種は芽吹かない 02
ブリエロアには、客室以外にも、食堂、会議室、執務室、晩餐や夜会を開ける程の広さを誇るホールなどがあり、その姿だけでなく機能としても、海上移動する城と言っても良い。
アルティリアの部屋は、皇宮と比べても遜色のない豪華な内装で、特に目を引くのは大きな窓だ。強化ガラスが嵌め込まれ、美しい海と空を望むことができる。また空調設備も完備しており、快適な湿度と温度が保たれている。正に、皇国の贅と技術の粋を集約させた船だ。
部屋に戻ったアルティリアは侍従が運んできた檸檬と蜂蜜入りの炭酸水で喉を潤すと、訪問先の資料を読み始めた。
ロゼッタは同僚を見やる。普段通りの表情だ。しかし短い付き合いだが分かる。アルティリアのおまじないを無茶苦茶、羨ましいと思ってるな。
“なんだよ?”
レオンハートもロゼッタが自分を見ていることに気が付き、視線を送り返す。
“お前は、ねだったらダメだからな”
“分かってるよ!”
“どうしてもと言うなら、ナイトレイにしてもらえ”
“なんで隊長なんだよ!いらねぇよ!”
“目をつぶってりゃ同じだろう”
“人間って部分しか合ってねぇだろ!”
資料を読んでいたアルティリアが顔を上げた。姫君の動きを察知しアイコンタクト終了となる。
「ねえ、二人はサラキア語は話せる?」
サラキア語はブリエロアの目的地、メールブール王国の公用語だ。
「もちろん話せます」
アルティリアの問いにレオンハートが答えた。
「ロゼも?」
「問題ありません」
「では、到着まで日常的な会話はサラキア語で話してくれる?なるべく練習しておきたいの」
サラキア語は主に東方の海洋地域で使用されてきた言葉で、大陸の中央にある皇都では実践の機会は少ない。
「かしこまりました。いつからですか?」
「今からよ」
ロゼッタの問いにアルティリアはサラキア語で答えた。
俺のお姫様は頑張り屋さんだなぁとレオンハートの顔が緩みかけたが、アルティリアが本格的に情報整理を始めたので、心の中で自分を引っ叩く。
「メールブールにルヴァランと共同で海軍基地の建設の計画があるというのは本当?」
海洋国家メールブール。様々な国の貿易の拠点として、小国ながらも注目される島国であり、ルヴァラン皇国の保護国の一つである。
その地理的重要性から、かつては多数の国から何度も侵略を受けてきた歴史があるが、先代国王の時代にルヴァランの保護国となり、安定した治世が保たれるようになった。
今回の訪問は今代の国王の治世二十周年式典と建国祭への招待を受けたものだとアルティリアは聞いている。しかし、海軍基地建設の予定があるのならば、何故、騎士団に所属しているジークフリードではなく、本格的に外務官としての仕事を始めたフェルディナンドが出向く事になったのか。
「公にはなっておりませんが、その話が出ているのは本当です」
アルティリアの質問に答えたのはレオンハートだ。ダーシエ家は各師団に一族がおり、次期後継とみなされているレオンハートの元には騎士団内の情報が集まってくる。
「今回の訪問で護衛戦艦二隻が同行しているのも、下見を兼ねているのかと」
それから各国への圧力だとレオンハートは考えている。未だにメールブールを狙う国は多い。今回の建国祭には皇国と関わりの薄い国の者達も訪れる。中には「陸の強者といえども……」と侮っている国もあるだろう。
数年前に第二皇女カトレアナと、ある海軍国家との縁談が持ち上がっていたらしいが、嘘か本当か、ウィルバート・フルトンがかの国の造船技術はゴミだと、自分ならそれ以上の船を造ってみせると皇帝に直談判し、実現させたのが戦艦ワルキューレだ。
ウィルバート・フルトンの登場で、その海軍国家との縁談は立ち消え、彼とカトレアナ皇女の婚約がなされた。二人が幼馴染だったこともあり、社交界では二人のロマンスが噂された。
真実は分からないが、結果として、例の海軍国家と縁を結ぶよりもルヴァランの造船技術と軍事力はウィルバート・フルトンの登場で飛躍的に発展する。
「そうなのね」
海軍基地建設はほぼ確定といっていいだろう。アルティリアはレオンハートの話を確認しつつも、この度の訪問にフェルディナンドと自分が指名された意図が読みきれずにいた。
今回メールブールには皇都では中々交流することの出来ない異国の要人も滞在するという。アルティリア個人としてはレイフィットの真珠の流通前のお披露目として良い舞台を得られたと思っている。
しかし、父やジークフリードは自分に何を求めているのか。その謎が解けたのはフェルディナンドとの晩餐の時だった。
吹き抜けのメインダイニングホールの高い天井にはクリスタルを使用したシャンデリアが輝き、テーブルにある薔薇とキャンドルが二人きりの晩餐を彩っていた。
メインディッシュのラム肉のソテーが運ばれてくる前に、口直しの洋梨のシャーベットがテーブルに置かれた時、フェルディナンドが今回のメールブール訪問について少々面倒な事があると言い出した。
「後見人?わたくしが?」
「そうだ」
メールブール王国第一王子トリトスには恋人がいるらしい。アルティリアにその女性の後見人となって欲しいとの事だ。
「正式なご依頼ではないのですよね?」
「ああ、これはルヴァラン側が調べた中で得た情報だ」
あくまでトリトス王子が個人的に望んでいる事らしい。
「ですが、何故、わたくしに後見を望むのでしょうか?」
アルティリアが後見人になっているのは、レイフィットのコーリーだけだ。それは移民の彼女に領主邸で文官として働いてもらうために必要な手続きがあったためだ。
しかし、フェルディナンドは意外な人物の名を言った。
「シャーロット夫人だ」
シャーロット・ルシアム元男爵令嬢。実家の男爵家は子爵に陞爵。生家アークライド公爵家の持つ伯爵位を得た婚約者ギルバートと結婚し、今はゴールディン伯爵夫人となっている。
「トリトス王子はリアがシャーロット夫人の後見人となり、ギルバート卿と婚姻が叶ったと考えているようだ」
「確かに、わたくしが、お二人の出会いのきっかけになったと言えますが、シャーロット先生との関係が知られるようになったのは結婚後です」
シャーロットとギルバートの婚姻は恋愛から始まったものだが、アルティリアの力で二人が結婚したとは言い難い。そもそも、ルシアム家は祖父の代からルヴァランに貢献してきた貴族家で、皇家に近いアークライド家と縁繋ぎになる事は皇帝の望みでもあった。
「都合の良い話だけを集めてきたのだろうな」
フェルディナンドはアルティリアの前で負の感情を露わにする事は少ない。しかし、穏やかな微笑みの裏にあるトリトス王子への侮蔑を感じる。少しづつだが、今回のアルティリアの役目が見えてきた。
ルヴァランはトリトス王子を次期国王として失格だと判断しているが、メールブール側にはトリトス王子を推す勢力があるのかもしれない。交易、防衛の観点から見て、メールブールは重要な国だ。このまま彼を立太子させる事は認め難いが、宗主国とは言え大っぴらに内政干渉する事は憚られる。
建国祭という、挽回の難しい舞台でトリトス王子に後継者失格とさせて来いということだろう。
だが、皇太子が関わってしまっては事が大きくなり過ぎる可能性が高い。成人前のアルティリアが丁度良い。
「メールブールはそれで良いのでしょうか?」
「国王は良しとしているが」
王がトリトス王子を後継者から外す事を認めているにも関わらず、反対する者がいるとすると誰なのだろう。
アルティリアがフェルディナンドを見つめ返すと兄は言った。
「母親は馬鹿な息子ほど可愛いらしいよ」
【小話】
お転婆皇女カトレアナと発明少年ウィルバートは性別も性格も真逆でしたけど親友みたいな関係でした。男尊女卑の強い異国に嫁がねばならなくなりそうな幼馴染のためにウィルバートが頑張ったのは本当。
ウィルバート「ルヴァランにいれば、好きなこと出来るでしょ。僕でいいじゃないか」
カトレアナ「え?“愛してます、結婚して下さい”って言ってるの?」
ウィルバート「僕と結婚したら、君にもメリットがあるって話だよ」
カトレアナ「なるほど“君以外、考えられない。僕の女神”ってことね」
ウィルバート「そうじゃ……いや、だから、うん。まあ……戦艦には君の名前を付けるよ」
カトレアナ「ちょっと、やめて、恥ずかしいからっ」
そうして戦艦ワルキューレが生まれましたとさ。
カトレアナ「カッコいいじゃないの!」
ウィルバート「だろ」