種は芽吹かない 15
愛する家族や自分を守ってくれている騎士、身の回りの世話をしてくれる侍女達。アルティリアにとっては大切な人達だ。彼らのことを忘れてしまうなんて。
「これも呪いかしら?いくら可愛い子達がたくさん現れたからって、わたくし、どうかしてしまっているわ」
実際は小さいはずの両生類や昆虫達、彼らが自分と同じか、それよりも巨大化した状態で現れるのだ。胸が弾んでしまう。
数時間以上は滞在しているだろうが、空白も喉の渇きもない。ぬかるみは歩きにくいが、アルティリアにとってここは素敵な不思議な国だ。
「こうやって現実世界と引き離そうとしてるのかしら」
ここには、モフモフはいないが、アルティリアの心を捉えてしまうヌメヌメやカサカサやニョロニョロがいっぱいだ。
「ん、モフモフ?」
モフモフ、モフモフ……
「リーフ!」
異国の地よりルヴァランへ移住してくれることになった、お猿の友人リーフを忘れるなど、なんという体たらく。
「なんてこと」
そう呟いて、視線を落とすと、ぬかるんだ地面からニュルりとヘビに似た魚が姿を現した。その数は10匹以上。ゆらゆらと揺れながらアルティリアを見下ろす。
「海蛇ではないわね?貴方達は確かチンアナゴね」
巨大チンアナゴの登場であったが、アルティリアは言った。
「申し訳ないのだけど。わたくしにはリーフがいるの」
浮気はいけない。アルティリアはもうリーフ一筋なのだ。記憶が薄まる前に、帰還の方法を探らねば。
「リーフ、リーフ、可愛くて賢いお猿のリーフ」
忘れたくない者達を意識しつつも、同時に異空間の分析をしていこう。思考が一方に偏ると、記憶が飛んでいってしまうかもしれない。
「あら、何かが光っているわ」
少し先にユラユラと光る物体が漂っている。あいにく周囲は薄暗く、その光の正体を肉眼で確認することは出来ない。その発光物は段々とこちらに向かってきており、突如足元がグラリと揺る。
「キャッ」
反射的にアルティリアは背後に飛ぶ。直後、巨大な岩が現れ、中心が開き、上部と下部に鋭利な乳白色の石が並んでいるのが見えた。
「あれは“歯”だわ」
巨大過ぎて全容が確認できなかったが、距離を取ったとことで、その全身を見ることが出来た。
ごつごつとした黒褐色の丸みを帯びた体。確か、深海魚の一種で、頭部にある発光器で餌を引き寄せ捕食する魚がいると本で読んだ事がある。
その魚に似ている気がしたが、顔はどこか人間じみており、ヒレの代わりに人の手が生えている。前に2本、後ろにも2本手あり、四つ足ではなく、四つ手の生き物であった。
「魚類にしては、顔が人の女性のよう」
先ほど開いた口には唇もあり、アルティリアを見つめる瞳も人のそれに近い。
……と考えながら、アルティリアは気が付いた。
「大変、わたくし、食べられちゃう」
意識のみの状態とはいえ、ミミ・フィットンの創った異空間で殺されてしまうのは危険極まりない。悪夢から目覚めて「ああ、怖かった」では済まないだろう。
「ごめんなさい、またね!」
アルティリアは逃げる事にした。幸い、あの魚を避けた時、足腰に強化魔法を掛ける事が出来ていた。クルリと踵を返すと、急いでその場を離れる。しかし、あの魚はアルティリアを諦めていないようで、大きな振動を立てながら追ってくる。
「よほど、お腹が空いているのね」
だが、食べさせてあげる訳にもいかない。このまま逃げ切れなそうであれば、攻撃をする他ないが、アルティリアは攻撃系魔術は会得していない。これは魔法の才能が外部に漏れないよう、実践的な魔術を控えているためだ。
その時、深海魚がアルティリアを口に納めようと、速度を上げてきた。アルティリアは足に魔力を集中させ高く飛び上がる。降りたところは深海魚の背。
魚はアルティリアを振り落とそうと激しく体を揺らす。アルティリアが魚の背に捕まりながら、手に魔力を集中させると、刃渡り20cm程のナイフが現れる。魔術ではなく、魔法による生成だ。
「わたくしの魔法も使えるのね」
この大きな体に対して、かなり小さなナイフだが、痛みに驚いて逃げてくれれば、それが一番だ。
「ごめんなさい」
そう言って、ナイフを振り上げたがアルティリアは腕を下すことが出来なかった。自分が捕まっている背にある突起は妙に長く、魚の体の一部というより別の生物が融合しているように見えた。
「そうだわ。この魚、産卵する時は雄が雌に寄生するのだったわ」
恐らく雄であろう突起物は魚の体に複数へばり付いている。だが、アルティリアがナイフを突き立てる動きを止めてしまったのは、それが理由ではない。
融合された雄達が人間の形をしているのだ。
そして、その姿には見覚えがあった。
「……トリトス王子」
ミミ・フィットンの恋人、メールブール王子トリトスだった。
そばにある別の突起物はヴェント令息。他は見なくても、ミミ・フィットンの取り巻きの令息達だろうと予測がつく。
「独特な愛の形ね……あっ」
深海魚が激しく体を揺すり、その弾みでアルティリアは背から振り落とされさらに舞う。
姉達との会話を思い出していた。
「踵で足を踏ん付けてやるのよ」
あれはマドリアーヌが社交界デビューから二年ほど経った頃ではないだろか。
「思いっ切り体重をかければ、脚の指くらい折れるわ」
万が一護衛と離されてしまった時の不審者撃退法をマドリアーヌは教えてくれた。だがカトレアナは踵が高い靴でないと骨を砕くのは難しいと言い。
「小指を掴んで、この方向に曲げてやれば簡単にポキッといくのよ」
姉達はまだまだ小さい自分に護身術を教えてくれたのだが……
「お魚には有効ではなさそうです」
魔獣を相手にする場合にも備えておくべきだった。いつも、兄のフェルディナンドや護衛騎士のレオンハート達が側にいてくれたから。
「甘え過ぎていたんだわ」
しかし背中が沼地に叩き付けられる直前、背後から何かがアルティリアを受け止めた。
「甘えればいい」
自分をしっかりと抱き留めた人物の声は、とても聞き慣れた声だった。
「お、お兄様?」
振り向けば、その姿は紛うことなく兄のフェルディナンド。
「可愛い私の天使、会いたかったかい?兄様もだよ」
そう言って、自分をギュウと抱き締め、顔を寄せ付ける言動もフェルディナンド。
「どうして……」
そう言い掛けた時、憤怒の表情の魚が迫っていた。その顔はまるで嫉妬深い女が恋人の浮気を目撃したようだった。だが、アルティリアはさらに驚く事になる。
突如、金髪の男がマントを翻して、自分の前に現れると、悋気を起こした魚の顔を蹴り飛ばしたのだ。
「アルティリア様に近付くな、この化物」
魚は数十メートルほど先まで、弾き飛ばされ、激しく泥水が飛び散る。
「ご無事ですか?」
ルヴァラン騎士団の騎士服、剣が納められた鞘にはアルティリアの護衛騎士である証の睡蓮の金飾り。
「……レン」
「はい、レンです。お会いしたかった」
アルティリアの知っているレンにしては、彼は自分の感情をはっきりと表現する。そして、フェルディナンドに抱きかかえられたアルティリアに手を伸ばした。
「さ、姫君、こちらへ」
しかし、フェルディナンドは「渡さん」とでも言うかのように後ろへ下がる。
「……フェルディナンド殿下、アルティリア様は私がお運びします」
「君は護衛任務があるだろう。リアは私に任せるといい」
「いえいえ、皇子殿下にお任せする訳には」
「いやいや、妹の面倒をみるのは兄の義務だ」
何故、二人がここにいるのだ?ここは意識の世界のはずだ。フェルディナンドやレオンハートが侵入出来るはずがないのだ。そうなると考えられるのは。
「あの!」
「なんだい?」
「なんでしょう?」
アルティリアのどちらが運ぶかという、非常にどうでも良い争いを繰り広げる二人に声をかけると、彼は同時に自分に視線を向ける。
「もしかして、二人は、わたくしが生成したのかしら?」
「そうだよ」
「そうです」
アルティリアは思った。
自分が生成した二人なら何故、こんなにも、しょうもない事で争うのかと。
「さあ、フェルディナンド殿下、アルティリア様をお渡しください!」
「断る、断じて断る!リアは兄である私が肌身離さず連れて行く!」




