小話 ー パパとお出掛け 前編 ー
これはアルティリアが三歳くらいの出来事だ。仲良しのお友達のレンが学校に行くため、皇宮に来なくなってしまい、とても寂しく過ごしていた。
「レン、あしたは、きてくれるかしら」
戻ってくるって言ったけど、いつになるのだろう。
ある晩、ベッドで寝ていたアルティリアは、ふと目を覚ました。時間は深夜。普段、こんな時間に目が覚めることは殆どないにも関わらず。
寝ぼけ眼のままベッドから降りると、吸い寄せられるように暖炉の脇の壁にトコトコと向かって行く。
アルティリアは非常に勘の良い子供だった。
当時はこの状況を上手く言語化出来なかったであろうが、ある程度成長したならば説明可能であっただろう。アルティリアがそこに向かった理由。壁の向こうに、よく知る気配と魔力を感じ取ったからだ。
アルティリアは夢現のまま、壁の淵に備え付けられた飾りを滑らせるように撫でた。通常、大人ならば触れることのない高さ。そして、飾りの窪みは大人の指は入らない程小さい。しかし、幼いアルティリアは偶然にも「それ」に触れた。
カタッと小さな音を立てて壁が開く。
「おとうさま?」
目をこすりながら中に入り込むと、そこには父の姿があるではないか。
そこは皇宮に張り巡らされた隠し通路。幼い第三皇女には、まだ説明はなされていないはずだ。しかしアルティリアは偶然にも隠し通路の扉を見付けてしまった。深夜に感じた父の気配を求めて。
「ア、アルティリアか?」
いるはずのない娘の姿に驚く父は、見慣れぬ姿をしている。焦茶色のマントに簡素な上着に、使い込まれたブーツ、皮のベルトには無骨な剣を装備している。
「どこかに、いくの?」
寝巻きの裾のフリルをきつく掴んだ娘は父に問う。
アレクサンドロスは若い頃より、お忍びで市井に出掛けていた。だが、それを家族に見付けられた事は初めてだ。
「いや、その、なんだ」
皇帝アレクサンドロス。様々な死戦を潜り抜けてきたが、こんな時、どう対処すべきか分からない。父の勘はここで嘘は吐いてはいかん!と言っているが、夜中に市井に出向いていたなど娘に話すのはどうなのだろうか。
「や、です」
「リア?」
「おとうさま、も、どこかに、いっちゃう?」
アルティリアの瞳からポロリと雫が溢れた。レンがいなくなって、父まで、自分の知らない所に行ってしまうのかもしれない。アルティリアは寂しさを堪えきれなくなった。
「や、なの。おとうさま、いっしょがいいの」
ぽろぽろと涙を流す娘。アレクサンドロスは稲妻に撃たれたが如く衝撃を覚えた。そもそも子供達には乳母が付いており、皇帝や皇后は泣いている子供達とあまり接する事は少ない。そのため、末娘の涙は相当な破壊力であった。
「違う違う違う違う違う違うぞ!リア!父様はどこにもいかん。帰ってきたのだ。父様はリアのそばにずっといるぞ」
アレクサンドロスはアルティリアを抱き上げると、必死に言い訳をした。
「ほ、ほんと?おとうさま、どこにも、いかない?」
「ああ、行かない、行かない。父様は出掛けても、必ずリアの元に帰ってくるからな」
「ぜったい?」
「ああ、そうだ、約束する。そうだ、リア。今、皇都でお祭りが行われている」
「おまちり?」
「そうだ、お祭りだ。父様が連れて行ってやろう。明日……は無理だな。明々後日、3日後の夜、父様と一緒に祭り行こう。だから、泣かんでくれ」
こうしてアルティリアは父と市井の祭りに出掛ける事となった。ただし。
「誰にも言ってはいかんぞ」
くれぐれも秘密であるとのことだ。
三日後の夜、アルティリアはドキドキしながらベッドに潜り込んでいた。お父様はいつになったら来るのだろうか。本当にお父様はおまちりに連れて行ってくれるのだろうか。あれは自分の夢だったのではないか。
幼児ならば眠ってしまうであろう深夜。アルティリアは緊張と興奮のため眠る事なく起きていた。
その時、キィと音を立てて隠し扉が開き、何者かが部屋へと侵入した。アレクサンドロスだ。皇帝はこの日のために、自分付きの影達を抱き込み、影の長チャングリフの目を掻い潜り準備を進めた。
アレクサンドロスはアルティリアの眠るベッドへと近付くと小さな声で呼びかける。
「リア」
アルティリアはパッと起き上がり「お父様」と返事をしようとしたが、父はしぃと口元に指を立てた。アルティリアはこくりと頷くと静かにベッドから出る。
「これに着替えるんだ」
父が手にしているのは、簡素な意匠のワンピースとフード付きのマントだ。アルティリアは両手を挙げる。お着替えの時の万歳のポーズだ。アレクサンドロスはその姿を見て、少々戸惑ったが、三歳の娘が自分で着替えなど出来ないであろう事に気付き、不慣れな手付きでアルティリアの寝巻きを脱がす。
「へくちっ」
アルティリアが小さなクシャミをすると、アレクサンドロスは慌ててワンピースを被せる。早く服を着せないと幼い娘が風邪をひいてしまう。
父にワンピースとマントを着せてもらったアルティリアは嬉しいようで、クルクルと回った。平民が着る服であるが、中々可愛らしい。
アレクサンドロスは娘を抱き抱えると、隠し通路へと入って行く。
「もう話しても良いぞ」
隠し通路はシンと静かで音はしない。内部の音も外部の音も聞こえない仕組みになっている。皇族は夜目が利く者が多く、アレクサンドロスはさらに魔力の制御により、暗闇でも視界がはっきりと見えており、迷う事なく進んで行く。アルティリアも闇を怖がる事はない。おそらく皇族の血により夜間視力が高いのであろう。
「ああ、そうだ。城の外に出たら、余を“お父様”と呼んではならぬ。皇族とばれてはいけないからな」
「はい、えーと……へいか?」
「いや、それは、もっとマズイな」
アレクサンドロスはしばらく考えると言った。
「余のことはパパと呼ぶように」
地下回廊を抜け、二人が出た場所は皇都の外れにある古い小さな神殿だ。神官は住んでおらず、祭壇のみが設置されている。
「ここは、おうちのそと?」
「ああ、そうだ」
慣れた足取りで、アレクサンドロスは皇都の中心へと向かって行く。薄暗い皇都の外れから進むにつれ、道に街灯が増え明るくなっていった。
アルティリアは皇宮の外に出るのは初めてだった。全てが珍しい。キョロキョロと辺りを見回してると「あっ」と声を上げて、通りにある巨像を指差した。
「あのかた、おじいさまに、にてる」
「あの像は先代皇帝だからな」
本人であった。
「おひげ、ないよ」
「若い頃だからな」
「おじいさまになると、おひげ、はえるの?」
「余……パパも生えるぞ。伸ばすか?」
「ふふふ」
「パパが髭を伸ばしたら変か?」
「おもちろい」
夜の街に父娘2人きり。アルティリアはいつもは忙しい父にずっと抱っこしてもらいご機嫌だ。街を抜けると、広い通りに出る。
「わぁ」
多くの人々で賑わい、沢山のランタンが広場を照らしていた。
皇都の中心部より、少し離れた職人街に程近い広場。そこは平民達が利用する市場だ。普段は昼間に店を開いているが、先日から初夏を祝う祭りが行われており、深夜近くまで屋台が出ている。




