種は芽吹かない 14
敗戦どころか、ゴドラ滅亡が近付きつつあった。だが恋に浮かされたシシィは諦めなかった。
魔女達はシシィに接触したと言う。
「このままでいくと破滅するわよって伝えたんだけど」
ゴドラの侵略はシシィが行ってきたと言われているが、実際はシシィの影響力を利用し、支配階級にいた男達が勢力を拡大してきた一面もある。
魔女達はシシィには再起の機会を与えるべきだと結論に達した。ただし、魅了の力を制御することが可能になるまでは、人との関係を全て断つ事。それが魔女がシシィを同胞として受け入れる条件であった。
「でも、断られちゃったの。“あの方を諦めるなんて出来ない。想い続けていれば必ず通じ合える”って」
人間社会との決別は想い人との別れでもある。またシシィは魅了の影響により、幼少の頃より周囲に愛されて、己の願いが叶わない事はなかった。例え、愛する男に妻子がいようと、敵国となって自国を攻めてこようとも、必ず結ばれると信じていたのだ。
魔女達が伸ばした手をシシィは拒否した。
拒まれてもなお、魔女は救う事はしない。
戦争はルヴァランがゴドラの王都に攻め込み、王宮が占領され皇国の勝利で終結。シシィは王配と共に自決したと言われている。
「本当のところはね、皇帝君が自分を迎えに来てくれたと勘違いして、おめかしを始めたシシィちゃんに悋気を起こした王配さんと愛人君達が無理心中を起こしたのよねぇ」
魅了されているとは言え、愛する女のために命をかけていたのだ。喜んで敵を迎え入れようとする聖女を見て愛しさよりも、怒りが勝った。
「魅了とは恐ろしいですね」
そう言ったのはレオンハートだ。
聖女シシィは間違いなく傾国の女だ。本人は魅了という力を使用している自覚はなかったのかもしれないが、多くの国を巻き込み、世界を混乱に陥れ、ゴドラという大国を滅亡させた。
「ただ、誤解のないよう言っておくけど“魅了”は極めたとしても、相手を意のままに操る術ではないわ。シシィちゃんの信者もトリトス王子も自分達の意思で行動しているのよ」
「では魅了されていたとしても、行動の結果は本人達に責任を取らせるべきですね」
フェルディナンドの言葉に魔女は答えず、口の端を釣り上げるだけであった。そしてベッドに横たわる弟子に視線を移す。
「それにしてもアルティリアちゃん、随分と嫌われているわね。フェルディナンド君とレオン君の事はきっかけでしかないかもしれないわ」
妙な因果だ。魅了の聖女が焦がれた皇帝と、皇帝の心を捉えて離さなかった皇后の血を引くアルティリアとフェルディナンドの前に、再び魅了の力を持った女が現れた。そしてレオンハートも遡れば皇族の血を引いている。業が深い。
「さてと、私はそろそろ行くわね。こんな事は初めてだから、相談しないといけないわ」
才能を持った者が、魔女の弟子に呪いをかけるなど、これまで起きた事はない。魔女は素質のある者を同胞として保護してきた。しかし、同時に仲間を傷付けることを堅く禁じている。
「お待ち下さい。アルティリアを救うにはどうすれば!」
「ふふ、フェルディナンド君は心配症ね。私の弟子が“なりそこない”の呪いに負ける訳がないわ」
そう言うやいなや、魔女の体の周辺にオリーブの枝が伸び、葉が生え始める。
「では、我々が皇女殿下のために出来る事はありませんか?」
「信じて待っていてあげて。アルティリアちゃんなら、意外と楽しんでるかもしれないわ。ああ、でも……」
レオンハートの質問に魔女は意味ありげな微笑みを浮かべつつ思案する。
「フェルディナンド君とレオン君の魔力をアルティリアちゃんの体に流してみたら?皇族の血は独特だから、意識を引き寄せる事ができるかも……」
意識と体を分離されてしまったアルティリアだが、肉体を通して彼女の魔力を繋げる事で反応が見られるかもしれない。
魔術師や錬金術師など、魔力が枯渇した場合、魔力の質が似た者から供給されると回復が早まる。特に親族は魔力の質が非常に似通っている傾向があり、効果が高い。今回も、同様に親族の魔力で行った方が可能性は高まるだろう。
特にルヴァラン皇族の血族は古く、特殊な傾向がある。フェルディナンドは勿論のことだが、レオンハートは先祖返りの特徴があるため、予想外の効果が得られるかもしれない。
一方、魔女の言葉を聞いて、素早くジャニスとレネはベッドの両端に移動し、ナイトレイとロゼッタは直ぐにフェルディナンドとレオンハートを制止出来る位置に立った。勢い余って、幼い姫君に成人男性二名が縋り付かないようにするためだ。
「あ、添い寝しなくていいわよ。手を握ってあげて……じゃあね」
そう言って、魔女はオリーブの枝に包まれ、葉が散ると消えていた。
魔女の言葉に臨戦体制に入った側仕え達は胸を撫で下ろしたのだが、両端から姫君の手を掴んだ男達は非常に煩かった。
「兄様だよ!私の天使、早く戻っておいでー!」
「アルティリア様ー!レンですー!」
耳元で兄と護衛騎士が大声を張り上げている頃、アルティリアは無限に広がる湿地帯を走っていた。泥まみれになりながらも必死で足を動かす。
目の前には、ヌルリとした黒い体の四つ足の生き物がいた。両生類に似た生物であったが、それは余りにも大きかった。自分と同等、いや、それ以上だ。突如現れた巨大な生物にアルティリアは驚き……
「待ってー!」
多くの女性ならば悲鳴を上げるところだが、お姫様は嬉々として追いかけた。
「シリケンイモリそっくりだわ!すごいわ、どうして、あんなに大きいの!」
巨大イモリを見つけた瞬間、童心にかえっていた。
虫やカエルや蛇など。皇族たるもの追いかけてはいけない。そう言った腕白行為は3歳までに卒業した。しかし、ここでは、それを咎める者どころか誰の目もない。
「えいっ」
アルティリアは足に力を込めて飛ぶ。体はそのまま泥の中に突っ込み、周囲に泥が跳ねる。ここに侍女達がいたら悲鳴を上げて卒倒しただろう。やんごとなき皇族の姫君が泥まみれだ。
しかしアルティリアの手の中には確かな手応えがあった。姫君は巨大イモリの尻尾を捕まえていた。
「ふう、少し貴方を見せてくれないかしら?」
尻尾と背中を押さえつけながら、捕獲したイモリに丁寧にお願いする。体には赤黒い斑点が散らばっていた。
「素敵、可愛いらしい水玉模様ね」
また、その背に小さな亀裂が多数あり、ピクリと動いて、それらが開くと、中から黄土色の瞳が現れ、アルティリアと視線が絡む。
「まあ!貴方、背中に目があるの?魔獣種かしら」
目玉を潰してはならないと背中を抑える力を弱めると、ここぞとばかりにイモリはアルティリアの手から離れ逃げ去ってしまう。
「ああ、行ってしまったわ」
可愛らしい友人が出来たと思ったが、すぐにひとりぼっちになってしまった。
「嫌われてしまったのかしら」
そもそもアルティリアは皇族という立場もあって友人が少ない。自分の遊びお相手としてやってきたレオンハート達と親しくなれたことも、今となっては幸運だったと思う。フェルディナンドは「兄様がいつでも遊んであげるよ!」などと言っているが、兄と友人は別物だ。
「あら……友達?レン?フェル兄様?皇族?」
アルティリアは唐突に思い出した。
今、この瞬間まで、レオンハートやフェルディナンド、自分が皇族で、ここは己がいるべき場所ではなく、帰還の方法を模索していた事を。
「記憶が……消されてる?」