翠の魔女 20
裏の最終試験に騎士達も合格し、晴れて親衛隊となったレオンハート達であったが、本日の領主邸は非常に慌ただしい。
収穫祭の最終日である本日。アルティリアもレイフィットの伝統衣装に身を包み、櫓から花を撒く。
「花か」
「動き出さないといいな」
ぼそりと呟いたレオンハートの言葉にロゼッタが答える。ロゼッタもナイトレイもアルティリアの機密を知った。アルティリアは魔女は優しい方だと言っているが、レオンハートはその無条件の優しさはアルティリア限定だと判断している。
レオンハートだけでなく、ナイトレイもロゼッタも騎士という戦いを生業としている者達だが、戦闘狂ではない。騎士にはそういった性質を持つ者もいるが、親衛隊には選ばれていない。
皇族を守ることを第一として選ばれた三人は、魔女の底知れない能力を感じており、手放しで受け入れる事は難しい。
「姫君の味方であっても皇国や皇族の味方ではないと言うことだな」
「そう感じました」
「なるほど」
アルティリアから自分の資質と魔女について、そして、それらが最高機密であると説明を受けた後、レオンハートも魔女についてナイトレイに報告をした。
上官は何かを思案する様子だったが、しばらくすると言った。
「よし、分かった。解散」
「え、これで終わりですか?」
あまりにも呆気なかったので、思わずロゼッタは尋ねた。
「我々がやる事は今後も変わらん。姫君をお守りする。それだけだ」
「確かに、そうですね」
「だが、姫君の特質を考えると対策は必要だろうなぁ。頭の良い狂人にでも目を付けられたら大変だ」
「全くです。ただでさえ、大陸一お可愛らしいのに」
ナイトレイもロゼッタもアルティリアの機密を知っても抵抗なく受け入れ、粛々と対応している。恐らくこういった彼らの気質も親衛隊の選別基準にもあるのだろう。
レオンハートも騎士として姫君を守る。その決意は変わらない。しかし、どうしたらアルティリアに幸せな将来がもたらせられるのか分からない。皇族はルヴァランの守護者たる存在だ。
身勝手な望みだと自覚している。しかし、あのお姫様には皇族としてだけでなく、一人の少女として幸せでいて欲しいと考えてしまう。
「貴方の願いを1つ叶えてあげる」
魔女の言葉が甦る。
「くそ」
まるで呪いの言葉だ。
もうすぐアルティリアの着替えと準備が終わる。街の中央広場までエスコートだ。せっかくの姫君の十の祝いだぞ。余計なことを考えるな。
「ロゼッタ、俺を殴れ」
ダーシエ流の精神統一法である。
「任せろ」
衣装部屋の前で待機している同僚に頼むと、彼女は右足を引いた。予想外の危険を察知したレオンハートは素早く後ろに下がる。
「待て、お前、殴れって言ったんだぞ。何で膝蹴りなんだよ、しかも腹じゃなくて、もっと下狙っただろ、絶対やっちゃダメなやつだぞ、ブッ!」
「隙あり」
ロゼッタの拳がレオンハートの左頬に炸裂した。当たる寸前に顔面を強化出来たので、幸い頭蓋骨骨折は免れたが、とてもとても痛い。物凄く痛い。鼻血が出なくて良かった。
「ああああ、ありがとうよ」
「お安い御用だ」
ふらつきながらも礼を言えば、ロゼッタはやたら男前風味な笑顔を返した。
「アルティリア様のご準備が整いました」
しばらく待つとレネが衣装室の扉を開ける。
「お待たせ」
フィラネラの花の妖精がいた。
アルティリアは艶のある髪の端を編み込み、白いフィラネラとリボンで飾っている。花と同じ純白の伝統衣装には紺、紫、紅、黄、橙など様々な色で花の刺繍が裾に向かって咲き乱れ、その周りを鮮やかな翠の葉が舞う。深い藍の糸で、幸福を願う魔術紋様の刺繍が施されている。そして散りばめられたクリスタルビーズが輝く。
「どうかしら?」
美しい妖精は騎士達の前でくるりと回る。鮮やかな花の衣装が広がった。
「お似合いです」
そう言って手を差し出すと、小さな手がそえられた。
「では参りましょうか」
俺のお姫様。
「ええ」
わたくしの騎士様。
領主邸は中央広場に面しており、邸を出れば収穫祭を祝う領民達で賑わっていた。アルティリアが楽器を寄贈した楽団が楽しげな旋律を奏でている。普段は街灯も少ないレイフルだが、収穫祭の日は町中にランタンが飾られ、優しい光が夜を照らしていた。また広場を囲むように屋台が立ち並び、串焼きや、焼き菓子、エールやホットワインが売られている。
「今年も楽しそうね」
「後で何か購入しましょうか?」
「ええ、ぜひ」
横を歩いているナイトレイが言った。親衛隊長は今夜は安全だと判断したようだ。
櫓の下には既に10歳になる少女達が集まっており、皆、フィラネラの花が詰まった籠を抱えている。
「来たわ!」
「お姫様よ」
「お姫様だわ」
子供達は殆どアルティリアと関わる事はない。両親に「絶対に粗相をするな」と言い聞かされているらしく、彼女達は緊張しているようだ。
「こんばんは、今夜はご一緒できて嬉しいわ。わたくしも楽しみにしていたの」
アルティリアが微笑むと、不思議と少女達の気持ちは落ち着いた。その中の一人の少女が口を開く。
「あ、あの。お姫様の晴着とってもキレイですね!」
「ちょっと、止しなさいよ。失礼よ」
その少女の袖を、後ろに立っていた小柄な少女が引っ張った。きっと二人は友人同士なのだろう。よく見たら、髪型を揃いにしている。皇族は彼女達にとっては気安く話しかけてはいけない存在だ。友人が不敬に問われてはいけないと思ったのだろう。しかしアルティリアは、彼女達の十の祝いを緊張で満ちた思い出にして欲しくはない。
「ありがとう、テルドナ商店で仕立ててもらったの。貴女達の晴着も素敵よ」
「えっと、これ、お姉ちゃんのお古で……」
「貴女の淡いブラウンの髪とグリーンの晴着は良く似合っているわ」
「あ、ありがとうございますっ」
気さくに答えるアルティリアの様子に、他の少女達はおずおずと声をかけ始めた。側にいるロゼッタも少女達が一定の距離を保ちつつ、失礼のないよう努めているので見守る事にした。
櫓は危険のないよう確認されているが、万が一崩れた時のために、護衛騎士の中で最も体重の軽いロゼッタも登ることになっている。
広場の中心に組まれた櫓の周辺に人々が集まってきた。手には、皆ランタンを持っている。これは街に飾られた照明用ではなく、ランタンの中で熱せられた空気が上昇する仕組みを利用し、空へと浮遊させるために作られたものだ。
皆、このランタンに無病息災や幸福、豊穣などの祈りを乗せて夜空へと飛ばし、櫓には登った少女達はランタンが空へと舞い登った後、フィラネラの花を撒くのだ。
アルティリアと少女達が櫓に登り、しばらく待つと、領民達がランタンを空へ飛ばし始めた。夜空に浮かんだ数々のランタンがレシュタ湖に映り、空も湖も温かな光に包まれていく。
レオンハートが、胸にある願いとも決意ともいえる感情をランタンに託すと、優しい香りと共に白い花が舞い降りてきた。
「綺麗だな」
見上げればフィラネラを降らす愛しい姫君の姿があった。




