種は芽吹かない 07
記念すべき父王の治世二十周年の建国祭、最初の夜。メールブール王女テティスの心は晴れることはなかった。その原因である兄王子は恋人の男爵令嬢ミミを侍らせ、皇国の皇子と話していた。いや正確にはミミがひたすらフェルディナンドに声をかけ続けている。
テティスは周囲に悟られぬよう、静かにため息を吐き出す。
侍女達が集めてくれた情報では、兄トリトスはミミを王妃とするべく、その後ろ盾としてアルティリア皇女と懇意になろうとしていると聞いていたのだが、当のミミが失礼を連発している事に気付いてもいない。
やや離れた場所から様子を伺っているが、ミミは会話を自分主導に持ってゆき、さりげなく立つ位置を移動させ、アルティリア殿下を談笑から遠ざけようとしている。
意地悪な令嬢が、一人を仲間はずれにするような幼稚な振る舞い。しかも、それを宗主国の皇女殿下に行うのかと、周囲にいる者達は眉を顰めている。
だがアルティリアは、そのような状況になると、気にする風もなく和やかに他の客人と会話を始めた。また話す内容も各国の歴史や情勢を踏まえつつ、商業関連から音楽や美術などの芸術と幅広い。習得している言語も多いようで、メールブール公用語のサラキア語の発音も美しい。情報の多さ、知識の深さ、アルティリア皇女は相当努力家であることが感じられる。
ミミ・フィットンの話す事といえば、自分のドレスやジュエリーの好みについてなど、とても皇族との会話ではない。おまけに皇族専用移動船ブリエロアの乗船を強請った時は血の気が引いたが、フェルディナンドは無視していた。
そんな王子の恋人と利発な皇女では、誰もがアルティリアとの会話を望むだろう、皇女の周囲には人々が集まっていく。
また兄皇子は妹を大変可愛がっているようで、アルティリアが別の客人と会話していることに気が付くと、ミミとトリトスから離れて、そちらに行ってしまった。
ところがミミもトリトスもフェルディナンドの拒絶を理解していないのか、彼等を追いかけ、割り込むように会話に入っていった。反省するそぶりもなくミミは、再びアルティリアの排除を始める。百歩譲って一度なら気が利かないだけだという言い訳も通るが、2度目となれば意図があると言わざるを得ない。
皇女は自分よりも一つ年下のはずだ。幼稚な嫌がらせを繰り返す20歳のミミ・フィットンと比べ、なんと大人なのだろう。
だがこれ以上、宗主国の姫君相手に低俗な振る舞いをさせてはならない。テティスは無邪気を装いアルティリアを連れ出し、ミミから引き離そうと決めた。しかし彼等の行為に頭を痛めていたのは、自分だけではなかったらしい。
「皇女殿下、もし宜しければメールブールのお菓子を召し上がりませんか?」
ネレイス・トライデントが友人の令嬢達と共に、アルティリアを連れ出してくれた。トリトスも女性ばかりの集団に無理矢理入っていくのは難しいだろう。
「良かった」
テティスはホッと胸を撫で下ろしたが、同時にあのネレイス嬢が兄の婚約者を辞退した事を残念に思った。
テティスは生まれた時から、兄の治世を支えるべく婚姻することと、母である王妃や母の生家アイギス侯爵家の祖母から言われて育ってきた。
「トリトスは素晴らしい、必ず良き王になる」
「トリトスの妹に生まれて幸せだろう」
「女は駄目だ。やはりトリトスでなければ」
八歳も年齢が離れているため、あまり関わることはなかったが、兄は優れた人であると思っていた。しかし、それが虚像であると判明したのはトリトスがルヴァランへの留学から戻り、一人の女性と出会ってからだ。
ミミ・フィットン男爵令嬢。彼女と恋に落ちたからトリトスは変わった。いや、ミミを優先し、ネレイスを遠ざけるようになってからメッキが剥がれたのだ。これまでトリトスが優秀とされていたのは、ネレイスの働きがあってこそだった。
そして学園在学中に、トライデント家は婚約者を辞退。それはトリトスを王と認めないという意思表明でもあった。
父である王はトライデント公爵と共に、女性の継承権を認める法改正を行い、気が付けば自分が後継者候補となっていた。保守的な王妃とアイギス家は新制度に反対しており、トリトスを後継者とする王妃派とテティスを後継者とし改革を進める国王派とでメールブールは分裂している。
テティスはメールブールを愛しているが、自分がこの国の王となるなど、喜びよりも恐ろしさの方が優っていた。自分の意思とは関係なく、大きな波に飲み込まれていく。震える足で立つのがやっとだ。
テティスが気分を落ち着かせようと、侍女に果実水を頼んだ時、ネレイス・トライデントの声が響いた。
「なんて事をするの!今すぐ跪いて謝罪をなさい!」
見ればネレイス嬢達とミミが向き合って口論している。噂には聞いていたが、ミミ・フィットンは学生時代から、学園でも、招待された茶会や夜会でも迷惑行動を繰り返していたそうだ。
その度に、トリトスや側近の高位貴族の令息が庇っていたので、彼女のマナーは改善されていない。
「よりによって、この夜会で問題を起こすなんて」
各国に恥を晒す事になる。
「すぐに部屋を用意させて、王宮職員立会の元、別室にて話し合いをしてもらいましょう」
テティスは侍女に指示していると、諍いを制止する声が聞こえた。
「トライデント嬢。おやめ下さい」
少し幼さの残る声の主はアルティリア皇女である事が分かった。
夜会ホールの視線を集める中、進み出た姫君のためにトライデント嬢を始めとした令嬢達が静かに下がる。何事かと思っていた周囲の者達にも皇女の姿を確認することが出来た。
姫君を見た客人からは悲鳴にも近いざわめきが起きる。
「これ以上は、もう結構です」
王子達を見据える、凛ととしたその立ち姿は11歳になる前の少女とは思えぬ佇まいであった。しかし、皇女の髪は乱れ、水が滴り、遠目から見ても、ドレスが水浸しになっていることが分かる。
テティスは死刑宣告を受けたような気分に襲われた。彼女を見て理解できない者はいないだろう。ミミ・フィットンが粗相をした相手はトライデント嬢ではない。
宗主国ルヴァランの皇帝アレクサンドロスが目に入れても痛くないというほど愛してやまない、第三皇女アルティリアだった。
「……おと、お父さ、いえ。陛下をお呼びして」
「は、はい!」
そう言うと、侍女は動揺しつつも会場を出ていく。
ああ、これは不敬で済む話ではない。
国際問題だ。
自分が解決できる範囲を超えている。
属国の王子の恋人が無礼を繰り返したあげく、皇女に水を浴びせかけ、あまつさえ、トリトス王子をはじめとした高位貴族の令息はミミを庇ったのだ。
トリトス王子達は皇女の状態を見ても戸惑うばかり。自分が問題を大きくした事を分かっていない。
「ルヴァラン皇国第三皇女アルティリア殿下に申し上げます!」
兄は過去の歴史を習っていないのか。ルヴァランに見捨てられたらまた他国から侵略の悲劇が訪れる。
「メールブール王国が第一王女テティス。王家を代表しお詫び申し上げます」
今すぐ這いつくばってでも謝罪せねば。もし、この場で無礼だと斬られたとしてもこれがメールブールの意思ではない事を示さねばならない。
テティスは父である国王へ向けるカーテシーと同様の姿勢を取った。深く深く頭を下げるこの礼は、王族であるテティスが他国の人間に行う場合、相手が父である国王よりも上位の存在だと示す事になる。
「テティス王女」
怒りをぶつけられると思っていたが、アルティリアの声は思いの外穏やかだった。
「顔を上げて下さい。貴女が、そのような事をする必要はございません」
だが、その言葉は「謝罪を受け取る」意思はないと言っている。
「わたくしは、テティス王女とトライデント嬢のお気持ちを嬉しく思います。ですが、今宵はこれでお暇致しますわね」
アルティリアが、そう宣言すると、背後から金髪の美しい騎士が現れた。
「失礼致します」
彼はマントを外すと、姫君を包んで抱き上げた。気が付けば、他にも複数のルヴァランの騎士がアルティリアを守るかのように取り囲み、客人の視線を集める中彼等は会場から消えた。
メールブール建国祭。
初日の夜の事件であった。
翌日、早朝。
ルヴァラン皇国はメールブール建国祭、及び国王治世二十周年記念式典の全てに対し、欠席を表明する。