種は芽吹かない 05
みんな、ミミよ。
オージさまの恋人なの。あはっ。
ミミはオーヒになるのよ。
港を埋め尽くす野次馬達の背後で、ミミ達は立ち往生していた。ルヴァラン皇族とはすぐに会えないらしい。
せっかく王子であるトリトスと、その妃になるミミがヴェール港まで来たのだから、ミミ達がいる邸までルヴァランの皇子を連れてくればいいだけなのに。要領が悪い職員達にミミは呆れてしまう。
ここにいるのがミミだけなら、この間抜けな女官を叱ってやるところだが、トリトスが許したので、仕方なくミミも見逃してやることにした。男には男の面子というものがあると祖父が言っていたので、賢いミミはトリトスを立ててやっているのだ。
「ねぇ、トリトス。せっかく来たんだから、仕立て屋とカフェに寄りたいわ」
それに、こうして度々物を強請ってやれば、男の甲斐性を満たしてやれるのだ。本当にミミは出来た女だと思う。
「さすがミミ、いい考えだ。アルティリア殿下に贈物でも買って帰ろう」
「“アストリヤ”?誰?」
「フェルディナンド殿下の妹君だよ。君の後見人となってくれる方だ」
そういえば、そんなことを聞いた気がする。
「子供は大好きよ。すぐ仲良くなれるわ」
ミミの言葉は周囲の野次馬達が騒ぎ出したため、かき消された。ブリエロアからルヴァランの皇族達が姿を現したのだ。
「ほら、あの方がフェルディナンド殿下だ」
トリトスの視線の先には、見たこともないような美しい貴公子がいた。均整のとれた体に神秘的な顔立ちとアメジストの瞳、夜を思わせる漆黒の髪。ミミはその姿に心を掴まれてしまう。恋人のトリトスと側近の令息達も美形だが格が違う。トリトスはただ、優しいだけだが、フェルディナンドは優美でありながら、頼もしさと鋭さを感じる。まさに大国の皇子といった風格だ。
素敵な人……
きっと、フェルディナンドも運命の出会いを待ってるに違いないのに、この野次馬達に阻まれてそばに行ってあげる事ができない。ミミがここに居ることさえ、気付く事ができないなんて、なんて可哀想な人なんだろう。
ミミが小さな胸を痛めていると、フェルディナンドは小柄な女をエスコートし始めた。よく見たら、それはまだ子供だった。妙に人目を引く容姿をしているので、子供だと気付くのが遅れたのだ。やたら、めかし込んでいて、どことなく卑しさを感じる。
大人と違って子供の服は裾が短い。エスコートの必要などないのに、わざわざフェルディナンドに手を借りて階段を降りてくる。その振る舞いから、かなり我儘な性格であろう事が分かった。兄皇子は仕方なく、あの子供に付き合ってやっているのだろう。
アレがアストリヤか。子供ならまだ躾が間に合うかもしれない。後見人にしてやるのだから、ちゃんと言い含めなければ。
「ねぇ、トリト……」
なるべく早くフェルディナンドに会ってやらねばならないと思い、恋人に声を掛けようとしたら、トリトスは一点を見つめて惚けている。
「ちょっと!」
トリトスだけじゃない、アレスも、ヴェントもロディも、あの子供に視線を奪われていた。ミミの声が聞こえなくなる程に。
「ねぇってば!」
その瞬間、騒がしかった群衆がらさらに湧き立った。
見れば、あの子供が野次馬に向かって、ニヤついた顔で手を振っている。不快感が込み上げてきた。トリトスの婚約者だったネレイスの比ではない。
視線の中に沸き立つ怒りがこめられる。その時、子供がこちらを見た気がした。あの小憎たらしい顔を引っ叩いて泣かせてやれば、どんなに気分が良いだろう。
誰もが、あの嫌味な子供を見つめている中、ミミは道端に落ちている拳大の石を拾うと、抑えきれない感情と共に握りしめる。
「それをどうなさるおつもりですか?」
振り向けば、先ほどの女官がミミに向かって鋭い視線を投げかけている。役立たずのくせに、どうでも良いところに気が付く女だ。
「アンタに関係ないでしょ」
ミミは女官の足元に石を投げつけると、足早に邸へと戻って行った。女官は眉をひそめて、その姿を見つめていた。令嬢と言い難い粗野な行動だ。この件は大事には至らなかったが、上司に報告する必要がありそうだ。
王子は恋人の行為に気付くこともなく下船する皇族達を見つめている。王族に仕える者の1人として、彼らへの失望感は募ってゆくのだった。
メールブール宮殿へ到着して2日後。
メールブール貴族以外にも、各国の視察団や要人、外交官などから、フェルディナンドだけでなく、アルティリアにもお茶会の誘いや面会の依頼が相次いだ。
しかし、アルティリアのみの招待の場合は、フェルディナンドは問答無用で断った。そんな過保護な兄が面会の許可を出したのは商業国家イヴィヤの代表だ。
「彼らは弁えてるからな大丈夫だ。それにリアも退屈してしまうだろう。きっと、イヴィヤはリアが気にいるものを持ってきてくれるよ」
自分自身がいなくても、面会を許すとは兄はかなりイヴィヤを認めているようだ。
そして、約束の日、フェルディナンドの言葉通り、イヴィヤの代表、アザール・ヴィガは可愛らしい連れを肩に乗せて現れた。
「ルヴァランの輝かしき星、アルティリア第三皇女殿下にお目見えします。イヴィヤが代表アザール・ヴィガと申します」
温暖な東方の気候の国でよく見かける、鮮やかな色彩の衣装を着た美丈夫は、自分の肩にいる小さな生き物も紹介した。
「こちらは白リスザルのリーフと申します。どうぞ、お見知りおきを」
「キィ」
アザールの言葉に反応して、彼は小さく鳴いた。まん丸の黒い瞳に、体はふわふわの毛に覆われ、手足は黄色く長い尻尾を持っている。
「マナーは不勉強ですが、この子はまだ赤ん坊故、ご容赦頂ければ幸いに御座います」
アザールの話の途中で彼は肩から飛び降りると、トトトッと歩いてアルティリアの膝に飛び乗った。
「キュイ」
大きな瞳でアルティリアを見つめるお猿のリーフ。
「これは、失礼を。リーフ戻りなさい」
「いいのよ、とっても良い子だわ」
アルティリアは生き物が好きな少女である。
植物も、昆虫も、動物も……当然、お猿も。
図鑑では見た事があるが、本物のリスザルは初めて見た。大人しくて賢そうな子だ。
「おやおや、美しき姫君にすっかり魅了されてしまったようです。もし、宜しければ皇女殿下の側仕えに加えて頂けないでしょうか?」
「リーフに魅了されたのは、わたくしの方よ。でも、この子は温暖な気候の国で生まれたのでしょう?皇都の気候に馴染めるかしら」
アルティリアは恋愛小説をあまり読まないが「一目惚れ」なるものが存在していることは知っている。自分の膝に座り、体を寄せる小さな生き物に心が惹かれていた。理由はわからない。もしや、この感情がそうなのではないか。
リーフもアルティリアを気に入ってくれたようで、膝から降りようとしない。両思いというものなのかもしれない。とても嬉しい。
「キィ」
「わたくしも一緒にいられたら、嬉しいのだけど……」
しかし皇都はイヴィヤやメールブールよりも気温が低い。せっかく連れて帰っても衰弱させてしまっては可哀想だ。
「ご歓談中、失礼致します」
フワリとしたリーフの頬を撫でていると、レオンハートが口を開いた。この男はアルティリアの感情に聡い。姫君の心配を抜かりなく察している。
「殿下。私に宛がございます。ヴィガ殿へのお返事は少々お待ち頂いてはどうでしょう?」
「何か良い方法があるの?」
「ええ、おそらく温度調節くらいなら、何とかなるのではないかと」
「宜しゅうございます。ごゆっくりご検討下さい」
アザール・ヴィガは驚くほど人好きしそうな微笑みを浮かべ、他にも沢山の献上品を置いて去っていった。
またルヴァランに連れて帰る事が難しくとも、メールブール滞在中のお相手にして下さいと言ってリーフをアルティリアに預けてくれた。
イヴィヤの一団が帰った後、侍女達とロゼッタが湧き立った。
「なんて、可愛いの!」
「ふわっふわだわ」
「まだ赤ちゃんなのですって」
「殿下、少しだけ、抱かせてください。どうか!」
「キュイ」
「キャーー!」
リーフはその愛らしさで女性達の心を鷲掴みにしたのだが。
「うわ!何だよ、お前」
レオンハートをお気に召したようで、頻繁に体によじのぼり、腕にぶら下がっている。
「リーフ、私だって鍛えてるぞ。見てくれ、この上腕二頭筋を!」
ロゼッタもリーフに腕を差し出しているが、レオンハートの腕が丁度落ち着く太さのようで、しっかりと捕まって離さない。
「くっ……いい気になるなよ、レオンハート・ダーシエ」
「いや、なってないから」
「すぐに、この腕太くしてみせるからな」
「好きにしてくれよ」
小さな小猿をくっ付けた同僚を悔しげに見つめるロゼッタは言う。
「ふん、同類だと思ってるんじゃないか?」
「誰が猿だ」
【キュート勝負】
ナルカ「やっぱりリーフの圧勝ですね」
アザール「いや、俺が連れて行ったリーフが姫君に気に入られた。つまり試合に負けて勝負に勝った訳だ。俺は負けてない」
ナルカ「そんなんあり?」
ちなみに「リーフ」は葉っぱじゃありません。
アラビア語の「風」から名付けました。
白リスザルはコモンリスザルの白いバージョンだと想像して下さいな。
【ルヴァラン皇族ファミリーと動物】
パパ アレクサンドロス:何故か動物に好かれるオジ
ママ フローリィーゼ:動物より植物の方が好きですわね
長男 ジークフリード:食物連鎖のトップ、動物皆服従
長女 マドリアーヌ:あんまり興味ないわねぇ
次女 カトレアナ:馬とか犬とか、一緒に走り回れる子が好きよ
次男 フェルディナンド:この世の万物で好きな存在は妹。
三女 アルティリア:何故か動物に好かれるロリ




