種は芽吹かない 17
その小さな家は、どこかの農村にいくらでもあるような有りふれた小屋だった。人や生き物の気配はない。レオンハートが再び先頭に立ち扉を開く。室内には壊れたテーブルや椅子、奥にはもう一つ扉がある。
「こちらは寝室のようです」
小さなベッドが一つ、部屋の隅に置かれていた。誰かが寝ているようだが、やはり女性の石像であった。若い女性のようだが、頬はこけ、虚な目で天井を見つめている。アルティリアには静かに悲しんでいるように感じられた。
「泣いているみたい」
そう言うと、フェルディナンドがアルティリアの手を握る。大人の姿であれば肩を抱き寄せるところだが、5歳児の兄はこれが精一杯だ。
「ありがとう、フェル兄様」
「……いや」
レオンハートは黙って二人のやりとりを見守っている。アルティリアはこの女性が誰かはわからないが、解放と安らぎを願い、瞳を閉じた。他の石像と同じように、ベッドの女性も崩れ始めると、小屋も女性の石像のように砂となっていくが、神殿と違いアルティリア達を避けるように天井から崩れ始めた。
「あら」
そして家が全て崩れると、アルティリア達は奇妙な生物に取り囲まれていた。
「何だ、コイツらは」
「気色悪いな」
レオンハートとフェルディナンドはアルティリアを守るように立ち、それぞれ嫌悪感を露わにする。
おそらく女性と思われる二足歩行の生物達。彼女達は「人」と言うには、足が異様に長い者、頭が大きい者、片腕だけ極端に太い者、腹が肥大化した者など、均整の取れた体とは言い難い。
また、何故、女性と思われるのかと言うと、彼女達は、皆フリルやリボンがたっぷりとあしらわれたドレスを身に纏っているからだ。灰色と茶色の建物や生物ばかりいる、この空間で鮮やかなドレスを着た彼女達は可愛らしいというよりも、やはり不気味であった。
「こせ。ヨ、こせ……」
彼女達はこちらを向いて、ぶつぶつと何かを呟いてる。よく見ると、目や鼻や口など、パーツの大きさのバランスは違うが、その姿は世界の主人、ミミ・フィットンに似ている。
「かえセ、カエせよ」
「アタシ、あたしノ」
ぼそぼそと発する言葉を繋ぎ合わせると、何かを求めているようだが、アルティリアは理解できない。ここは、ミミ・フィットンの心の世界だ。彼女の意思に沿うべきだろうか。
「何が欲しいの?」
質問すると、濃いピンク色のドレスを着た生物の頭が大きく傾いた。彼女の左眼は顔の半分程の大きさで、その瞳はアルティリアではなく、フェルディナンドを見つめている。当の本人は酷く不愉快そうに顔を歪めた。
「アたし、ノ……こ、いびト。カエせ」
「この方は、貴方の恋人ではないわよ?」
トリトス王子と間違えているのだろうか。
「違アアああウゥ、アたシの男オォ、アダしのオォォ!」
「おオォじザまアアぁぁ!アタしぃのオオ!」
「ミンな、みみみ、みんナ、アタシ、あたシィのモノオオぉぉ!」
アルティリアの言葉を聞いて皆騒ぎ始めた。このミミ達は「思考」や「会話」という能力が著しく低いようだが、彼女の言う「恋人」はトリトスではなく、フェルディナンドようだ。
「オォじザマ返エェえ!」
しかし、奇声を上げながら、飛び付こうとしたのはフェルディナンドではなくレオンハートだ。
「寄るな、ブス!」
鮮やかなオレンジ色のドレスに身を包んだ、岩の塊のようなミミをレオンハートは容赦なく蹴り飛ばした。
レオンハートは王子でも、皇子でもない。彼女の言う「おうじさま」とは男性を指すのだろうか。また、彼女達はレオンハートの侮辱に酷く反応する。
「カワぃ、アタしィがイチばん」
「かやィ、カわい」
「ミミミ、みんナ、ブス」
「オマ、え、ブす。おまえガ、ブス」
それに対して、レオンハートは剣を抜いて、アルティリアを見る。
「この魔獣共への殲滅許可を求めます」
「許す」
答えたのはフェルディナンドだ。
「待って下さい、フェル兄様。レンも落ち着いて」
「リア、こいつらは存在する価値はないよ」
「そうです。生きていても害しかありません」
なんだか、二人はご立腹だ。何故って、二人はミミがアルティリアに対し「ブス」と言ったことを聞き逃していない。しかし、当の本人は気にしていない。
ただアルティリアの「待って」との言葉に従って、レオンハートは彼女達を斬らずに応戦している。
「ミミさん、わたくし達を解放してくれませんか?」
「ウルさい、ダまれ!カエせ、アタしの、オトコカエせ!」
「彼らはミミさんの恋人ではありません」
「ユるさない、ユルさない、ミンナゆるさないぃ」
「許さないのは、こっちだ!」
小さくなったフェルディナンドは怒りっぽいようで、手前にいたミミを持ち上げると、後ろにいるミミ達に放り投げた。ミミに押し倒されて転がるミミ達。
そして一斉にミミ達から怒りの声が上がる。
「アぁあアアぁああアア!あたシ、アたし、アタしダケ愛シテ!」
その叫びに応えるように地面が大きく揺れる。急激に湿地帯は乾き出し、大地がひび割れ、崩れ始める。
「あたシダケ愛シテ!あタシ、愛サナイなら、みんナ、ミンな、死んジャえエェえ!ミんナ死ネえェェえええエ!」
ミミ・フィットンはアルティリアもレオンハートもフェルディナンドも殺す気だ。もう会話による交渉は不可能だろう。
「仕方ないわね」
アルティリアが言うと足元に水が溢れ出す。その水は泥の上に現れたにも関わらず透き通っていた。
「フェル兄様もレンもこちらに来て」
アルティリアがフェルディナンドとレオンハートの手を握ると、水の勢いはさらに増し、波打ち始める。
「お願いしても、帰してもらえそうにないので、この世界ごと分解させてもらいます」
突如始まった満潮。
その原因がアルティリアにあると分かったのだろう。ミミ・フィットン達は一斉にアルティリアに襲い掛かろうとするが、大きなシャボン玉が現れ、アルティリア、レオンハート、フェルディナンドの三人を包み込む。
「さよなら、ミミさん」
世界は水で覆われていく。
「ごめんなさい」
ただし、謝罪の言葉はミミ・フィットンには届かなかった。
ここは意識で構成された異空間だ。そこには創造主の感情や意思が大きく反映される。その世界の主人たるミミ・フィットンは未熟どころか、己が魔女、もしくは聖女たる認識もないだろう。そこはただ、ミミ・フィットンの憤り、不満、嫌悪、欲望、彼女の仄暗い感情が込められてるだけだった。
アルティリアを嫌う理由は分からない。しかし、自分を深く呪っている事は理解できた。ミミ・フィットンは決してアルティリアを許さないだろう。だが、アルティリアはミミ・フィットンの憎しみに囚われ続ける事は出来ない。
ここはミミ・フィットンの心の世界。
「ミミさんに大きな影響がなければ良いのだけど」
シャボン玉の中で水で溢れていく世界を見つめながらアルティリアは呟いた。