種は芽吹かない 13
「嫉妬?」
フェルディナンドは魔女の言葉を繰り返した。
「このドロドロ、ねばねばした魔力には濃厚な怒りが込められてるの。アルティリアちゃんの周りで女性から異様な執着を向けられそうなのは、貴方達のどちらかじゃないかしら?」
フェルディナンドもしくはレオンハートに拒絶された怒りにより、彼らの大切な妹もしくは主人であるアルティリアに怒りを向けたのではないかと魔女は言う。
「魔女殿、宜しいでしょうか?」
「なあに、隊長さん」
ナイトレイはミミ・フィットンがフェルディナンドに秋波を送り、レオンハートも誘っていた事を把握しているが、トリトス王子を捨てるほどの意思が彼女に合ったとは思えなかった。
「一応、ミミ・フィットンはメールブールの王子の恋人なのですが」
「あらまあ、王子様の恋人の心を奪った罪づくりな人はどちらなのかしら」
魔女がフェルディナンドとレオンハートを視線を向けると、二人は不本意そうな顔をつくる。ミミ・フィットンの好意など迷惑でしかない。おまけに、ミミと接触したのは先日の夜会が初めてだ。
「恐らく、お二人ともです」
そう言ったロゼッタに視線が集まる。
「私の個人的見解ですが、ミミ・フィットンはフェルディナンド殿下もダーシエ卿にも執着していると思われます。また、トリトス殿下との関係を清算するつもりもないでしょう」
「あら、多情な子なのねぇ」
「複数の愛人を囲い込みたいという、欲望を持った人間は男女関係なく存在してます」
宗主国の皇子や騎士を同時に得たいと考えるなど、非常識も甚だしいがミミ・フィットンの傲慢かつ不遜な振る舞いはそう望んでいるとしか思えない。
ロゼッタがかつて捕縛した犯罪者の中には見目麗しい少年を何人も囲っていた中年女性もいた。ミミ・フィットンも同類ではないかと感じている。
「トリトス王子の側近三名はミミ・フィットンの取り巻きも同然です」
フェルディナンドがミミ・フィットンを取り巻く現状を説明すると、魔女は再びベッドに眠る弟子に目を向ける。
「なるほど、そのミミさんの力は精神や呪術に特化しているようねぇ」
現にアルティリアも意識のみを攫われた状態だ。
「精神というと?」
「ミミさんの恋人や取り巻きさんは彼女の“魅了”の影響を受けてるかもしれないわ」
「……神殿では禁術とされていますね」
魅了魔法は神聖魔法の一つに分類されるが、歴史上数えるほどしか使い手はおらず。人の心を操るとされ使用禁止となっている。
「魔女殿。ミミ・フィットンが魅了を使用しているとして、私やフェルディナンド殿下に影響がないのは何故でしょう?」
レオンハートからすると一切魅力を見出す事ができないミミに対し、好意的なトリトス達を異常に思っていたが、それが魅了の影響ならば納得は出来る。しかし、自分やフェルディナンドに効果がないのは何故か。
「1を10や20に底上げする事は出来ても、0を1にするのは困難よ。ミミさんの魅了は多少なりとも好意を抱いてる相手でないと効果がないようだわ。独学の限界ということね」
ただの平民であるなら、ミミ・フィットンの容姿は優れている方だ。貴族になる前ならば、ミミの信者はもっと多かったかもしれない。しかし、容姿の整った者が多い貴族社会では特出してるとは言い難い。また、多少、可愛らしいだけでは認められないのが貴族だ。
「しかし“少しばかり見目が良い”程度の売女に引っかかった馬鹿が、よりによって王族と高位貴族の令息だとはな」
フェルディナンドは不愉快そうに吐き捨てると、魔女は意味ありげに笑う。
「あら、場合によっては国の一つや二つ手に入れられるのよ。昔ね、シシィって子が魅了の力で女王になったこともあるのよー」
魔女の口にした「シシィ」という名。フェルディナンドも親衛隊達も侍女も覚えがある。ただし、その名前は歴史上の人物だ。
「魔女殿、それはゴドラの淫婦シシィの事でしょうか?」
ルヴァランが強国の一つとして名を連ねる戦争の発端となった女。
フェルディナンドの問いに魔女は答える。
「そうそう、その子よ」
シシィという女性の出自ははっきりとしていない。下位貴族出身か、平民出身か。奴隷だったとも言われる。当時の大国ゴドラ王家により聖女と認められ、国王の妃となったシシィ。
ゴドラ国内で、数々の「奇跡」を起こし、人々の心を救い、多数の信者に崇拝されていたというが、具体的にどのような奇跡を起こしたかは、どの書物にも知らされていない。
記録によると聖女シシィの前に立つと、胸は熱く焦がれ、幸福に満たされ、かつて味わった事もない充足感を得ることが出来たという。フェルディナンドは歴史書を読んだ際、麻薬や幻覚剤などを使用した詐欺師だと考えていた。
しかし、そのような支持者の多い聖女を大国の王家が放置するはずもなく、シシィは王家に輿入れとなる。ところがミイラ取りがミイラになった。王族もシシィの崇拝者となってしまったのだ。国王はシシィに王位を譲渡し、自らを王配とした。本来、側室妃が住まう後宮には、女王シシィの愛人達が集うようになる。その愛人達も、大臣達や将軍、隊長職の騎士など、見目麗しい若者だけでなく、権力者や実力者も存在していた。
シシィは強欲な女だったと言われている。
ゴドラの支配だけでは満たされず、他国にもその手を伸ばす。金銀、宝石の鉱山、質の良い酒の原材料を生産する荘園や醸造所、絹織物の工房、美食を謳われる港町。欲しいと思ったものは、どんなものも手に入れる事ができた。その能力を持った男達が彼女の崇拝者なのだから。
しかし翠の魔女から見たシシィは、視野が狭く、思い込みは激しいが、何事にも一生懸命で、嫌と言えず、流されてしまう女性だったという。
「実際はシシィちゃんの気を引きたくて、男達が争うように献上してただけなのよ」
シシィは男達から愛を求められれば全て受け入れた。男達は少しでもシシィの寵愛を得ようと画策し、それに伴いゴドラは勢力を拡大する。
そのシシィが唯一、自ら望んだのは帝位を継いだばかりの若きルヴァラン皇帝であった。
「皇帝君、カッコ良かったのよねぇ。シシィちゃん、初恋だったみたいよ」
勇猛果敢にして、思慮深く、才気に満ちた美丈夫であったという。聖女シシィを愛する男達はすぐに行動に移した。彼らはルヴァランへ書状を送る。
その内容は……
皇帝、並びにルヴァランは聖女シシィとゴドラへ降れ。聖女に望まれた名誉を誇るがいい。ゴドラと聖女に全てを差し出し、我らに尽くせ。
侮辱以外の何者でもなかった。この要求をルヴァランは宣戦布告と受け取る。これが開戦始まりだった。
「ルヴァランはゴドラを拒否しました。それは当時の皇帝には魅了は効かなかったと考えて宜しいのでしょうか?」
「ええ、皇帝君には奥さんもお子さんもいたしねぇ。愛妻家だったから、恋人が沢山いるシシィちゃんには嫌悪感しなかったようよ」
0どころか、好意はマイナスであった。
戦況は初めこそ、大軍を誇るゴドラが優勢であったが、徐々に劣勢へと傾いてゆく。男目当てに戦争を起こすシシィへの不信感が兵士に広がり、逃亡兵が続出したのだ。これはルヴァラン側の工作員によるプロパガンダ作戦の一つであった。上層部に比べ、末端の兵士にシシィの魅了の影響が少なかった事も功を奏したのだろう。
戦巧者であった皇帝の元、ルヴァランはゴドラ軍を翻弄。その頃、すでにルヴァランの剣であり盾と呼ばれたダーシエ家も存在しており、次第にゴドラは追い詰められていく。
またゴドラ支配下に置かれた国々に皇帝は秘密裏に接触。それらの国々は強欲と好色の聖女の配下でいるよりも、ルヴァランに与することを選択した。
国内でも反聖女派が反乱を起こし始める。この反乱もまた、ルヴァランの扇動によるものであった。ゴドラ戦争の陰で活躍したこれら工作員を束ねていた男が現在のチャングリフ家の初代である。




