翠の魔女 19
昼下がりの皇宮に、軽やかなバイオリンの音が響く。そのバイオリンは大人が使用するには小さく、演奏する男が大柄で筋肉質であったため余計に小さく見えた。
ここは南宮の皇太子一家の居住区であった。通常サイズのバイオリンを扱うようになったアルティリアは、5歳の甥っ子に子供用のバイオリンを貸し与えたのだが、アレクサンドロスは練習に疲れると父にねだった。
「父上も弾いて下さい!」
息子にせがまれ小さなバイオリンを弾いていたジークフリードだったが、カウチで演奏を聞いていた息子が寝入ってしまったので、起こさぬよう静かに抱き上げる。侍従が歩み出たので、息子が目を覚さないようそっと渡した。
一礼して去ってゆく侍従と入れ違いで、父である皇帝アレクサンドロスが現れた。
「親衛隊の記憶保持に成功したそうだ」
「良かった、一安心ですね」
「ああ、これでリアの護衛の増員も可能だ」
アルティリアが翠の魔女に魔法の才を見出されて6年、アレクサンドロスもジークフリードもアルティリアの警備に神経をすり減らしていた。
アルティリアの護衛となるには「翠の魔女」と関わることになるが、彼女は自分と関わるものに、自身の記憶を保つことができぬよう強固な魔法をかけている。
アルティリアと共に出会いを果たしたフェルディナンド、魔女が皇帝の執務室に現れた際、同席していたジークフリードと、影の長チャングリフは幸いにして記憶を保つことに成功した。魔女と直接会ったことのない皇后は情報として把握しているのだ。現在、貴族家に嫁いでいるマドリアーヌとカトレアナには知らせていない。皇族とはいえ、可能な限りアルティリアの秘密を知る人間は少ない方が良い。
最高機密といっても過言ではない魔女について記憶できないものは護衛にはできない。アルティリアは以前、護衛や側仕えの記憶保持を、魔女に頼んだが断られたという。
「忘却魔法の解除?これも修行よ。ふふ、頑張って」
アレクサンドロスは娘を守りきれなくなった我らが、アルティリアを魔女に託すよう仕向けられているのではないかと訝しむこともあった。しかし、アルティリアを誘拐しようとした前イェーツ王への処分のための薬を提供するなど、協力的な一面もある。
「魔女殿の考えは読めんな」
魔法というものは魔術理論とは全く別の概念で構成されている。アルティリア本人も制御に苦労している様子であったが、娘は一歩進んだようだ。
「何もしてやれないというのは辛いですね」
ジークフリードは言った。自分も息子と娘が誕生し、彼らにできる事は何でもしてやりたいと思うが、皇族として生きるのであれば、本人が能力を高めなければならない。無能も愚か者も皇族としては生きてゆけない。
しかしアルティリアは本人も望まない特殊な資質を持って生まれてきてしまった。
魔女との対談により、ジークフリードは推測したが、一人前の魔女として魔法を使いこなすには百年以上の時が必要であろう。歴史上の聖女達は、その資質のみ見出され、正しい制御の方法を会得する前に権力者達に囲い込まれたため、ただ使い潰され、悲劇的な最期を迎えた。
アルティリアが魔法を会得するには、人をやめねばならないだろう。皇族はルヴァランの守護として行かねばならぬ。正しく魔法を会得したならばアルティリアは偉大な守護者になる事は間違いない。しかし人の生を捨てさせ、孤独を強いて、数百年、数千年の時を国に縛り付けるなど、まさに人身御供ではないか。
たった1人を犠牲にせねば成り立たない国など、既に滅びている。
ジークフリードはルヴァランを護り続けた祖先を誇る。その偉大な先人達の血を受け継ぐ、我が子らを信じている。
聖女も魔女も我らには必要ない。
ジークフリードは先ほどまで弾いていたリバリウスのバイオリンを手にする。音楽家達が神器と崇める弦楽器。美しいシェプール材がカーブを描く、触れればそれに宿る魔力を感じる。弾き手の魔力を音に乗せ、天上の音と思わせる音色が響く。「美しい音」を発生させる事に特化した魔道具といっても良い。ジークフリードは密かにこれを魔楽器と呼んでいる。アントン・リバリウスは弦楽器職人の枠を超え、錬金術師とも言えるのではないか。アルティリアは僅か5歳で彼を見出した。
「魔女も聖女も、他の運命を引き寄せるか」
思い起こせば、アルティリアの周辺には様々な才ある者達が集まってきていた。
アークライド公爵の弟と婚姻した元ルシアム男爵令嬢、彼女は高名な経済学者の秘蔵っ子で、今では伯爵夫人として夫と共に、アークライド家の領地経営に携わっている才女だ。
また、優秀だがマイペース過ぎて大学の教授連中から持て余されていたトレバー・ウッド。彼はある程度、やり方を伝授されたとはいえ、たった数年のうちに真珠の養殖を実現させてしまった。分析力と判断力は群を抜いている。
そして、アルティリアがレイフィットの神殿で出会ったコーリーと名乗る移民の女性。
「リアにとって良い人間だけであればいいのですが」
「そうだな」
アルティリアにとって皇国にとって害悪ともなる者を引き寄せる可能性も大きい。皇族一家の掌中の珠と、印象付けるだけでは弱いとジークフリードは考える。
「本格的にアルティリアの婿の選定をしましょう」
「うむ……」
父親の消極的な返事に息子は苦言を呈す。
「フェルみたいに、リアは独身のままでいいとか言わないで下さいよ」
「く……お前もいずれ分かる日がくる」
「分かりますよ、だから、こうして可能な限り側にいるのです」
ジークフリードはアレクサンドロスに背を向けた。
「なんだ、それは?」
ジークフリードの体に括り付けられている幅の広い紐。それはしっかりと息子の体に沿って装着されている。その紐は背中には大きな当て布があり、その中で、アレクサンドロスのもう一人の孫であり、ジークフリードの娘、リュシアーネが気持ち良さそうに眠っていた。
「おんぶ紐です。市井で見つけました。当て布部分を前に装備すれば手ぶらで赤子を抱く事も可能です」
「良いな、それ。貸してくれ。リュシアーネを背負わせてくれ」
「リュシアーネは父が良いと申しております故、お断りします」
「いや、ジィジが良いと言っておるぞ」
「聞き間違いでは?」
「何を言うか、さぁ、リュシアーネよ、ジィジの所にくるが良い」
「ダメですって」
「ひぃーーん」
図体の大きい男達が言い合っていたため、赤子は目が覚めてしまい、泣き声を上げる。
「馬鹿者、リュシアーネが嫌がっておるではないか!」
「父上が無理強いをするからでしょう!」
「ひーーんひーーん」
慌てる男二人の元へ、南宮侍女長モンスレー夫人が現れた。穏やかに微笑みながら、入室し、ジークフリードに括り付けられてた紐を解除する。
「さ、参りましょう、リュシアーネ様」
赤子は乳母の元へと返された。
「父上のせいですよ」
「お主のせいだぞ」
「仕方ありません。話を戻しますよ」
「優秀である事は大前提だ。死んでも欲をかかない男をリストアップしろ」
皇帝と皇太子が第三皇女の護衛騎士増員や婚約者選定の話をしている頃。第二皇子付きの侍従達は悩んでいた。対外的にそうは見えないが、実は主人フェルディナンドは今までにない程の体調不良が続いていた。
妹姫欠乏症。
長期間、第三皇女殿下と過ごせない状況が続いているため、睡眠不足と食欲不振、苛々などの症状が現れている。幸い、その苛々に関しては学友のライル・ガーランドがそつなくいなしている。しかし、睡眠不足と食欲不振はライル・ガーランドにもどうにも出来ない。殿下の体調管理は我らの業務の一環だ。
「第三皇女殿下の肖像画はもうないのか?」
症状緩和のため、アルティリアの肖像画をフェルディナンドの部屋に飾っている。現在、フェルディナンドの寝室、居間、執務室には、あらゆる年齢のアルティリアが微笑んでいる状況で、それはまるでアルティリア姫記念館である。
「あるにはあるのですが、両陛下の私室に飾られています」
1歳頃に描かれたアルティリアを抱く皇后フローリィーゼと皇帝の肖像画だ。それを借りるのはさすがに難しいだろう。
「仕方あるまい。市井で出回っている皇女殿下の姿絵を購入してくるか」
侍従長の言葉に中堅の侍従が尋ねた。
「現在、すこぶる独占欲が高まっている状況で、一般向けの姿絵を見せて、発行禁止など言い出しませんかね?」
全員が思った。
ありえる、と。
「お手紙の返信もあまりないようですからね」
アルティリアは忙しいようで、兄からの手紙にこまめに返事を出せないようだ。しかし、フェルディナンドは、朝夕、毎日二通ずつ、手紙を出すのはやり過ぎだというのが侍従達の総意だ。他人であったら間違いなく付き纏い男である。むしろ「しつこい!」という拒絶がないだけ優しい。姉姫方ならば、「おだまり」という返事が送られてくるだろう。
「自分、アルティリア様付きのクレール嬢に手紙を出してみます」
一人の若い侍従が提案した。彼はレネの親戚で、再従兄弟にあたる。
「ああ、どうにか心の安らぎになるようなものを送ってくれるよう頼んでくれ」
侍従達の切なる思いが届いたのか。
フェルディナンドの元にアルティリアからの手紙と小さな贈り物が送られてきた。
手紙には本当はお土産の一つにしようかと思っていましたが、先にお送りしますとあった。それはシェプール材で製作されたペーパーナイフだ。クレオが余った木材で製作したものらしいが、非常に軽く、滑らかな手触りが気に入り、アルティリアは自分とフェルディナンドの2本購入したという。
「良かったですね、殿下」
「アルティリア様とお揃いですね」
「姫様も同じ物をご使用しているそうですよ」
愛おしそうにペーパーナイフを見つめるフェルディナンド。その日から兄皇子はそれをもち歩くようになる。
ただし、護衛騎士達は言う。
「あれ、魔力宿ってるぞ」
「本当にペーパーナイフなのか?」
「護身用という意味なのではないか」
自分の魔力も乗せることが出来れば、殺傷力は相当高いらしい。
「殿下、やはり抱いて眠るのはおやめください」
「誤って、お怪我をしたらアルティリア様も悲しみますよ」
「チェストに置いておきますから、ほら、ここです」
「勝手に移動したりしませんから」
「どうか、安心してお眠りください」
そんな侍従達の話を聞いたライル・ガーランドは思った。
「あーやっぱ、侍従はやめておいて正解だったなぁ」
24時間シスコンの世話は絶対無理。
大量の手紙の内容は、ほとんど「早く会いたい。そばに居られないと心配で夜も眠れないし、食欲もない。世界中の誰よりも、君を愛してるのはお兄様だよ」です。しかし、それら全て表現を変えて書いてくる筆豆男フェルディナンド。
レネ「アルティリア様、フェルディナンド様付きの侍従から嘆願書が届いております」
アルティリア「お兄様、本当に心配症ねぇ。お土産の一つを先に送っておきましょうか」
フェルディナンドの護衛騎士達は、殺傷力の高そうなペーパーナイフがめちゃくちゃ気になってます。何なら、自分も欲しいなぁとか思ってますが「殿下ぁ、ちょっと見せて下さいよぉー」とか言える雰囲気じゃない。ションボリ。
※アルティリアの補充が十分な時はフェルも心の広い主人ですよ。




