種は芽吹かない 06
建国祭の始まりの夜。宮殿では王国の威信をかけた夜会が開催された。南国ならではの美しい花々が艶やかに飾られ、ステンドグラスや壁のモザイク画をさらに彩っている。贅を凝らした食事と酒が提供され、宮廷楽団の演奏が奏でられる中、メールブール貴族や各国の来訪者達が穏やかに歓談する。しかし、この場にそぐわない場違いな叫びが聞こえてきた。
「なんて事をするの!今すぐ跪いて謝罪をなさい!」
メールブール貴族最大派閥筆頭トライデント公爵家の令嬢ネレイス。冷静沈着で淑女の手本と言われる彼女が声を荒げるなど、そうはない。
「そんな、わざとではないのに……」
相手はミミ・フィットン男爵令嬢。本来なら、王家主催の夜会に招待される人間ではない。しかし、この令嬢はトリトス王子の恋人であるため、王族のパートナーとして来場している。またミミとネレイス嬢は、公爵令嬢が王子の婚約者を辞退する原因となった因縁の関係であった。
ミミは公爵令嬢に詰め寄られ、不安げな顔で一歩後退る。周囲にはトライデント嬢の友人の令嬢達も数多くおり、男爵令嬢は孤立無縁の状態であった。
「ミミ!」
そこにトリトス王子が現れ、彼女を守るように抱き寄せた。王子は何事かと見回せば、床にはグラスが転がり、その破片があった。以前にも、夜会や茶会に不慣れなミミは、緊張のため茶をこぼしてネレイスのドレスにかけてしまった事がある。
「トリトス。ミミは、ミミは……」
今回も手を滑らせ、ガラスの中身を溢してしまったのだろう。
「大丈夫だ、ミミ。心配するな。何も問題はない」
「でも、ネレイスさんが……」
「グラスには何が入っていたんだい?」
「お、お水が……」
酒の類でもなく、ただの水だ。可哀想に。公爵令嬢はミミを逆恨みし、大袈裟に騒いでいるだけだ。
「トライデント嬢。小さな失敗をそのように責め立てるなど、褒められた事ではないよ」
「小さな?何を仰いますか。不敬は不敬です」
ネレイス・トライデントは美しい顔を歪ませ、トリトスの主張を退ける。その剣幕にトリトス王子は恨みの深さを感じた。自分との婚約が破棄となったことを今だに許していないのだろう。
「お待ち下さい」
トリトスの後ろに控えていたヴァントが声を上げた。彼は文官を多く輩出している家系出身で、本人も父親のように宰相を目指している。
「トライデント嬢。今宵は建国祭最初の夜です。各国の客人も多く訪れております。些細な事でかような騒ぎを起こすのは如何かと」
あまり大騒ぎすると、かえって恥をかくのはネレイスだと暗に伝えてるが、プライドの高い彼女は受け入れる様子はない。
「姉上、水に濡れたと言っても、高々ドレス一着だろう。大した事ないじゃないか」
ネレイスの弟、ロディも姉に苦言を投げかけた。家の衣装室には大量のドレスを仕舞い込んでいるのに、たった一着でこの剣幕。なんて浅ましいのだ。
「ミミはわざとじゃないって言ってるだろ!それでも膝を付けろってのかよ!」
準騎士であるアレスはつい声を荒げてしまう。彼は正義感が強く、か弱い女性を爵位や権力を傘に追い詰めるような行為は許せない。
「貴方方は、ご自分が何を仰っているか理解しているのですか。わざとでなかろうと、フィットン男爵令嬢は謝罪すべきです」
だが、トライデント公爵令嬢は頑なだった。多くの招待客がいる中、ミミに跪くよう要求する。なんと傲慢なのだろうか。
「トライデント嬢。おやめ下さい」
公爵令嬢の後ろに控えてる令嬢達の中から、ネレイスを止める声が聞こえた。年頃の娘よりも、やや幼さの残る声だが、揺るぎなさを感じる。その声に反応して、令嬢たちは端に下がり、声の主が姿を現した。
ルヴァラン皇国第三皇女アルティリア。
皇帝の愛する末娘である掌中の珠。名工と噂される弦楽器工房リバリウスを見出し、近年、所領にて真珠の養殖に成功し、才女の片鱗を見せる姫君。また慈善事業にも力を入れ、保護国フェルマーレの災害時には多額の寄付をしたと言う心優しき皇女。
トリトス達は歓喜した。アルティリア皇女はこの騒動を全て見ていたのだ。幼いながらも慈愛の心を持つ姫君は、この理不尽に耐える健気なミミを放置するはずがない。きっと我々の味方となり、純粋なミミを王妃とすることを支援してくれる。
トリトス達の期待が込められた視線を浴びながら、アルティリア皇女は前に進み出た。
夜会が始まる数時間前に遡る。
アルティリアの準備が完了した。本日のドレスは淡いラベンダーと薄紅色のグラデーションが美しいレースをふんだんに使用した、昨年よりも、ほんの少しだけ少女らしさが抜けた意匠となっている。
また成人以降は踵の高い靴を履く為、今年から少しずつ慣らしていくことになり、これまでの靴とは違い4cm程踵が高い。その踵にも精密な模様が施され、アルティリアの出立は細部にわたって美しく仕上がった。
アルティリアは淡いブルーを好んでいるが、青はメールブール王家の色だ。招待客のマナーとして、今回の訪問の際の装いは、青系の色を避けることにしている。王妃や王女が身に纏う可能性が高いからだ。
その代わり、ルヴァラン皇族の色である紫を使用した衣装を多く準備した。今夜の夜会は親善の意味もあるので、クリスタルビーズ以外にも、メールブール産の珊瑚をあしらい、レイフィットの真珠も施されている。
「どうかしら?」
鏡の前で、くるりと回ると、後ろのカウチに座っていたリーフが「キュイ」と鳴いた。
「リーフも素晴らしいと言っているようですね」
部屋に待機しているロゼッタは顔を綻ばせた。
今、リーフの首にはチョーカーが付けられている。黒い皮には細かい模様が施され金の飾りが通されている。品のある美しい意匠だが、それはただのアクセサリーではない。騎士団で使用されている体温調節機能のある魔道具だ。
騎士達は皇族と共に様々な国へと赴く。皇族の滞在する施設内であれば、魔道具により気温が整えられているが、騎士は極寒の地でも、灼熱の地でも警備のために外出する事もある。その際、自分で体温を調節する魔術が使用できれば良いが、どうしても適正のない者もいる。そうした場合、支給される魔道具があるとレオンハートは言った。
「戦艦に知り合いの錬金術師がいますので、連絡を取ってみますよ」
「でも、忙しいのではないかしら」
騎士団の遠征の際には、魔術師や医師の他、錬金術師も従軍する。皆、それぞれ、職務があるだろう。自分の我儘で仕事の邪魔をしたくはないと言ったのだが、研究熱心な錬金術師の彼はメールブール宮殿の設備を見たいと、出発前から話していたようで、皇女に呼び付けられることを喜ぶだろうと、レオンハートは話す。
そして、その錬金術師は、すぐさま魔道具在庫を持って宮殿へと現れ、アルティリアに見せた。
「指輪の形なのね」
「はい、ただリーフ殿にはサイズは合わないと思いますので、首輪やネックレスなどに通して、身に付ける方がよろしいかと」
彼はリーフに合わせて魔力を分析し、短時間で調整を仕上げてくれた。
「ありがとう、良ければ宮殿を見学して行って。メールブール側には許可を得ているから」
「感謝します!」
王宮の女官に案内され、錬金術師の男はいそいそとアルティリアの元を後にした。
魔道具はリーフが嫌がらないよう、柔らかな革で作ったチョーカーに通した。気に入らず、外してしまうようであれば諦めねばならないと思っていたが、リーフ本人は気にしていないようだった。
「リーフ。貴方、わたくしと一緒にルヴァランに来てくれる?」
「キュイ」
こうしてリーフはルヴァランへの移住が決まった。
そんなリーフは美しく着飾ったアルティリアを不思議そうに見ているが、飛び付いたりする様子もない。
「お利口さんね、リーフ。今夜はお留守番をしていてね」
カウチでリーフとお話ししていると、フェルディナンドが迎えに来た。
「やあ、リア。とても綺麗だよ」
「ありがとうございます。お兄様も素敵です」
しかし、兄皇子は部屋から人払いをし、親衛隊と一部の侍女だけにするとアルティリアに言った。
「やはり今夜の警備体制は見直さないか?せめてハリス卿だけでもそばに」
「いえ、予定通りにして下さい」
アルティリアは数日前に兄とナイトレイ隊長に夜会の際、出来るだけ護衛と距離を置いていたいと伝えたのだ。
「騎士達がいれは、トリトス殿下達の失態を防いでしまうかもしれません」
アルティリアの役目は王子の排除と王女の見極めだ。そのためには、ある程度隙をつくった方が良い。二人は大反対したけれど押し通した。それに、アルティリアには、ある人物を近くで観察したいと思っていた。
ミミ・フィットン男爵令嬢。
メールブール到着の際、かなり遠目ではあったが群衆の中で強い視線を送っていた女性。確認してもらったが、彼女こそトリトス王子の恋人だと言う。
アルティリアの予想を伝えると、渋々ながらも二人は納得してくれた。
「分かった。では、行こう私の天使」
「ええ、よろしくお願い致します」
そして、その夜、フェルディナンドの心配は的中する事となる。
「なんて事をするの!今すぐ跪いて謝罪をなさい!」