小話 ー パパとお出掛け 後編 ー
屋台には皇宮では食べたこともない不思議な食べ物や、木でできた玩具、果実水やエール、ワインなどの飲み物が売られている。大道芸もおり、色とりどりのボールを軽やかに操っていた。
「ちっちゃい、おみせ、いっぱい!」
「リア、見たい店はあるか?」
「ぜーんぶ!」
パタパタと足を揺らして喜ぶ娘を見て、愉快そうにアレクサンドロスは笑う。
「では、端から全部回ってみよう」
「はい!」
本当なら好きに歩かせてやりたいところだが、万が一はぐれてしまっては妻とチャングリフに殺されるだろう。アレクサンドロスはアルティリアを抱いたまま、祭りを巡る。
「あれ、なあに?」
「ダーツだな。あの小さな矢を的に当てるのだ。やってみるか?」
「はい!」
アルティリアはやる気満々であった。
「いっこも、あたらない……」
しかし三歳児の放った矢は一つも的に届かず途中で落ちた。しょぼくれるアルティリア。
「どれ、パパが手本を見せてやろう。親父、もう一回だ」
「はいよ!父ちゃん、良いとこ見せてやんな」
アレクサンドロスは店の男から受け取った5本の矢を同時に投げる。全ての矢の先は中心に突き刺さった。見物客からどよめきが起きる。
「すごーい!」
アルティリアもピョンピョン跳ねて喜んだ。父の評価は急上昇だ。
「こりゃあ、たまげた。凄いね、旦那!」
店の男は驚きつつ、景品を用意する。ダーツの景品は極弱い風系の魔術が施された風船だ。
「お嬢ちゃん、どの色がいい?」
「えーと、えーと、水色くださいな」
「はいよ。魔力が抜けるまで、2、3日は浮いてるよ」
「ありがとうございます」
風船を受け取って礼を言うと、店の男は目をまん丸にする。
「こりゃ、お利口な、お嬢ちゃんだなぁ。別嬪さんだし、将来はとんでもない器量良しになるだろうなぁ。父ちゃんは今から心配だろう」
「なに、簡単に嫁にはやらんさ」
娘を褒められてご機嫌のアレクサンドロスは凄みのある微笑みを浮かべて立ち去る。その姿を見て、店の親父には「ありゃあ、名の知れた冒険者か剣士に違えねぇ」と思われた。皇帝ですよ、親父さん。
「みて、ほうせきよ」
とある店の前でアルティリアは叫んだ。屋台に並んでいるのは飴に包まれた、色鮮やかな果物だ。フルーツ飴がランタンの光でキラキラと輝いている。
「リア、あれは果物の飴だ。食べるか?」
「たべる!」
アルティリアは真っ赤な苺の飴を選んだ。串に刺さった苺は四個、艶々として、なんて綺麗なんだろう。口に入れると、薄い飴が割れ中から苺の果肉がジュワリと広がる。
「わあ、パリパリしていて、おいしいです」
ふと、アレクサンドロスは子供の頃、夜中に隠していたお菓子を食べた事を乳母であるモンスレー夫人に、酷く咎められた事を思い出した。皇帝は、これはバレたら、いい歳して怒られると気付く。
「内緒だぞ、リア」
アレクサンドロスは改めて娘に口止めする。
「はい、パパさま」
「“さま”はいらん、ここでは“パパ”で良いのだ」
「はい、パパ」
パパ……
パパ……
パパ……
まだ舌ったらずなアルティリアの言う「おとうさま」も可愛いが「パパ」と呼びかける娘のなんと愛らしいことか。
「うむ。他に何が欲しい?何でも買ってやるぞ」
「あの、ガラスのおもちゃが、ほしいです」
アルティリアが指差したのはガラス細工の店が出している屋台だ。動物や植物などの細工物が売られている。
「好きな物を選ぶといい。いくつでも買ってやる」
「いちばん、きれーなのをさがします!」
猫や犬、ウサギやネズミなど、アルティリアの小さな手にもおさまるような小さな動物達。鮮やかで繊細な薔薇やコスモス、マーガレット。どれも美しく可愛らしい。
その中に不思議なかたちをした細工物があった。細い筒の先に球体が付いており、中は空洞のようだ。
「これは、なにかしら?」
父に連れられてきた、小さな少女が可愛らしかったのか、店の女性が声を掛けてきた。
「お嬢ちゃん、これはビードロというのさ。息を吹き込むと音が出るんだよ。吹いてみるかい?」
「おねがいします」
「お行儀の良い子だねぇ。どれがいい?」
「これが、いちばん、きれいです」
アルティリアが指差したビードロはステンドグラスのように様々な色が施されていた。
「息を吹き込んでも、吸ったらいけないよ。底が割れてしまうからね」
お店のご婦人の言葉にドキドキしながら、そっと息を吹き込むとパチンと不思議な音が聞こえた。
「わあ」
「気に入ったかい?」
「パパ、これ、ほしいです」
「では、これを一つ」
ビードロを買ってもらったアルティリアだったが、陳列棚に、造花の花を閉じ込めた美しいペーパーウェイトを発見した。薄紅色の芍薬が球体のガラスに浮かんで見える。
「パパ!あれも、あれも、ほしいです!」
「はっはっは。良いぞー」
「気前の良い、お父ちゃんだねぇ」
それから2人は大道芸を見物したり、輪投げに挑戦したり、屋台で果実水とエールを堪能したりと、祭りを楽しみ帰路に就いた。
アレクサンドロスに抱かれたアルティリアはビードロをペチンパチンと鳴らす。片方の手首には風船の紐が結ばれ、手の中にはガラス細工の店で包んで貰ったペーパーウェイトをしっかりと握りしめている。
「おまちり、とっても、たのしかったです」
「そうか、良かったな……」
通りの中央に佇む男を見て、アレクサンドロスは固まった。黒ずくめではないが、ダークグレーの外套を羽織り、闇夜に紛れてしまいそうな風体の男は、静かに2人を見つめている。
しかし、アルティリアはその男を見て嬉しそうに叫ぶ。
「セインだわ!パパ、セインが、おむかえにきてくれたわ!」
セイン・チャングリフ、皇帝の乳兄弟にしてルヴァランの影を統率する一族の長。皇帝アレクサンドロスに歯に衣着せぬ物言いをする男。
アレクサンドロスにとっては親友にして、お目付役。アルティリアにとっては優しい侍従である。
「セイーン」
父に降ろしてもらうと、アルティリアはチャングリフへと駆け寄った。
「夜のお出掛けは楽しめましたか?お姫様」
「ええ、とっても!このふうせんはダーツのけいひんなの。パパはダーツがとっても、じょうずなのよ」
「ほほう、パパはご立派ですねぇ」
にこやかな微笑みの裏に潜む巨大な怒りをアレクサンドロスは感じている。
やはり手練れの影を多めに連れて来たらバレるか。それとも中央師団に祭りの警備を厳重にするよう要請しておいたからか。個人的に友人関係にある中隊長に内密に頼んだはずなのだが。この幼馴染を出し抜くのは中々難しいのだ。
「では、おうちに帰りましょう。母上がパパをお待ちです」
おまけに嫁にもバレていた。
「お二人を心配していらっしゃいますよ」
チャングリフの言い方からして、妻は非常に怒っていることが分かる。
そしてアルティリアも「ハッ」と気が付いた。これは内緒のお出かけであった事を。母は自分と父がいない事に気が付いて、心細くて泣いているかもしれない。
「たいへん!はやく、かえりましょう」
アルティリアはアレクサンドロスの腕を引っ張って急がせた。
皇宮に戻ると、アレクサンドロスは娘を部屋まで送る。無邪気な娘と離れがたかったり、憤怒の妻の機嫌を取るにはどうしたら良いか悩んだり、皇帝の思考は忙しない。しかし、アルティリアの寝室には妻、フローリィーゼが待ち構えていた。不意打ちで先制攻撃をかます皇后に驚かされつつ「やるな、我が妻は」と謎に誇らしくなる。
「おかあさま!」
「リア!」
部屋にいる母を見つけたアルティリアはフローリィーゼの胸に飛び込んだ。自分をしっかりと抱きしめる母。やはり寂しい思いをさせてしまったに違いない。
「ごめんなさい、さみしかった?」
「ええ、ええ、どんなに心配したことか。お母様はこんな思いは二度としたくないわ」
「リアは、おでかけしても、かならず、おかあさまのもとに、かえってくるわ」
父の真似をしてみる娘。だがフローリィーゼは娘の頬を掌で包み込むと言った。
「でも、大好きなリアが知らない間にいなくなったら、お母様は悲しくて泣いてしまうわ。もう、黙ってお出掛けしないって約束してちょうだい」
「やくそくする」
おまちりは楽しかったが、母が泣いてしまうなら内緒のお出掛けはしないとアルティリアは心に誓った。
「では、もう寝ましょうね。お母様はお父様とお話があるの」
「はい、おやすみなさい。おかあさま、おとうさま」
フローリィーゼは娘に優しく諭すと、ギロリとアレクサンドロスを睨む。お主は簡単には許さんぞ。
「さあ、あなた。行きましょう」
「あ、ああ」
奥方に連行される最高権力者。
「あ、まって、おかあさま」
しかし、アルティリアが母を呼び止める。
娘は大切に手に持っていた包みをフローリィーゼに差し出した。
「なあに?」
フローリィーゼはその包みを開けると、中には芍薬の花が閉じ込められたガラスが現れた。
「あら、これは?」
「おとうさまに、かっていただいたの。おかあさまの、いちばん、すきな、おはなでしょう?」
フローリィーゼの最も愛する花、芍薬。皇后はこの花を庭で手ずから育てるほど大切にしている。アルティリアは以前、話した事を覚えていたのだ。
「……ありがとう。リア、素敵な贈り物だわ」
「ふふふ、おかあさま、だいすき」
「お母様もリアが大好きよ」
フローリィーゼは娘をもう一度抱きしめると、おでこにキスを落とす。
アルティリアはベッドに潜り込んで、今夜のことを思い出していた。父に抱っこしてもらい、おまちりを巡る。楽しい時間だった。母へのお土産も喜んでもらえた。
「こんどは、みんなでいけたらいいな」
そう願ったものの。さすがに市井の夜のお祭りに皇族が出向くことは出来ない。しかし、その後、サーカスや演劇鑑賞へ行くなど、アレクサンドロスとフローリィーゼは安全を考慮したうえで、家族で外出する機会をつくってくれるようになった。
だが、その夜、皇后は皇帝に盛大に怒りをぶつける。アルティリアの土産で、少しは機嫌が良くなったかと期待したが甘かった。
「3歳の娘を深夜に連れ出す父親がいますか!」
「だ、だが、喜んでいたぞ」
「夜更かしは健康に悪い!」
「う、その通りだ」
「リアが夜遊びするようになったらどうするんです!」
「そうなったら、余が付き添いを……」
「ふざけないで下さい!」
「いや、真面目に……」
「反省してるんですか!」
「しておる。とても反省しておるぞ」
「次に同じことをしたら、子供達を連れて実家に帰りますよ!」
「では、余もコルトレインに出向こう」
「家出するって言ってるんです!」
「そなたと子供達と離れるなど耐えられん。コルトレイン邸を皇宮とする」
「実家が迷惑します!」
アレクサンドロス「フローリィーゼは怒った顔も美しいことを思い出した。惚れ直してしまったぞ!はっはっは」
失敗しても何かを学ぶ姿勢を忘れない。
前向きカイザー・アレクサンドロス。
アレクサンドロス「そう言えば、セインよ。今宵の余とリアは“子連れ獅子”のようであったと思わぬか?」
セイン「はぁー(ため息)」
【子連れ獅子】
暴れん坊陛下と同じ世界観の演劇。
敵対する貴族に妻を含む一族を皆殺しにされ、一人生き残った息子と共に復讐の旅に出る元騎士の男の物語。




