種は芽吹かない 23
しかし実物の皇女はとんでもない女であった。
見たこともない豪奢な白亜の船から降り立った雌餓鬼は、ミミの恋人トリトスやその側近達よりも、美しく頼もしい男にエスコートされていた。
下卑た笑顔を振り撒き、メールブールの住民から歓声を浴びている。遠目からでも分かる値が張りそうな服。あの糞女ネレイスが着ていたドレスよりも高そうだ。それを得意げに身に纏う姿は吐き気がするほど下品だった。
トリトス達は5年ぶりに見る皇女が成長していた事を褒め称えた。
「皇女殿下は驚くほどお美しくなられたな」
「皇帝陛下が掌中の珠と大切にしていらっしゃるのも理解出来ますね」
「すぐに大陸一の美姫と称えられるようになるだろうね」
「美しく心優しい姫君か。剣を捧げる騎士達も誇らしいだろうな」
トリトス達は何も分かってないアレは卑しい女だ。恋人のトリトスや取り巻きのヴェント達を騙すとは、子供のくせに、なんて嫌らしい女なのだろう。
だが、そんな餓鬼よりもフェルディナンドだ。
一目見て分かった、彼こそ、ミミのオウジサマだと。
また城で見かけたが、ルヴァランの騎士や侍従達は見目麗しい者ばかりだ。特に金髪の騎士は抜きん出て美しい。逞しく均整の取れた体に、凛々しい顔立ち。彼らと比べると、メールブールの騎士や侍従達の野暮なこと。
声を掛ければ喜んでミミに仕えるはずだ。早くミミの元へ連れてきてやらねばならない。
だが、彼らがメールブールへ到着後。何度もフェルディナンド達に逢おうとしたが叶わなかった。
「皇子殿下も皇女殿下も会合の予定が詰まっているそうなんだ」
「じゃあ、ルヴァランの騎士様をお茶に誘いましょう。きっと長旅で疲れているはずよ」
「いや、彼は職務があるからね。茶の誘いは出来ないよ」
トリトスはそう言っていたが、ミミには分かる。あの女が邪魔をしているのだ。
ミミの運命の相手を縛り付ける蛇のように邪悪な女。
ミミの騎士や侍従を掠め取った浅ましい女。
許さない許さない許さない……!
必ず正義の鉄槌を落とす。
ミミはそう決意し、夜会へと挑む。
そしてミミは成功させる。あの憎たらしい女にグラスいっぱいの水を浴びせ掛け夜会から追い出してやった。
だが、少しづつおかしな事が起きる。トリトス達が可憐なミミを庇うのは、いつも通りだった。しかし、あの女が招待客に、無様な姿を現した時から様子が変わってくる。トリトス達は呆然と佇み、トリトスの妹は必死に謝罪する。あの女は嘲笑を受けるはずが同情され、まるで宝であるかのように大切に、金髪の騎士に抱かれて会場を後にした。
フェルディナンドなど、運命の相手であるミミに冷たい視線と言葉をぶつけると、大怪我をした自分を放置して去ってゆく。
気が付けばミミは狭苦しい部屋に、一人閉じ込められていた。
「ここから出せ!出せって言ってるだろうが!」
全て、あの女のせいだ。
絶対に許さない。
「開けろおおおお!」
椅子を振り上げ、何度も扉に叩き付ける。椅子の脚が壊れようと、扉に傷が付こうと、必死に叫んだ。
「お前ら死ね!全員死ねええええ!」
だが、それも虚しく。
突然の胸の痛みによって意識を失った。
廃嫡が決まって数日、トリトスは自室に謹慎となっている。建国祭の最中に王太子の廃嫡を公表するのは、あまりに外聞が悪いとの王妃である母の言葉もあり、正式な発表は行われていない。
トリトスは、今まで当然だったものが崩れ去ろうとしている事に恐怖していた。
王族としての立場と生活、王太子として集めていた尊敬と羨望、そして国王としてメールブールに君臨する未来と栄誉。それらは数日前までは、全て約束されたものであった。
「どうすればいいんだ」
父や宰相、騎士団長をはじめとした要職に就く者達は皆、トリトスを見限っているが、全ては誤解だったのだ。
ミミが不敬を働いた相手が皇女だと分からなかったのだ。そもそも気が付けるはずがない、風船のように膨らんだドレスの裾を引きずった、ネレイスの友人達が皇女を隠すように立ち塞がっていたのだから。
トリトスが勘違いしていた事を皇女もフェルディナンドも知らない。彼らはトリトスが皇女に不作法をしたが謝罪する必要はないと宣言したと思っている。ならば当然怒るはずだ。
だとしたら、その勘違いを訂正すれば良いだけではないか。
「ジョセフ、フェルディナンド殿下と連絡を取ってくれ」
ジョセフは生まれた時からトリトスの側にいた執事であった。トリトスにとっては祖父のような存在だ。
「何故でしょう?」
通常ならば、ジョセフがトリトスの命令に質問などする事はない。しかし、今は謹慎させられている身。逸る気持ちを抑えながらも説明すると、ジョセフは無言で首を振る。
「おやめになった方が宜しいでしょう」
「いや、説明をすればきっと分かってくれるはずだ」
「トリトス様は子供が公式行事に参加しないのは何故かご存知でしょうか?」
「なんだ、藪から棒に。そんなものは……ただの常識だからだろう」
ジョセフは静かに首を振る。
「幼くとも、テティス殿下やアルティリア皇女殿下のように公式行事に出席される方もおります」
だが多くの子供達は招待客をもてなすに十分な教養や知識、マナーを習得しきれていない。また幼なさ故に、本人が意図せずとも周囲を不快にさせてしまう恐れがある。
「ですが貴族社会において、例え子供であろうとも、どのような理由があろうと失敗は許されません。大人の世界に子供を立たせる事は非常に危ういのです。本人にとっても、彼らの親族にとっても」
それ故に子供達が公式行事に参加する事は少ないのだとジョセフは言う。トリトスは関係のない話に苛立ちを隠さずにいた。
「分かった。しかし、それがなんの関係がある!」
「トリトス様はとうに成人され、また王太子というお立場。そのような方が粗忽者を夜会に連れ出し、皇女殿下と対面させました。ルヴァラン側は、トリトス様が意図してあのような事態を引き起こしたと判断している可能性が御座います」
トリトスは言葉につまる。
「そ、そんなつもりはない」
ミミがマナーが得意でない事は分かっていたが、決して、そのような事は望んではいない。むしろ皇女とミミが懇意なるよう努めていた。
「ご存知でしょう?ルヴァランは慈悲深いだけの国では御座いません。メールブール以上に、未熟な者、実力の伴わない者は表舞台に立つ事を許されません。“至らなさ”を理由にしたとしても認められる事はないでしょう。侮っているのだと受け取られる可能性も御座います」
これ以上、ルヴァランへの心象を悪化させる事は許されない。それはメールブール全体への評価となる。
「またフィットン嬢は学生時代より、社交界で自由に振舞い、トリトス様はそれを許しておられた。トリトス様はメールブール貴族に対し礼を尽くす価値はないと表明し続けたも同然なのです」
万が一、トリトスが王族のままでいられたとしても、メールブール貴族はトリトスを支持する事はない。それは、不信感を重ね続けた結果だ。