優勝実績があり、その姿は凛々しく令嬢達から人気らしい。
次男の第二皇子は10歳とまだ幼いが語学や国際情勢に興味があるらしく、勉強熱心とのこと。
そして、末の第三皇女は問題ありと。一体どんな幼児なのか。でも、皇族の批判なんてそうは出来ない。他の皇子達にも大なり小なり欠点はあるだろう。
そんな事を考えつつ皇宮に到着し、皇族の住まう南宮にある第三皇女の部屋へと案内された。小さな女の子の部屋らしく、淡い紅色のレースのカーテンや壁紙、ぬいぐるみや人形。むさい男達に囲まれて育った自分は酷く場違いな気がしてならない。
室内には乳母が一名、侍女が六名、騎士が四名に、自分以外の遊び相手であろう10歳くらいの令嬢が四名いた。
その部屋の中心のフカフカなラグの上で、ちんまりとした子供が何かを覗き込んでいた。分厚いそれは、何かの本のようだ。
「アルティリア皇女殿下、新しいお相手でございますよ」
そばにいた乳母に言われ、少女は自分の方に向き直った。艶々とした黒髪は肩の高さで切り揃えられ、絹のリボンが結ばれている、そして皇族の証である深い紫の瞳。幼いながら、見ているこちらが怯んでしまうほど美しい。
「ダーシエ侯爵家より参りました……」
挨拶し終わる前に、少女は立ち上がった。そしておぼつかない足取りでトテトテと向かってくると、ギュッとレオンハートの右脚にしがみ付ついて、見上げてきた。
流石にこれは……
可愛いな、おい。
レオンハートは脚だけではなく、胸の奥が掴まれた気分になった。だが、その後、アルティリアの発せられた言葉に凍り付く。
「おとさま」
おとさま?おとうさま?お父様!?
皇帝アレクサンドロス!?
「アルティリア様。お父様はこちらですよ」
固まってしまったレオンハートをよそに、アルティリアは乳母に抱き上げられ、レオンハートの背後に連れていかれた。
振り向くと、等身大の皇帝の肖像画がドンと飾られていた。宮廷画家に魂を込めて描かれたそれは、とんでもない迫力があった。はっきり言って怖い。おまけに、アルティリアと乳母が正面までくると。
「おとうさまだよぉー」
声を発したのだ。
「あれは?」
「陛下がアルティリア様のために特別に制作させたものでございます」
侍女の一人が説明してくれた。
中々アルティリアに会いに来れない皇帝だったが、自分を忘れてほしくないと肖像画を描かせた、さらにアルティリアの魔力を感知すると皇帝の声が発せられるよう魔術師に依頼。肖像画というより魔道具だ。アルティリアも音の出る玩具を面白がり、よく父の声を聞いて喜んでいた。
しかし誤算があった。幼児の身長では皇帝の顔は見えにくく、丁度、彼女の目の高さに描かれたブーツを「お父様」と認識してしまったのだ。
これにはアレクサンドロスも酷く落ち込んだという。
「ご内密に」
「勿論です。それと、明日からはブーツは履きません」
「それがよろしいかと」
俺の心臓的にもね。
乳母はアルティリアを抱いたまま、こちらに来た。改めて挨拶せよという事だろう。
「レオンハート・ダーシエです」
幼児にはこれくらいシンプルに言った方が良いだろう。
「れ?だえ?」
「レオンハート・ダーシエ」
「れーはだ」
「レオンハート」
「れーん」
「レオン」
「れん!」
うん、無理だよね。二歳だもんね。レオンハートは正しく名を覚えてもらう事を諦めた。
「レン!」
おまけにアルティリアは嬉しそうに「レン、レン」と言うのだ。まあ、いっかーという気持ちになってしまう。
レオンハート改め、レンはこうしてアルティリアの遊び相手の仲間入りを果たす。部屋の中でアルティリアは侍女や遊び相手の令嬢に図鑑を読んでもらって過ごしていた。
「アルティリア様、こちらは“カサブランカ”でございますよ」
「かさぶー」
「この赤い花は“ブーゲンビリア”ですね」
「ぶー」
「ぶー」という発音が楽しいようで、アルティリアはクスクス笑っている。子供らしい反応に皆心を和ませる。穏やかな時間が過ぎ、乳母が言った。
「お散歩のお時間です」
その瞬間、部屋の空気は変わる。レオンハートは不思議に思った。たかが散歩で、なぜピリ付いた雰囲気になるのかと。
「失礼致します」
侍女や令嬢達はそういうと、屈伸したり、ふくらはぎを伸ばすような動きをする。散歩だよね?そんな念入りに準備するか?普段、運動をしない女性達は散歩でも大変なのだろうか。
物心付いたころから騎士になるべく、鍛えに鍛えてられているレオンハートは、ご令嬢はそんなものなのかもしれないと自分を納得させた。
皇族の居住区にある庭はとてつもなく広く、様々な花が咲き、美しく手入れされていた。ここをのんびりとアルティリアの歩調に合わせて歩くのだ、と思っていたら姫君が消えた。
「あそこだわ!」
遊び相手の令嬢の一人が指差した方を見れば、20m程離れた生垣にアルティリアは向かっていた。しかも、べらぼうに早い。幼児のスピードではない。
「ダーシエ令息!」
「はいっ」
「早くアルティリア様の元へ!」
レオンハートがアルティリアの元へと走ると、今度は姫君は飛び上がった。その高さ2mいや、3m。嘘だろ。
護衛騎士の一人が叫ぶ。
「アオスジアゲハだ!」
なんと、アルティリアは蝶を追いかけて飛び上がったのだ。レオンハートは脚に魔力を込め、地面を蹴る。姫君が落ちる直前で受け止める事が出来た。
「おお!」
周囲から歓声が湧き起こる。何だこれ?何が起きた?
「ちょ、ちょー」
ハラハラとした周囲の気持ちを気づく事なくアルティリアは空を指差して喜んでいる。
「はい、蝶々ですねー良かったですねー。アルティリア様」
息を切らした侍女がそういうと、アルティリアはレオンハートの腕をスルリと抜け出し、再び走り始めた。
「見失うな!走れ!」
「はいっ」
騎士にそう言われ、レオンハートは走る。アルティリアが飛べば、レオンハートも飛ぶ。地面にアルティリアが叩きつけられないように空中で捕まえるのだ。
これは一体何の訓練だ?
そして、お散歩という名の修行が終わった。
「皇族は特に魔力が高いと聞いたことは?」
部屋に戻る途中、騎士の一人に声をかけられた。
「あります」
「アルティリア様もそうなのだ」
魔術には様々な系統があるが、皇族は生まれながらに高い魔力を持ち、魔術を学ばなくても無意識に発動してしまうことがあるらしい。
アルティリアは溢れる魔力を好奇心が赴くまま、身体を強化し、虫を追いかけ、時には高く宙に飛び上がり、図鑑でみた植物を見つければ、その木の枝によじ登る。
室内でレオンハートにしがみついた時は、直感的に逃げない生物だと判断したのだろう。蝶や鳥は人が来れば逃げる。近くで見たい。早く行かないと逃げちゃう。そんな感情から体を強化し皇宮を駆け巡る。
それでも誰かの目の届く場所にいればまだいい。万が一、見失ったら、それこそ一大事なのだ。
ちなみにだが、皇帝は壁を皇太子は噴水を破壊した際、己の命も危険に晒す可能性があるとのことで、分別が着くまでの一定期間、魔力を封印させていたらしい。
ただし、あまり封印期間が長いと、魔術を学ぶ年齢になってから、解除した際、体に負荷がかかり、高い魔力を持ちながらも封印したまま一生を終えなくてはならない恐れもあるとの事。
アルティリアは魔力を封じてしまう程ではない。しかし危ないからと皇女を拘束するわけにも行かない。ある程度は体を動かし健康に育てる義務がある。
けれど皇女の側仕えはほぼ貴族女性。幼児相手とはいえ身体強化した皇族の面倒を見ることは難しい。
「少し前までは女性騎士が一名いたのだが」
ルヴァラン騎士団にも数は少ないが女性の騎士がいる。これまで散歩の際は彼女が剣を外した状態でアルティリアに危険がないよう補助していたのだが。
「産休?」
新婚の彼女はめでたく懐妊した。
「彼女も頑張ってくれていたのだがな」
元気過ぎる幼児の面倒を、妊婦にみさせるわけにはいかないという話しになった。
なるほど、色々な事が納得出来た。父の言う問題とはこれだ。
アルティリアの動きに付いていくには、訓練された騎士でないと難しいが、騎士の殆どが男性だ。いくら皇女が二歳とはいえ、ベタベタと異性が触れることは望ましくない。成人前の少年が妥協点だったのだろう。それに遊び相手を1年という期間に限定されてるのは、その女性騎士の産休が開けるからだ。
「ダーシエ令息、ありがとうございました!」
「アルティリア様はお部屋では本当に大人しいのですが」
「いえ、元気なことは素晴らしいのです」
「6歳の弟も蝶々を追いかけてましたが、アルティリア様は素早過ぎて」
「私達ではもう、ついて行くことも出来なくって」
部屋に戻ると、令嬢と侍女達にメチャクチャ感謝された。
「あの、出来たら爬虫類の図鑑も読んでもらえると」
「私、蜘蛛以外なら昆虫は大丈夫なんですが」
「最近のアルティリア様は蛇とトカゲがお気に入りで」
図鑑係も、レオンハートが昆虫、爬虫類、両生類。ご令嬢が植物、動物と担当分けされた。絵本は読まないのだろうか。
「アルティリア様はフィクションは興味がないようです」
変わった幼児だな。
とはいえ、レオンハートは意外にもアルティリアの遊び相手が性に合っていた。本日は爬虫類の図鑑を見せている。
「これはコモドドラゴンですよ」
「かこいーね」
「デカいヤツは3mくらいになるらしいですよ」
「おっきーの?」
「はい」
「おとさまより?」
「陛下は2mくらいだと思います」
アルティリアはかなり賢いようで、段々と会話が成り立つようになってきた。
ある日の散歩中。アルティリアを追いかけていると、頭の上から声がした。
「レーン、ここー」
見上げれば、木の枝に登っている。しかも、かなり上の方。そして、ベッドから降りるかのように片足を地面に伸ばしていた。
「おりりゅ」
いや、そこからじゃ、足つかないからね。
「待って!アルティリア様!俺がいくまで待って!」
レオンハートも身体強化を使い、素早くアルティリアの元に登る。サッと現れた自分を小さなお姫様は褒め称えた。
「すごーい、レン、はやいねー」
「ありがとうございます。では、降りますので、俺につかまって下さいね」
「ぎゅ」
そう言って、アルティリアはレオンハートの首に腕を回して、くっついてきた。もう、このやり取りも慣れたもので、なるべく振動を与えないよう、気を配りながら高所から飛び降りるのも上手くなってきた。
地面に着地するとアルティリアはニコニコと笑う。
「ぴょん、たのしーね」
兄弟のいないレオンハートであったが、この小さなお姫様とのやり取りが非常に楽しい。このまま士官学校に行かず、アルティリアの侍従にでもなれないだろうか。レオンハートにとって、今の生活はとても居心地が良いのだ。
レオンハートの息苦しい生活がはっきりと始まったのは、2年前、祖父であるダーシエ侯爵が一族に宣言した事からだ。
「これより10年以内に後継者を指名する」
皇国は性別や生まれた順番などで後継者は決まらない。先代当主は今代の叔母であった。「弱い男ばかりだな!」と笑いながら戦場を駆け巡った女侯爵は、ルヴァランの戦女神と称えられ、他国からはダーシエの鬼女と畏怖された。
祖父は言った。
「当主の子息、分家の者、遠縁だろうが関係ない。皇族の剣となり盾となるダーシエに相応しい者を選ぶ」
何よりも能力と皇族への忠誠心が優先される。騎士を多く輩出しているダーシエ家は特にその傾向が強い。
残り8年の期間がある。そのため現在10歳程度の子供も候補者なのだ。
レオンハートの父は当主の三男で、武人としては優秀だが、無骨な性格で、貴族としては少々不器用と言えた。本人も自分の性格を分かっており、後継者争いには興味がないと若い頃から言っていたらしい。そのためか、体の弱い妻を娶ることに誰も反対はなかった。
母は非常に気が強く、父は完全に尻に敷かれている。虎のような性格の母だが、その見た目は妖精のように美しく儚げだ。その母から生まれた自分は武人として、全く期待されていなかった。ある年齢までは。
儚げな母に似た容姿と裏腹に、レオンハートには武人としての圧倒的な才能があった。
武を重んじるダーシエ一族の中で、同世代どころか5、6歳程度の年齢差なら苦もなく勝利を収めることができた。そして頭脳と口の達者さは母に似たのか、座学、弁論にも長けていた。
レオンハートも父同様、当主の座にまったく興味はなかったが、本人の気持ちは無視され、後継者候補の最上位にいる。次期侯爵の座を求める親戚からは完全にライバル視され、面倒な事この上ない。
おまけに、もう一つ、厄介な事があった。
レオンハートは顔が良過ぎた。
美しい母に似た金髪碧眼の大層な美少年であった。
おまけに最近では成長期に差し掛かり、体はすくすくと大きくなり、儚げさはなりをひそめ、将来は大変な美丈夫になるだろうと言われている。余計なお世話だ、ほっとけよ。
同世代の身内からすれば、後継者第一候補で、見た目も良い。とんでもなくイケすかない野郎なのだ。ダーシエ家での訓練などに行けば無駄に絡まれる。レオンハートも負けず嫌いなので、やられたら倍にして返しているので、余計に拗れていく。
望まない期待。嫉妬。妬み。
レオンハートにとって重苦しいものでしかなかった。
アルティリアに侍る令嬢達は、やはり厳選された少女達だ。自分の容姿を見て騒がない。むしろ「アルティリア様、アルティリア様」と姫君を心から可愛がっており、彼女達にとって、レオンハートはそういう意味で眼中にない。
他の侍女や騎士達も自分を姫君の遊び相手としてしか見ていないし「アルティリア様」第一だ。レオンハートにとって、何年振りかの開放感であった。
チビリア姫大暴れの巻