カマドウマ伯爵の愛 03
社会的な死。
生物としての死。
カトゥマン伯爵に、その両方が訪れようとしている。愚かさが極まっている彼も、この期に及んで嘘や誤魔化しが通じるとは思えなかった。しかし、残念なことに彼は潔さを持ち合わせていなかった。
死にたくない。
無意識に体が動く。
本能は、足掻くことを選択したのだ。
カトゥマン伯爵が動いた瞬間、護衛騎士達の反応は遅れた。騎士も四人、護衛対象者も四人。騎士達はアルティリア、フェルディナンド、アークライド、シャーロットを守る事を優先させたのだ。その一瞬の遅れが、カトゥマン伯爵に幸運をもたらすことになる。
カトゥマン伯爵は逃げた。
一目散に。
テラスの植え込みに脚をかけると、高らかに跳躍する。その姿は、あまりにも無様で滑稽だった。騎士に蹴られた腹部が痛むため猫背になり、手足はだらしなく開いた状態で、飛び上がったのだ。
誰かが叫ぶ。
「ここは二階だぞ!」
そう、このテラスは二階にある。カトゥマン伯爵は忘れていたのだ。自分の想像以上に高い所から落ちてしまったが、悪運は強いらしい。路上を走っている馬車の上に落ち、衝撃が和らいだのだ。ただしバランスを崩し、馬車の屋根からも落ちてしまう。ベトリと地面に転がり、二度ほど痙攣をすると、むくりと起き上がった。
そして、ヘコヘコと間抜けな動きで走り始めたのだ。シャーロットはなんとも言えない嫌悪感が湧き上がり、気が付けば呟いていた。
「気持ち悪い」
フェルディナンドも同様だったようで、吐き捨てるように言った。
「まるで虫ケラのようだな」
「虫……そうだわ、分かったわ」
「リア、どうしたんだい?」
「あの方が飛んだ瞬間、何かに似てるなって思ったの、あの姿は……」
兄の質問にアルティリアは答えた。
「カマドウマだわ」
人としては間抜けな姿で、着地も失敗、しかし虫としては見事な跳躍であった。カトゥマン伯爵は生物の本能のまま、皇族という絶対的強者から逃走を成功させた。
真実の愛に見捨てられたルルはというと「こわぁい」と言って金髪の騎士にしなだれかかろうとしたところを避けられて、そのまま他の騎士に連行されて行った。
本日のお出掛けは残念ながらお開きとなった。また今度、お茶会をやり直しましょうとシャーロットと約束して別れた。
皇宮に帰宅すると騎士達はアルティリアに報告した。
「カトゥマン伯爵の行方は既に判明しておりますが、如何致しますか?」
ルヴァランの騎士がカトゥマンを逃すわけはない。カフェの外に待機していた騎士が追っていたのだ。
カトゥマン伯爵をすぐにでも拘束する事は可能だ。しかし皇族への暴行未遂、これまでの発言も加味すると反逆罪に問われるだろう。そうなると処刑一択だ。
シャーロット・ルシアムの元婚約者が処刑。
カフェでのやり取りで、シャーロットには何の罪もなく、むしろカトゥマン伯爵の被害者だと印象付けることは出来た。しかし処刑ともなると、シャーロットと公爵家との婚姻に水を差すどころではない。
アークライド公爵の弟ギルバートは家が所有する爵位の伯爵位を引き継ぎ、ルシアム家も貧困に喘いでいた領地の立て直しと、冷害に強い麦の品種改良の功績により、子爵位を賜る予定だ。
身分の隔たりは縮まるが、公爵家と新興貴族家の婚姻をよく思わない者はいる。
既にアークライド公爵家には姉のマドリアーヌが嫁いでおり、公爵家としてはこれ以上の権力の集中は避けたいと考えているし、皇室としても能力の高い人材との繋がりを強固にしたいという思惑もある。
何よりシャーロットとギルバートは互いを思い合っている。アルティリアもシャーロットに幸せになってもらいたい。
本人不在のまま爵位剥奪が望ましい。
「フェルディナンド様に相談しますか?」
考え込んでしまったアルティリアに騎士の一人が声をかけた。カトゥマン伯爵を蹴り上げ金髪の青年だ。
「フェル兄様はダメ」
アルティリアを無限に甘やかしてくるのだ、あの兄は。相談しようものなら、全部、フェルディナンドが解決してしまうだろう。
「マドリアーヌお姉様に面会を申し込むわ」
アークライド家にも関わる事だ。このままアルティリアの考えに従って進めて良いか、姉の意見も確認しよう。
「だから、もう少し、カトゥマン伯爵の動向を把握していて欲しいの」
「かしこまりました」
「それから。今日も、わたくしを守ってくれて、ありがとう」
アルティリアは本日同行していた騎士達に礼を言う。実際に自分を守ったのは彼らだが、シャーロットへの批判を避けるべく彼女に名誉を与えた。アルティリアの我儘で手柄を奪った形になる。せめて公ではない場所で彼らに謝罪をしたいと思ったのだ。だが皇族は簡単に「ごめんなさい」は言えない。
「姫君を守る事は当然ですから」
しかし騎士達は何故か嬉しそう。
アルティリアが明らかに貴族失格と言えるカトゥマン伯爵を、あえて煽り、不敬を問おうとしている事は分かっていた。そんな無茶をするのは騎士達への信頼があってこそだ。
「俺のお姫様は御立派に育っていくなあ」
アルティリアが自室へと戻った後、金髪の騎士は他の同僚に自慢するかのように言う。彼は士官学校入学前にアルティリアの遊び相手として、1年ほど皇宮に出入りしていた時期があった。
「馬鹿者。お前のお姫様じゃない、我らの姫君だ」
上官にそう苦言を言われるが気にしない。なんせ、自分は第二皇子がシスコンに目覚めたよりも前からの付き合いだ。士官学校へ入学し、四年間という、幼児にとっては長い期間離れていたが、賢いアルティリアは自分を覚えていてくれた。絆は深い。とても深い、海よりも。
只今、アルティリアの専属騎士として希望を出している。皇族は10歳の誕生日までに専属騎士を数名決めるのだ。果たして彼はアルティリアに剣を捧げることが出来るのか。叶えば叶ったらで、シスコン皇子が待ち構えている。
数日後、学園のカフェテリアにある皇族専用室にて、フェルディナンドは皇都新聞の見出しに掲載された文章を読み上げた。
「カマドウマ伯爵“真実の愛”への暴行」
カトゥマン伯爵は第三皇女への暴行未遂と反逆にも近しい発言により、本人不在のまま不敬罪で爵位剥奪となった。家、土地、家財一式、全ての財産は差し押さえられ、元々、カトゥマン領は皇宮の監督官が管理していたが、正式に皇室へ返還された。
現在、指名手配犯として逃走中である彼は資金を求めて、ルル・サットンの家に行き、贈った装飾品を渡すよう迫るが恋人ルルはそれを拒否。逆上した元伯爵により顔を殴打されるという事件が発生。ルル・サットンは命に別状はないが鼻がひん曲がってしまったとの事。カトゥマン元伯爵は何も奪えずに再び逃走した。
「凄まじい愛の結末ですね」
向かいに座るライルがコーヒーのカップを持ち上げながら言った。フェルディナンドは答える。
「愚か者共が相応しい最後を迎えただけだ」
不敬罪に問われたカトゥマン伯爵に対し、ルル・サットンはアルティリアに対して奇怪な発言を繰り返していただけなので、厳重注意に留められた。ただし、今後、アルティリアとシャーロットに接触しないことが条件だ。
しかし、ただでさえ、カトゥマン伯爵とシャーロットの婚約解消の原因となった醜聞まみれの娘が、皇女と未来の伯爵夫人に無礼をしたことは社交界に広まっている。もはや、まともな縁談は望めない。それどころかお家存続の危機だ。サットン男爵はルルを神殿に入れると決めた。その直後の事件であった。サットン家はもう虫の息である。
忘れてはいけないのがカトゥマン元伯爵の通り名だが、アルティリアの発言により、彼は「カマドウマ伯爵」と呼ばれるようになった。しかし、平民にとって「カマドウマ」という名称は馴染みがない。
「なあ、カマドウマ伯爵のことを知ってるか?末の皇女様に暴力を振るおうとして不敬罪になったらしいぞ」
「末の皇女様って、まだ9歳でしょう?そんな小さなお姫様に乱暴するなんて最低な男だね!」
「騎士に蹴られて、ピョンピョン飛び跳ねて逃げたからカマドウマなのさ」
「カマドウマって何?」
「ほら、アレだよ、あの虫だ」
「ああ、よく、あそこにいる虫な」
むしろ、平民の間では俗称にちなんだ通り名で呼ばれるようになる。
「便所コオロギ伯爵」だ。
しかし市井の情報に詳しいライルは知っている。最近では、また通り名が変化した事を。
「でもさ、もう伯爵じゃないんでしょう」
「なら、伯爵なんて言わなくても不敬じゃないだろ」
便所コオロギ伯爵は呼び名としては長過ぎるようで。
奴は「便所男」へと変化した。
コオロギはどこへ行った。
もはやただの悪口である。
平民の友人に言わせると、皇族だろうが平民だろうが、小さな子供に暴力を振るう男は、便所で充分だそうだ。言いたい事は分かるが、素直に糞野郎でいいんじゃないか。
しかし、そんなことは些細なことで、アークライド公爵の弟ギルバートとシャーロットの結婚式の日取りも無事に決定し、大団円となった。
ところが一連の事件で、ただ一人胸を痛めている者がいた。
アルティリアだ。
アルティリアはシャーロットのために、皇族の一員として、あれやこれやと動いた。10歳にも満たない幼い皇族としては充分だとフェルディナンドも褒めまくった。
しかし己の不用意な一言で、罪なき虫が、あの碌でもない男の通り名となってしまった。アルティリアは植物や昆虫、生き物がとても大好きな女の子だった。
アルティリアにとってカトゥマン元伯爵はカスだが、カマドウマは身体能力の優れた素晴らしい昆虫なのである。
ミミズだって、オケラだって、カマドウマだって。
みんな、みんな、友達なのだ。
皇族としては発言には人一倍気を使っているつもりだった。しかし一度言ってしまった事は取り返しがつかない。
カトゥマン元伯爵の暴力事件の掲載された新聞を読んで、彼の通り名を知りショックを受けた。その日の夜、己の愚かさ、無力さに打ちひしがれ、枕を濡らした。
「ヒウッヒウッ」
ごめんなさい、カマドウマ。
翌日、早々に母への面会を求めた。これ以上は自分の手には負えない。ルヴァランの慈悲深き月、皇后フローリィーゼに助けを求めた。
突然、末娘に面会を求められ、母の直感は鋭く働いた。その日のうちに時間をつくり、娘に会えば、僅かだが目が腫れている。なんてことだ、我が娘を泣かす者。断じて許さぬぞ。
「お母様……」
「どうしたのアルティリア、母様に話してごらんなさい」
そっと髪を撫でながら、聞けば、あの忌々しいカトゥマンが原因ではないか。フローリィーゼはこの一件を聞いてから、腑が煮えくり返っていた。アルティリアの皇族として成長する機会なので手を出したいところを我慢していただけなのだ。影を放ち、切り刻んでやりたいほど怒っていた。
ウチの子を虐める輩は赦しません。
とは言え、公爵家の婚姻の事を考えると、カトゥマンの死体が川に浮かぶのはよろしくない。今はまだ。
フローリィーゼはすぐに親しい夫人を招いた茶会を開く。そしてアルティリアにカマドウマの生態を説明する機会を設けた。
「カマドウマは素晴らしいのです。たった2cm程の大きさなのに、3mの高さまで飛べるのです」
アルティリアは一生懸命にカマドウマの素晴らしさを伝える。虫など、苦手なご婦人も多いが、実物を見せずに言葉だけの説明なので、嫌悪感を抱かず聞いてくれた。
「人間でいうと200mの高さまで飛んでしまう事と同じなのです」
「まあ、それはそれは」
ご婦人方は皇后と懇意の者達ばかりだ。言葉にせずとも、彼女達はフローリィーゼの意図を明確に理解した。
かしこまりました。カトゥマン元伯爵は虫以下という事でございますね。
ご婦人方の噂回線によりカマドウマの身体能力は社交界に広まり、小さな昆虫の名誉は回復した。同時に第三皇女の昆虫好きも広まって、著名な昆虫学者のファービル教授からサイン入りの昆虫記が贈られアルティリアの宝物となる。
そして……
ルヴァランでは、カトゥマン元伯爵は虫よりも格下の生物となり。「こんな風になったらいけないよ」と親から子へと語り継がれる事となった。
フローリィーゼ「“お母様、カマドウマを助けて”ですって、ふふっ」
アレクサンドロス「何故、余の所に来ないのだ」
フェルディナンド「何故、俺の所に来ないんだ」
セイン「お二人は甘やかし過ぎるからです」
ルヴァラン皇国シリーズに【ルヴァラン皇国物語の後書きや人物紹介みたいなもの】をアップしました。
物語に対して作者が好き勝手に言ってます。
カトゥマン元伯爵やルルのその後も書いてますので、良ければ覗いてみてくださいな。