種は芽吹かない 11
テティスは追求を緩めず、さらに問いかけた。
「王家と男爵家では教育者の質も数も違うでしょう。しかしフィットン家にも家庭教師がいたはずでしょう。それに学園でもマナーの講義があるはずです。にも関わらず、何故、ミミ・フィットンは相応しい振る舞いを知らないのですか?」
貴族子女の通う学園ではマナーの講義は必修科目だ。習っていないなど、あり得ない。
「それは、貴族のルールは堅苦しいと、もっと寛容であるべきだとミミが……」
トリトスはメールブールの空を羽ばたくカモメのように、自由に天真爛漫に振る舞うミミに心惹かれた。第一王子として規律に縛られた生き方をしてきた自分は、驚かされることばかりだったが、同時に強烈に惹かれてしまう何かがあった。それはヴェント達も同様で、ミミこそメールブールの目指すべき姿の象徴と思えた。
「寛容である事と、礼儀を無視し誠意を示さない事は違います」
一方で、学生時代からミミ・フィットンの奔放さは周囲を戸惑わせていた。下位貴族の間だけであれば、少し変わった令嬢という評価で済んだかもしれない。しかし、ミミ・フィットンはトリトスを始めとした王族、高位貴族と出会い、彼らと接するようになっても己を貫く。そして、トリトス達はミミの行動を良しとした。
「学生時代、ミミ・フィットンはトライデント嬢にもお茶をかけた事があったそうですね」
その際、責められるミミをトリトス達は庇い、駄目にしたドレスを弁償する必要はないと言い切ったと聞いた。
「お待ち下さい、テティス殿下」
ロディが王女の言葉に反応した。
「姉は大量にドレスを所有しております。たった一着、駄目にしたとしても問題はありません」
ネレイスの衣装室には呆れるほどドレスが収納されている。きっと着ていないものもあるのだろう。ロディは姉の物欲の強さに嫌悪を抱いていた。
「それは、弟が決める事ではないでしょう。それとも、そのドレスはトライデント令息がプレゼントしたものなのでしょうか?」
「い、いえ、違いますが……」
ロディは姉にドレスを贈ったことなどない。
「公爵家の資金であれば、元は領民が納めた税です。それを問題ないと簡単に決め付けて良いのですか?」
「それは……」
「領地の特産品の布地を使用していたかもしれませんよ?寄子からの献上品だという可能性もあります」
貴族夫人や令嬢は、自領や寄子の領地宣伝を兼ねて生産品を身に付ける事は多々ある。それを汚されても問題ないなど言い切れない。
ネレイス嬢は言った。
「あのドレスは当時、取引を始めた商会から仕入れたレースを使用しておりました」
「トライデント家の事業に関わる品でしたのね?」
「さようで御座います」
長男であるにも関わらず、自分の家の事業も把握していないのか。ロディに向けるテティスの視線は冷たくなっていく。
「それを弟であるトライデント令息と、当時の婚約者であるお兄様や側近の方々は、謝罪もせず弁償もする必要はないと仰った」
ロディだけでなく、兄や兄の側近達もあまりに浅はかだ。自分達の言葉がどれ程、他に影響を与えるのか分かっていない。
「随分な話ですわね」
また、それはミミ・フィットンに一つの成功体験として根付かせてしまう。
「その後もミミ・フィットンは招かれた茶会や夜会で粗相を重ねたようですね」
「誤解です。その噂は尾ひれが付いたものです」
ヴェントが否定するもテティスは続けた。
「誤解ではありません。それぞれの家に確認をしました」
トライデント家だけではなく、侯爵家や伯爵家、子爵家や男爵家、高位貴族、下位貴族、関係なくミミは思うがままに振る舞い、主催や招待客への粗相以外にも、ティーカップや花器、調度品なども壊してしまう事が多々あったという。
「高位貴族であれば、代々受け継がれた調度品や美術品が、下位貴族には主家から賜った品々がございますのよ。それらは替えのきく物ではありません」
だが、ネレイス嬢が婚約者であった時はまだ良かった。
「お兄様やミミ・フィットンに代わり、各家に可能な限りの補償を申し出てくれていたそうです」
そんな事は一切知らずにいたトリトス達は一斉にネレイスに視線を向ける。
「ご存じなかったようですね。まさかと思いますが、それもミミ・フィットンへの嫌がらせとお考えでしょうか?」
「い、いや、そんな事は……」
トリトスは戸惑いつつも答える。
「ネレイス嬢のおかげで、学生時代はミミ・フィットンは貴族達から距離を置かれる事はなかったでしょう」
「お待ち下さい!ミミは誰からも茶会の誘いや夜会の招待状が届かないと胸を痛めております。それが本当なら、何故ミミがそんな目に合わされるのですか!」
アレスが声を張り上げた。ミミは今、社交界から締め出されており、夜会に出席する際はトリトスのパートナーとしてのみだ。幼いテティス王女は、きっとネレイスや大人達の言葉に踊らされているに違いないと憤った。
しかし、当のテティスはさも当然のように言う。
「当たり前です。今、現在、ミミ・フィットンの失態の尻拭いをする者はいないのですから」
トリトスとの婚約はすでに解消されている。ネレイスは婚約者としての役目を果たしていたに過ぎない。
「ネレイス嬢との婚約が解消となれば、ミミ・フィットンの行動を補助するのは、お兄様と貴方達の仕事ですよ」
だが、トリトスも側近達もこれまでネレイスや周囲の者にお膳立てされてきた。彼らは自ら、もしくは誰かのために行動するという選択肢を知らない。
それまでは未来の王太子妃が動いていたため、貴族達はネレイスの顔を立てていたが、もうその必要はない。また、トリトス達はミミを庇うだけで、被害者への謝罪も弁償もない。招待しても茶会や夜会を台無しにされるのは分かり切っているのであれば、まともな貴族は野蛮人を招待する事はないのだ。
「私はミミ・フィットンが恐ろしい」
テティスは公務の一貫で孤児院などに慰問へ行く事があるが、職員や子供達は王女である自分に対し、畏怖を抱いている事が多い。10歳にも満たない孤児達でさえ、失礼のないようにと神経を尖らせている。
「あの者は己よりも遥かに高貴な方々に不敬を連発しました。何故、そんな怖いもの知らずなのでしょう?何故あんなにも傲慢に振る舞えるのでしょう?自身を世界の女王だとでも思っているのでしょうか?」
属国の王子の恋人という、脆弱で不安定な立場を自覚していないのか。ミミ・フィットンは己を何者だと思っているのか。
「ですが最も罪深いのはミミ・フィットンではありません。彼女に対し無知のままで良しとし、礼儀作法を学ばせず、何をしても許されると増長させた。トリトス王子と側近の貴方方です」
トリトス達はテティスの強い非難を含んだ眼差しを見て、自分の置かれた状況を理解しつつあった。
「私はミミ・フィットンを創り上げ、メールブールを危機に陥れた貴方方を許せません」




