種は芽吹かない 12
そこは暗く澱んでいた。地面は酷くぬかるんでおり、アルティリアの足首は泥に沈んでいる。ゆらゆらと目の前を漂っているのは藻だろうか。息苦しくはないが、まるで濁った沼の底にいるようだった。
その空間が支配している魔力構成を分析する。
「魔女様やわたくしが創る異空間と近いわね」
記憶ではブリエロアの船室で夜会のドレスの確認をしたはずだった。真珠と珊瑚が、布に接している箇所から黒く霞み始めていると気が付いた瞬間、視界が暗転し、意識が戻ると、ここに立っていた。
「夢を見ているような感覚にも似てるかしら」
だとしたら悪夢に分類されそうな光景だとアルティリアは考える。しかし夢の割にはよく出来ていた。
これらは魔術では創り得ない現象だ。間違いなく魔法だろう。ミミ・フィットンは聖女の資質と魔女の才を持っている。
しかし、この状況から察するに……
「わたくし、とっても嫌われているのね」
夜会での振る舞いを見ていて、敵意を持たれている事は間違いなかった。だが、一般的に悪夢に相当しそうな空間に連れ込まれるとは。これは呪いに近い。
「どうしたものかしら」
肉体ごと連れて来られたのか、精神のみ連れて来られたのか。それによって対処も変わる。
「んー」
ふと、思い付いて頬をギュッとつねる。
「なるほど、痛くないわね」
これは意識のみ引っ張られたと言って良いだろう。精神だけの世界で、痛みまで再現する事は非常に難しく、鍛錬が必要だ。師匠である翠の魔女なら可能だろうが、彼女なら、そのような回りくどい事はせず肉体ごと攫う。
また、アルティリアが着ている服、黄ばんだ灰色の布地に、装飾どころかボタンさえ付いていないワンピースは厚みがあり、一見ごわついてそうだが、特に着心地が悪いとも感じない。
そして泥にはまっているはずの足を引き上げても汚れは付いてこない。
細部に渡る創り込みは甘く、触覚を感じさせるところまでは至らない。アルティリアのように指導者がいる訳ではないようだ。
恐らくミミの巨大な敵意が呪いを創り上げ、アルティリアの意識を別の世界に閉じ込めてしまったのだと思われる。しかし、意図せずにここまでの魔法を可能にできるものなのだろうか。
「なんだか、ちぐはぐなのよね」
大雑把でありながら大掛かり。
「もしかして、彼女なりの呪術によるものかしら」
夜会の最中、殆ど無視されて、呪いになるような言葉はかけられていない。された事と言えば、大きなガラスに入った水を浴びせかけられた事だが、魔術師や医師に確認してもらっても普通の水であると判明していた。
「違うわ。ただの水、ただの水だから成立したんだわ」
かつて師匠は言っていた、魔法を扱う者達にとって自然物は相性が良い。木や植物、石、昆虫や動物まで。
「水も魔法の媒体になると魔女様は仰っていたもの」
ミミ・フィットンの性格から察するに、これまでも彼女を不快にした者に対し同様の事をしていた可能性が高い。
これほどの資質があるのなら、それは相手に何かしらの不調を起こしていただろう。それは彼女なりの小さな呪いと細やかな嫌がらせに過ぎなかったのかもしれない。
しかし今回はアルティリアへの憎しみの高まりと、水をかけるという行為が奇跡のように重なり、この巨大な呪いの発動に至らせた。
アルティリアとの出会いがミミ・フィットンの力を高めてしまったのだ。
現在、ミミ・フィットンの能力に気付いている者はいないだろう。しかし、今後、誰かに見出される可能性は非常に高い。かつて聖女とされた女性が王族に嫁いだ事例はある。
「だけど皇族としては認め難いわ」
ミミ・フィットンの気質は王族の一員となるに相応しいとは言えない。戻り次第、フェルディナンドと師匠に相談せねば。
「でも…… どうやって帰ろうかしら?」
見渡す限り、ドロドロとした湿地帯が広がっていた。アルティリアが頭を悩ませている頃。
「砲撃準備。いや、父上に殲滅戦の許可を……」
フェルディナンドはメールブールを海の藻屑にしてやりたいという欲望に襲われていた。ブリエロアに到着してすぐ、アルティリアは倒れ、意識を失ったままだ。
「殿下、島にはまだガーランド殿を始めとした皇国貴族が多数残っております」
「ああ、分かっている。攻撃を仕掛けるのはルヴァランの者達を全員退去させてからだ」
「冗談でもそのような事は……」
「ああ、リアが聞いたら叱られるだろうな。私の天使は優しいからな」
静かに返事をするフェルディナンドだったが、これは怒り狂ってるいる状態だと、侍従のフランクも感じていた。第二皇子は怒りが深くなればなるほど、静かに穏やかになっていくのだ。
眠っているようにしか見えないアルティリアだが、一向に目覚める気配はない。毒物でも魔術でもない「何か」が皇女の襲った。
皇女が目覚めなければ、兄皇子だけでなく、皇帝も許すはずがない。フェルディナンドの言葉は現実のものとなるかもしれない。
「フェルディナンド様、ナイトレイ隊長がお話をと申しております」
「すぐに行く」
フェルディナンドがアルティリアの部屋に向かうと、皇女の親衛隊と妹の侍女が二名おり、中央のテーブルに白い鉢植が置かれている。それは40cm程の小さな大きさだがオリーブの木だ。
「魔女殿と連絡が取れそうです」
ナイトレイの言葉に反応するように、オリーブの木が揺れると葉の側に実がなり、木が急成長を始める。枝が伸び、葉が生え、それは段々と人の形を創り始めた。
頭部に白い髪が伸び、美しい女性の顔が現れる。葉の刺繍が施された衣装を身に纏い、ラグの上に降り立った。瞼が開き、エメラルドのような瞳が皆を見つめる。
「お久しぶり。皆んな、お元気そう……ではないわねぇ」
アルティリアの師、レイフィットに住む翠の魔女だ。
「お呼びだてして申し訳ない」
顔色の悪いフェルディナンドが言うと翠の魔女はコロコロと笑う。
「いいのよ、私達のお仲間かもしれない子がいるのでしょう?」
「その件ですが、場合によっては、その者と皇国は敵対する可能性があります」
「穏やかではないわねぇ」
微笑みを崩さないまま、翠の魔女は目を細める。
「こちらへ」
フェルディナンドは続き部屋である寝室へと魔女を案内した。豪奢なベッドに横たわるアルティリアを一目見るなり魔女は言う。
「あらまあ、アルティリアちゃん。呪われてしまってるじゃないの」
一見、穏やかに眠っているようだが、妙に粘り気のある魔力がアルティリアにこびり付いている。荒削りだが、力のある呪術が完成されていた。
「魔術による呪いではありませんね?」
「間違いなく魔法ね」
フェルディナンドの問いに魔女は答える。
これほどの魔法が使えるのならば、仲間の誰かが、この呪術の使い手の存在に気が付いても良いはずだ。しかし、それがなかったと言う事は、ここまでの力を発揮したのはこれが初めてなのだろう。
訓練を積んでいない者が、突如能力を飛躍させる時は、大抵が心を大きく揺さぶられる何かが起きる事が多い。
喜び、哀しみ、怒り。
さて、この情念を煮詰めて圧縮したような魔力がアルティリアに襲いかかったと言う事は……
魔女はフェルディナンドとレオンハートを交互に見る。
「貴方達、どちらか、最近、女の子をこっぴどくフッた?」
「いいえ」
「いいえ」
「あらー?」
【お知らせ】
この後に続くお話が中々纏まらないので、練り直してます。次の更新は時間が開いてしまいますが、1週間くらいで再開できるといいなと思ってます。よろしくお願いします。
2025年7月10日 喬木まこと




