種は芽吹かない 26
ブリエロアにある第二皇子の船室にて、アルティリアは今度こそ本当に拘束されていた。兄の両腕に。
「リア、本当に良かった。君を失ってしまうかと……」
フェルディナンドが目を覚ましたと聞きき、見舞いに来たアルティリアは兄に捕獲された。あれよあれよと膝の上に抱き抱えられ、今に至る。魔力枯渇から回復してきたものの、精神的な損害が著しいという理由でアルティリアを離さない。本人曰く、アルティリアを抱いていると精神が安定するとのことである。
「君が目を覚まさなかったら、メールブールを沈めるところだったよ」
「お兄様、悪い冗談はやめて下さいませ」
「兄様は本気だよ」
今回の呪いの一件は、アルティリアの無謀さが引き起こし、非常に心配をかけてしまったと自覚しているので、甘んじて受け入れていた。しかし、かれこれ2時間が経過している。
「まだ、本調子でないと聞いて来てみれば……」
「ヴァルドお兄様!」
侍従に案内されて来たのはヴァルド・グレイヴ。青みがかった黒髪の20代半ばになる騎士で、フェルディナンドに魔力供給に駆け付けた従兄弟だ。第二皇子の容態が安定しないとの状況のため、戦艦に戻らずブリエロアに残っていた。
彼は公の場では臣下として振る舞うが、私的な場では兄のように接してくれるので、アルティリアにとっては、ジークフリードやフェルディナンドと同様に頼りになる兄のような存在の従兄弟であった。
「魔力が必要なら私がくれてやる。リアが困っているではないか、下ろしてやったらどうだ」
「心的外傷が酷い、治療が必要なんだ。それはアルティリアにしか治せない。分かるでしょう?」
「分からん。フェルは早く妹離れすべきだぞ。思春期に突入した娘は、父親や兄にまとわり付かれる事を嫌がるものだ」
ヴァルドは「そのうちに嫌われてしまうぞ」と側仕えが言いたくても言えない事を口にする。さすがです、グレイヴ卿と侍従一同は思った。
「ははは。ありえない」
だがフェルディナンドは揺るぎない。
「何故、フェルがアルティリアの気持ちを代弁するのだ」
「心が通じ合っていますので」
アルティリアとしては兄を嫌いになる事などないが、そろそろ離して欲しいのが本音であった。
「フェル兄様」
「なんだい?私の天使」
「ヴァルド兄様が仰ってるように降ろして下さると嬉しいです」
愛おしげに自分を見つめるフェルディナンドにお願いする。アルティリアの経験上、そろそろ落ち着いてくる頃だ。
ほらみたことかとヴァルドが言うとフェルディナンドは尋ねる。
「降ろさないと嫌いになってしまうのかな?」
「そんなことはありませんが、ダーシエ卿のお見舞いにも行きたいの」
「ああっ、心臓がああ!」
「大変!横になりますか?」
「リア、どうか、私の側に……」
胸を抑えるフェルディナンドにアルティリアが慌て出した様子を見てヴァルドは呆れてしまう。
「アルティリア、これは仮病という病だ。問題ない」
「でも、仮病を使うほど、お気持ちがお辛いのかと思って」
「……リアもフェルディナンドを甘やかし過ぎだぞ」
そうか、これは甘やかしであったのかとアルティリアは反省した。確かに、自分も兄離れしなければと常々考えていたではないか。無意識に変わらずにいたいという心理が働いているのではないだろうか。
アルティリアは決意する。
「フェルディナンドお兄様」
「なんだい?私の宝石、私の太陽、私のいの……」
「わたくし達、距離を置きましょう」
「……今夜の晩餐はリアの好きなメール海老のポワレだよ。君が目覚めた時、いつでも出せるよう準備させておいたんだ。デザートは檬果という果物を使ったプティングだ。きっとリアも気に入るよ。リアの師匠の土産にも良いと思うんだ。そうそう、ライルの兄のヴィンセントを覚えているかい?彼の奥方がね、リアが好みそうな本を贈ってくれたんだ。エルドラの人気推理作家のシリーズに、東方の神話と神獣の伝承をまとめた本なのだけど、中々興味深くて……」
「わたくし達、距離を置きましょう」
恐ろしく強引に話題を変えてきたが、負けてはいられない。「えいや」と口には出さないが、フェルディナンドの膝から降りる。どうやら、兄は動揺しているようで、腕の力が抜けていたらしく、するりと抜け出せた。
「話を逸らさないで下さいませ」
「い、嫌だ」
しかし、フェルディナンドの瞳からハラリと雫が零れ落ちた。ただをこねたら、諌めようとしていたヴァルドは驚愕する。え、泣くの、この皇子?もう19歳になるはずなのだが?
けれど、アルティリアは負けなかった。
「お兄様、ライルから聞いてますよ」
フェルディナンドの学友にして、外交活動の相棒といえるライル・ガーランド。彼は異国訪問の際、フェルディナンドが席を外す際は、必ずと言って良いほど、アルティリアの側に控えさせられる。
フェルディナンドはライルの抜け目なさを信頼して、騎士とは違った形での護衛としているのだった。そう言った理由もあり、ライルは公の場以外でもアルティリアと会話をする機会が多い。そんな学友にフェルディナンドはこんな軽口を言った。
「リアに俺の武勇伝でも聞かせてやってくれ」
お任せくださいとばかりにライルは話したのだ。フェルディナンド第二皇子の被った猫の天才的演技力について。
どれほど下らない話とて興味深く耳を傾けるふりをし、どれほどつまらない冗談でも愉快に笑い、どれほど薄っぺらい理念にも感動してみせる。それが外交官フェルディナンドだった。
とある公国へと出向いた際のことだ。その国の公爵は少々、癖の強い人物で、一風変わった趣味があった。それは演劇だ。自身で脚本を書き、自身で演出し、自身が主演する。だが、全てド下手であった。
親善のために公演された舞台は、散々なものであった。内容は陳腐過ぎる、しかし難解な演出。なにより公爵の演技は下手の横好きを煮詰めた仕上がりだ。この国の者達は何故止めないのか。
外交の際、訪問先で演劇や演奏会は催されることもあるが、通常であれば、その国の最高峰に位置する出演者達が集う。何故、こんな妙なものを見なければならないのか。海千山千であった外交官達は「無」となっていた。
しかし皇子は他の外交官を圧倒する。
目を輝かせ、手に汗握り、時に驚愕し、胸を焦がす。隣に座るライルはむしろフェルディナンド劇場であったと語る。
最後には目に涙を溜め、感極まった様子で拍手を舞台に送る……完璧な観客であった。この人が皇子で良かった。平民だったら、名優か稀代の詐欺師だ。
「なので、数時間でも過ごせば、親友になったと錯覚させるなんてお手のものなんですよ」
「まあ。じゃあ、色んな国に、妙にお兄様に馴れ馴れしい方が多いのはそのせいなの?」
「彼らを上手く利用してるみたいですねぇ」
思い上がり、図々しい態度を取る者達を振るいにかけ、まともに付き合うに値する人間を選別しているのだ。
などという話をきいているアルティリアには泣き落としは通じない。
「嘘泣きですね。騙されませんよ」
「そんな……嫌だ、耐えられない!」
アルティリアに縋り付こうとするフェルディナンドをヴァルドは捕まえる。
「涙を武器に妹を誑かすな」
扉を開けて出て行こうとするアルティリアを、見送るしかない状況となった。しかし、さらなる衝撃がフェルディナンドを襲う。
「まあ、レン!もう、大丈夫なの?」
「はい、ご心配をお掛けしました」
アルティリアの護衛騎士が迎えに来ていたのだ。寝てれば良いものを。
「リア、行かないでくれ!兄様死んじゃう!息が出来ない!」
「もうっ。どうせ晩餐はご一緒するのでしょう」
「それって何時間後?せめて、お茶の時間は一緒に!」
「お元気そうなので、お仕事して下さい」
そう言うと最愛の人は他の男の手を取って消えた。あの騎士はこれから、アルティリアと共にめくるめくような時を過ごすのだ。狡い、悔しい、羨ましい。
「ヴァルド兄上、いやグレイヴ卿。帰国後、私は騎士団に入団する」
「皇族は皇族の護衛騎士にはなれんぞ」
レン「俺がゴリラに魔力ぶち込まれて、魔力酔いしてる時に2時間もアルティリア様を抱っこおお!?」
親戚ダーシエ①「身内をゴリラ呼ばわりするなよな」
レン「ああああ!羨ましいいいい!」
親戚ダーシエ②「魔力が安定してないから情緒不安定になっとるな」
レン「俺も椅子になるうううう!」
親戚ダーシエ③「コレじゃあ姫君の前に出せんぞ。もう少し魔力ぶち込んどけ」
ゴリラな騎士3名に魔力供給してもらったレンでした。