種は芽吹かない 10
トリトスはかつてないほどに追い詰められていた。ネレイス・トライデントとの婚約を破棄した時の比ではない。
夜会ではミミや自分達と一緒に、フェルディナンドもアルティリアも楽しく過ごしていたはずなのに、気が付くとネレイスが皇女を菓子などで釣り、自分達と引き離してしまった。
その後はフェルディナンドはエルドラの客人と話し込んでしまう。相手は皇子の知り合いのようだが、トリトス達への紹介もなく、エルドラ語で会話しているため、話に入っていくことが出来ずにいた。フェルディナンドは大国の皇族であるためか、少々気が利かないところがあるのだ。
落ち込んでしまったミミは休憩室で休みたいと言うので、そこで別れたのだが、いつの間にかホールに戻ってきており、騒動に巻き込まれてしまっていた。
何故こんな状況になってしまったのか。トリトスは愛する恋人を守りたかった。それだけだったはずなのに。
王宮は物々しい空気に包まれ、父である国王や宰相や大臣、要職に就く者達が集められた。ミミは何処かへ連れ去られ、自分と側近の令息、妹のテティス、そして元婚約者のネレイスも父達の元へ呼び出された。
「ルヴァラン側からは建国祭の全ての式典への欠席の旨が通達されました」
外務大臣の言葉に空気は重苦しさを増す。
なんて事だ。国王の治世二十周年を祝うものでもあるのに、これではメールブールの面目は丸潰れだ。
「当然だろうな。それで、済ませてもらえているだけ、有り難いと考えるべきだろう」
「父上、抗議すべきです!」
そういうと、トリトスは父から厳しい目を向けられる。
「元凶が何を言う」
「私はメール・ブールのために!」
「国のために宗主国の姫君を貶めたというのか?」
「違います!それは……」
「もう黙れ」
父は片手を挙げてトリトスを制すると皆の前で宣言した。
「第一王子トリトス、他三名の令息達は廃嫡とする」
「待って下さい!父上、何故私達が!」
自分の言葉は無視され、さらに父は冷酷な判断をする。
「フィットン家は爵位剥奪の上、取りつぶしとする。トリトス王子とミミ・フィットン、他三名の令息達のその後の処遇は建国祭後に協議する」
その後の処遇?廃嫡だけではないのか?確かにミミはアルティリア殿下に無礼をしてしまったのだろう。しかし、たったそれだけの事で。
「お、お待ち下さい」
ネレイスの弟であるロディ・トライデントが震える声で問う。
「我々が廃嫡であれば、姉は?姉の処遇はどうなるのですか?」
国王は彼らの父であるトライデント公爵に視線を向けると、公爵は目を瞑って首を横に振る。名指しされたネレイスは表情を変えず真っ直ぐに国王を見つめていた。
「そもそも、姉が、あんなに大騒ぎしなければ、こんな大事にならずに済んだのです!」
「ほう、トライデント令息はミミ・フィットンの不敬を庇い立てし、メールブールが国家として宗主国から不興を買うべきだったと言うのか?」
ロディの発言は責任転嫁でしかない。これまでトリトスもロディも含め、彼はネレイスに頼り切っていた。染み付いた習慣は彼らから抜けきっていない。
「そうではなく、姉がもっと……」
「トライデント嬢が無礼者からアルティリア殿下を御守りせず、放置していたら国全体が不敬を犯すところだった、それが理解出来ぬのか」
「ですが!」
まるで幼児の八つ当たりだ。
「口を閉じろ!」
父であるトライデント公爵に怒鳴られ、ロディはやっと黙る。
「現状はトライデント嬢とテティス殿下のおかげで、首の皮一枚繋がっているようなものです」
そう発言したのはヴェントの父である宰相だ。彼は息子を一瞬たりとも見ていない。
「発言をお許しください」
当の息子のヴェントは、この状況に戸惑いつつも打開策を考えていた。
「ルヴァラン側からは、建国祭への参加取り止めの通達のみなされているのでしょう?我々の処分を下すのは時期尚早ではないでしょうか?」
ヴェントの言葉を聞いてアレスも王へ直訴する。
「ヴェントの言う通りです。ルヴァランはこれで手打ちと考えているのでは?」
いくら不敬を犯したとは言え、フェルディナンドとトリトスや自分達の間には友情がある。友人に対して過剰な報復など望んではいないだろう。
「そうです、父上。大きく捉えすぎです。今、思えば、フェルディナンド殿下もアルティリア殿下もさほどお怒りの様子ではありませんでした」
兄達の発言を聞いていたテティスは怒りが抑えられなくなっていた。
「何故……」
尤もらしい事を言ってるようで、全て責任転嫁か保身ではないか。
「何故、分からないのですか?ルヴァランは我々を見定めようとしているのですよ」
トリトスは突然、妹が口を挟んできた事に少々戸惑った。これは大人の話し合いだ。聞き分けの良い妹は普段なら大人しくしているはずなのに。
「テティス、落ち着くんだ。これは子供が口を挟む事ではない」
妹はこんな話し合いに同席させられ動揺しているのだろうと諌めようとするが、かえって火に油を注いでしまう。
「お兄様達こそ、どうして、そのような世迷言を申していられるのです。皇国はメールブールが守護するに相応しい国か、今まさに判断を下そうとしているのですよ」
対処を間違えれば、メールブールは見捨てられる。今、メールブールと共同で海軍基地建設の計画があると言うが、島を見つめる二隻の戦艦。あれらがあれば、島に基地を造らずとも、ルヴァランは海の強者と呼ばれる日も近いだろう。
「言われてから対応を考えていては遅いのです。宗主国の姫君に不敬を犯したのですよ。お兄様方のように楽観視していて彼らに誠意を示せるのですか?」
「テティス、君は政治というものを分かっていないだろう。感情的になってはいけないよ」
トリトスはテティスの話を聞こうともしていない。幼い妹の戯言など考慮するに値しないと思っているのだろう。子供が訳もわからず、騒ぎ始めたとしか考えていない。
テティスは恐ろしくなる。本来、国の最高位に立つべき人間がこれほど話が通じないなんて。
テティスはテーブルにある水差しに目が留まった。少女の手には重いそれを持ち上げると、兄と側近達に向けてぶちまけた。
「テティス、何をする!」
「わざとではありません」
妹の突然の暴挙にトリトスは思わず怒鳴りつけてしまう。
「こんな時に、ふざけるんじゃない!」
「ふざけてなどいませんよ。お兄様こそ、何故お怒りに?」
トリトスはメールブールの王子として周囲から敬われて生きてきた。それが、まさか、実の妹にこのような侮辱を受けるなど。しかしテティスは気にする様子もない。
「お兄様が仰ったんですよ、私は感情的になっていると。私はまだ12歳の子供です。快く許してくださいよ。わざとではないのですから謝罪の必要もないのでしょう?」
「お言葉ですが、王女殿下。これは兄君に対し無礼が過ぎます」
トリトスと共に水を被ったヴェントは顔を顰めつつテティスに視線を向けている。アレスやロディも同様の反応だ。
「無礼ですって?おかしな事を。貴方方はミミ・フィットンには許したではないの」
「それは……」
「属国の男爵令嬢は宗主国の皇女殿下に水をぶちまけても許されるけど、王女は許されない。奇妙な話ね」
テティスの指摘に、トリトスは数秒詰まると、絞り出すように言った。
「ミミは……10歳まで平民として暮らしていたんだ」
「さようですか。それで?」
兄の告白を妹は受け流すと次の言葉を促す。
「だから、ミミは貴族の常識を知らぬのだ!」
「それは怠惰な方ですわね」
「なっ!ミミを馬鹿するな、妹とて許さんぞ」
トリトスは鋭い視線をテティスに向けるが、妹は怯むことはない。
「ミミ・フィットンが貴族家に引き取られたのが10年前と聞きました。私は当時2歳です」
「それこそ、何だと言うのだ」
「言葉もままならない赤児でしたが、今、私は母国語だけではなく大陸公用語を学び、恥ずかしくない程度の教養を身に付け、礼儀作法を習得し、公的な茶会や夜会に出席しても問題はないと教育係に認められております」
実際にテティスは昨年から公式行事にも出席し、公務を行いつつあり、すでに王族としての務めを果たしていた。
「ミミ・フィットンは、その10年で何を学んできたのですか?」