種は芽吹かない 01
お姫様とシスコンとロリコンが南国の島へ行くよー!
ざまあもあるよ!
雲一つない澄み切った空の下、まばゆい太陽が照らす大海原を走るのは、皇族専用大型船ブリエロアと護衛戦艦2隻。多くの国々は帆船を所有しているが、その3隻にはマストがなく、帆が張られていない。第二皇女カトレアナの夫、技術者であり発明家でもあるウィルバート・フルトンが開発した魔力を推進力とする大型高速船だ。
漆黒の要塞の如き護衛戦艦に対し、ブリエロアの船体は白く黄金の装飾が施され、その優美な姿は正に海に浮かぶ白亜の城であった。
皇都は春でも朝晩は冷えることもあるが、これから向かう国は一年中温暖な気候らしい。アルティリアの装いも軽やかなレースに海を思わせるような鮮やかなブルーのドレスだ。同じく髪に結んだブルーのリボンが風に揺れている。
太陽の光が反射する海を眺めていると、アルティリアの立つ甲板に影が差した。
「あまり日に当たっていては体に悪いですよ」
「ありがとう、レン」
レオンハートが日傘を傾けている。護衛騎士の彼は涼しい顔をしていた。騎士達も夏用の涼しい素材を使った騎士服とはいえ、暑くはないのだろうか。
「レンは海に来たことはある?」
「訓練中に1度」
特殊訓練部隊の海洋魔獣討伐で1ケ月程、航海に出たことがあるが、その時、乗船した戦艦の乗り心地を思い出すとブリエロアはまさに宮殿だ。
「わたくしは初めてなの。海の色は深い緑と藍が混ざり合って、とても綺麗ね」
レイフィットのレシュタ湖も美しいが、山と森に囲まれた湖とは違い、どこまでも広がってゆく海もまた、アルティリアの心を捕らえた。
「あら、あれは何かしら」
ブリエロアの周辺を黒い生き物が複数泳いでいる姿が見えた。背中に尖ったヒレのようなものがある。
「海豚ですね。魔獣種ではないので安心して下さい」
「あれが海豚。図鑑でしか見た事がなかったわ。可愛らしいわね」
彼らは海面を跳ねながら、ブリエロアと共に海を泳いでいく。
「アルティリア」
呼ばれて振り返ればフェルディナンドが立っていた。兄は自分の隣までくると、そっと肩を抱き寄せた。
「外務省との打ち合わせは、もうよろしいの?」
「ああ、休憩中だよ。航海を楽しんでいるようだね。でも、リアが落ちたら大変だ。兄様が支えてあげよう」
「ちゃんと手摺に捕まっていますから大丈夫ですよ」
フェルディナンドは相変わらず、隙あらばアルティリアを甘やかす。
「ダーシエ卿もいてくれますし」
フェルディナンドは柔らかな微笑みのまま、レオンハートに目を向けると尋ねた。
「そう言えば、何故ダーシエ卿が日傘を差しているのかな?侍女達はどうしたんだい?」
確かに普段なら侍女の誰かが日傘を差してくれる。
「皆、船酔いしてしまったの。少し海を見てくるだけだから、休んでいるように、わたくしが言ったのよ」
侍女達は馬車での移動には慣れていたが、皆、船旅は初めてだった。青白い顔をした侍女達を起こす気にはなれなかったのだ。しかし、アルティリアは好奇心を抑えられず、部屋から出てきてしまった。
「もう、お部屋に戻るわ」
自分のせいでジャニスやレネ達が叱られたら申し訳ない。
「大丈夫、兄様は怒っている訳ではないよ。少し気になっただけだから心配しなくていいよ」
フェルディナンドは妹の髪にキスを落とすと、レオンハートに手を伸ばした。
「では、私がリアの日傘を差してあげよう。ダーシエ卿は職務に戻るといい」
側に控えている第二皇子付き筆頭侍従フランクは分かっている。フェルディナンドは侍女を咎めてるのではない、アルティリアの側にいる騎士を遠ざけたいだけである。女性ならばまだいいが、妹を偏愛している主人は、側仕えや騎士であっても、若い男性がアルティリアに近付く事を好ましく思っていない。可能なら自ら妹の世話をしたいと考えている程だ。
「いえ、殿下にお持たせするわけにはいきません」
しかしレオンハートはフェルディナンドの申し出をはっきりと断った。それはそうだ。皇族に傘持ちなどさせられない。本来なら自分が申し出るのが最良なのだが、フランクもまだ20代。フェルディナンドの嫉妬の対象だ。せめて早く身を固めようと誓った。
「ははは。ダーシエ卿、遠慮することはない」
「いえ、これも職務の一環と考えております」
レオンハートと同じく護衛任務についているロゼッタは分かっている。同僚は第二皇子に気を遣っているのではない、単純に姫君の隣に居たいだけだ。そしてフェルディナンドはアルティリアを溺愛しており、ロゼッタの見立てでは、女性ならまだしも、若い男が妹の周りに侍ることを嫌っている。自分が傘持ちを申し出れば良いのかもしれないが、そうなれば皇子が性差別をしているようにも見えてしまう。
「ははは。私の可愛い妹のためだ。大した苦労はないよ」
「いえ、私の主人を陽射しから守ることも騎士の役目です」
融通の利かないもの同士、互いに譲らない。ロゼッタとフランクは内心どうしたものかと頭を悩ませる。
「……喉が渇いたので、飲み物を飲みに戻ります」
二人の思惑を感じ取っているのか、はたまた偶然か分からないが、アルティリアの言葉で日傘問題は解決した。
「かしこまりました。お部屋までお送りします」
と、レオンハート。
「分かった。兄様と一緒にお茶でもしよう」
と、フェルディナンド。
「ダメですよ。休憩は終わりです。さあ殿下、打合せの続きを致しましょう」
しかしフェルディナンドは甲板にやってきたライルに咎められた。
「あとは、お前に任せる」
「まあ、お兄様。お仕事をライルに任せきりにするなんて、いけないわ」
「そうです、そうです」
「わたくしも各国の資料を確認したいので、お茶は遠慮致します」
フェルディナンドは今回の訪問に向け、出発まで慌ただしい時間を過ごしており、妹との時間を全く取れなかったのだ。軽度妹欠乏症の症状が出ている。
「その代わり晩餐はご一緒しましょうね」
アルティリアはそう言うと兄皇子に向かってニコリと微笑む。フェルディナンドの妹成分が上昇、生まれてくる心の余裕。
「そうか、リアは勉強熱心で素晴らしいな。兄様も頑張ってくるよ」
フェルディナンドは己の動力源を完璧に満たすべく、アルティリアをぎゅうぎゅうと抱きしめ、頬を頭に寄せた。妹が立派過ぎて、可愛過ぎて大変だ。空よ、海よ、アルティリアを讃えるがいい。
「お兄様、現地ではこれやめて下さいね」
「はっはっは、照れてるのかい?可愛いな」
「恥ずかしいに決まってます!」
アルティリアは今年、11歳の誕生日を迎える。小さな子供ではないのだ。
「もう、早く行って下さい。皆、お兄様を待っているのでしょう」
「はっはっは、いってらっしゃいのキスは?」
「ありません!」
アルティリアが断ると、フェルディナンドはフラリとよろめき甲板の手摺りを掴む。
「リア……兄様、急に具合が悪くなってきたよ」
小さい頃は騙されていたが、もうアルティリアは知っている。これは兄の悪ふざけであると。
「兄様はリアがキスしてくれると元気がでるのさ」
幼い頃に言われた事を信じ、兄が執務に行く寸前、毎回、体調を崩すので、頬にキスをしていたのだが、さすがのアルティリアもこれが茶番であると気付き始めている。
「知りません!」
最近のアルティリアは、小さい子供扱いされるとご機嫌斜めになるのだ。ぷいと顔を横に向けてしまう。しかし、そこで目に入ってきたのはライルやフランク、フェルディナンドの側近や側仕え達の縋るような視線。
空気が読める子、アルティリアは彼らの気持ちが痛い程分かった。
お願いします!それして頂けるとフェルディナンド様は普段の10倍働くんです!
「……お兄様、屈んで下さい」
アルティリアは折れた。
本当に渋々であったが、アルティリアは皇宮ではお馴染みの「元気の出るおまじない」をした。
「はっはっは。可愛いリア、晩餐を楽しみにしているよ」
元気溌剌ご機嫌最高潮のフェルディナンドは執務に戻っていく。不本意そうな顔の妹を残して。
「もう、これで最後ですからね!」
「はっはっは」
ライルはフェルディナンドの後ろを歩きつつ考える。後、三、四年のうちには、この病気をどうにかせねばと思うが……
「どうすりゃいいんだ?」




