小話 ー 末期症状 ー
この世に奇跡を発見して何年の時を共に過ごしただろう。あの子が己の妹である幸せを噛み締めながら時間を重ね数年。こんなにも長く離れていたことがあっただろうか。
水を飲んでも喉が渇いている。
呼吸をしても息ができた気がしない。
「生きながら死んでいるとはこのことか」
久しぶりに学園に来た学友であるフェルディナンド。
「アルティリア様は本日お戻りになるのでしょう。早く溜まってる仕事を片付けて下さい」
ライル・ガーランドは、日に日に動く屍となってゆく第二皇子にも容赦はなかった。
彼らは学園の生徒会に所属している。国立学園では、成績優秀者から選抜された者が集められ、学園の催し、式典などの運営、風紀の管理などに取り組んでいる。一員として選ばれる際は、学園での成績の他、学園外での活動、能力、人望などが選考の対象となり、爵位のみで抜擢される事は出来ない。
フェルディナンドは入学時点で、優秀な成績に加え既に他国との親善活動を行うなどの公務が評価され推薦された。しかし皇族である自分が、早々に生徒会に所属する事は、他の生徒の活動を制限する事に繋がると辞退した。本音は妹と過ごす事を優先したかったためだが、何も知らない上級生の貴族子女からの評判は上昇した。
そんなフェルディナンドは学年が上がる度に、生徒会入会への打診がきていたが、のらりくらりと交わしていた。年々、賢く可愛らしく成長する妹との時間が減るなど受け入れ難い。
しかし卒業まで残り二年となって、当時の生徒会長に直訴された。
「勧誘した生徒が“殿下を差し置いて自分が所属する訳にはいきません”と申すのです」
仕方なく生徒会に入ったが、その台詞で入会を拒否していたのがライル・ガーランドだと知ってフェルディナンドは激怒した。
「あーあ、殿下が最後の砦だったのになぁ」
「お前、覚えておけよ」
その後、八つ当たりも兼ねて、フェルディナンドは1人で行う公務が入った場合は、副会長であるライルに仕事をたんまりと押し付けている。
「人使いの荒い上司だなぁ。今度、アルティリア様に兄君が生徒会の仕事サボってますよって、口を滑らせてしまうかもしれないなぁ」
生徒会長と副会長の業務を兼ねても、余裕を見せるくせに、幼馴染は「忖度」という言葉を知らない男であった。
「サボってなどいない。皇族の義務を果たしているだけだ」
「そうですねぇ。では来月の親族参加可能の園遊会は、僭越ながら、このライル・ガーランドが仕切らせて頂きますが、アルティリア様から、このぼーくが!称賛のお言葉を頂いても拗ねないで下さいねぇ」
ライルは、アルティリアを持ち出してはフェルディナンドを働かせている。そんな側近候補であったが、最近の第二皇子はさすがに危機的状態に思えた。
「アルティリア様とちょっと離れてるだけで、落ち着かないもんなぁ」
ライルはフェルディナンドの症状を二つに分類している。
アルティリアとコンスタントに過ごしている時は、気力、体力、モチベーション、幸福度が上昇している躁状態。逆に、現在のように妹と長く一緒に過ごせない時期は、厭世的になり、全てに投げやりになる鬱状態となる。
定期的に末期症状だと思うが、その度に重症化している気がする。妹が他国にでも嫁いだらどうするのだろう。特使として永住するのではないか。
「暖かい所がいいなぁ」
そうなるなら快適な国が良い。どうせ自分も関わる事になるだろうから。などと考えていると、フェルディナンドの書類を捌く手が止まる。
「よし、完了だ。俺は帰る」
「はい、お疲れさ……」
挨拶する前に部屋から出て行ってしまった。
「フェルディナンド様のお相手は大変だろうなぁ」
いや、もっとえらい目に合うのは第三皇女殿下の結婚相手となる男だろうなと思い直した。
フェルディナンドは皇宮に戻ると、すぐに侍従にアルティリアの到着を確認する。聞けば既に城に着いているというではないか。
「それでリアはどこに?」
「陛下とお会いになっております」
なんて事だ、自分が不在だったために父に先を越されてしまった。フェルディナンドはアレクサンドロスの執務室へと向かう。
「フェルよ、何処へ行く?」
「父上の執務室です」
途中の回廊でジークフリードとすれ違うが、目もくれずアルティリアの元へと向かう。しかし呼び止められた。
「行っても、リアはいないぞ……いや、なんて顔してるんだ。お前は」
目の下に隈ができ、青白く、頬がこけている弟を見て兄は言う。
「肉を食って、寝ろ」
「リアは何処に!?」
「魔獣種がいいぞ」
「リアは何処に!?」
「旨いし、精が付く」
「リアは何処に!?」
「今度、アレクを狩に連れて行く約束をしてるんだが、フェルも来るか?自分で狩った肉は格別だぞ」
「今夜の晩餐はちゃんと食べますから!」
「よし、約束だ。ちゃんと食え。リアは母上の庭園に向かった」
「ありがとうございます!」
ここ数ヶ月、どんどん痩せていく弟を兄なりに呆れつつも心配していたのだ。しかし、母フローリィーゼの庭は許可なしでは入れない。庭園に向かっても待たされるだけではないか。
「こちらでお待ち下さい」
ジークフリードの心配の通り、フェルディナンドは警備の騎士に止められた。皇族なのに、皇子なのに、息子なのに。
しかも……
庭園から出てきた母は言う。
「あら、リアなら、アレクにバイオリンを聴かせて貰うって言ってたわよ」
別の出口から、甥っ子の部屋へと向かったらしい。アレクサンドロス2世はアルティリアから子供用のバイオリンを借りて練習しており、帰ったら、その成果を聴かせると約束していたのだ。
「リアねえさまなら、おへやにもどったよ」
甥っ子の部屋にたどり着くと、既に妹は自室へと帰っていた。
「ねぇねぇ、フェルにいさまも、ぼくのドレミきく?」
アレクサンドロスは沢山練習して「ドレミファソラシド」が弾けるようになったのだ。是非とも、皆んなに聴いてもらいたい。
「ああ、聴かせてもらおうかな」
「よーし、ちゃんときいててね!」
どぉおれぇえみぃぃふぁああそぉらぁあしぃぃい!!
皇族の居住区である南宮はとても広い。広過ぎて、自宅なのに行き違いが多数発生する。
甥っ子の強烈なバイオリンを聴いた後は、直接アルティリアの自室へと向かった。もし、外出しているのなら待たせてもらおう。さすがに部屋で待っていたら会えるだろう。
「アルティリア様はお休みになられました」
第三皇女付き侍女筆頭のジャニス・リーガン女史が寝室に立ち塞がっていた。長旅で疲労が溜まっていたアルティリアは、早めに寝てしまったそうだ。
「起こしはしない。寝顔を見たいだけだ」
「皇宮に戻ったばかりでお疲れなのです」
「少しドアを開けて覗くだけでもいいのだ」
「なりません」
彼女は鬼気迫る様子の第二皇子を決して寝室には通さなかった。姫の睡眠は断固として死守するのだ。
「その代わり、お手紙を預かっております」
居ても立っても居られないフェルディナンドは、その場で手紙の中を確認する。その内容はお茶のお誘いであった。
「お兄様へ。ゆっくり、お話したいのでお時間を下さいな。お見せしたいものも御座います」
いくらでもあげよう。
フェルディナンドは、アルティリアのお願いには、どこまでも寛容に寛大になれる男なのだ。
「はははっ。リーガン、リアの見せたい物は何か知っているかい?」
「内密にせよとの事で御座います。ご容赦下さい」
「はははっ。内緒か。可愛いな」
妹からのお誘いに、ご機嫌となった第二皇子は、その晩から食欲も戻り、しっかり睡眠が取れるようになる。ライルに言わせると鬱状態から躁状態へとなったのだ。
そして、約束の日。フェルディナンドは、どうしたんですか?恋人に会いに行くんですか?と言われそうな程に、めかし込んで南宮の庭園へ向かった。久しぶりに会う妹に「やっぱりお兄様は素敵だわ」と言われたい兄心である。
指定された東屋へと到着すると、白い衣装を身に纏った精霊がいた。いや天使か?ともかく、その美しい存在は立ち上がると、自分のそばまで迎えに来てくれた。
「お兄様」
その衣装は、色とりどりの花の刺繍と魔術紋様が施され、クリスタルビーズが陽の光に反射し輝いている。自分と同じ黒く艶やかな髪にはフィラネラの花とリボンが飾られており、美しさを引き立てている。
「レイフィットの収穫祭で着た衣装です。どうですか?」
愛らしく、くるりと回る奇跡を思わず腕に閉じ込めた。
「会いたかった……っ」
「お兄様、生き別れの再会ではないのですよ」
相変わらず、二人の間の温度は常夏の南国と極寒の地ほどの差はあったが、フェルディナンドは気にもしない。
「しばらく見ないうちに、さらに綺麗になったね。やはり、一秒だって兄様はリアと離れていたくはないよ。君の成長を全てこの目に焼き付けていたい。それにしても、なんて可愛らしい姿なんだ。そうだ、宮廷画家を呼んで肖像画を描かせよう。10歳の祝いをしたアルティリアを後世に残さねば、世界の損失だよ。それから姿絵も造らせよう。大陸中にリアの可愛らしさを轟かせてやらねばね。そうそう、久しぶりのレイフィットは変わりはなかったかい?兄様がいなくて寂しくはなかったかい?領主邸やリバイス工房の皆は元気かな?リアに会えて喜んでいただろう。真珠の養殖に成功したんだって?おめでとう。リアが頑張ったからだよ、兄様は君を誇りに思うよ」
アルティリアはフェルディナンドに抱き締められ、そのまま抱え上げられると、気が付けば自分は兄の膝の上に座らされたまま茶会が始まってしまった。
しかし。
久しぶりだし、ま、いっか、と考える妹だった。
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