翠の魔女 16
「ふふ、この姿になれば冷静に話してくれるかなって思って」
「くそ」
「ねぇ、聞いて。レオン君」
レオンハートの魔力が溢れだし、空を舞う花びらが焼け落ちる。これほど迷いのない感情は何百年ぶりだろうか。
権力者にしては驚くほど情の厚い皇帝でさえ、アルティリアの扱いに迷いを生じさせたというのに。
魔女とアルティリアの出会いは、彼女がレイフィットを訪れた4歳の時だ。アルティリアはフェルディナンドと共に騎士を連れて森を散策していた。同胞の力を感じ取った魔女は、アルティリアを連れ去る。そして魔女はアルティリアに自分達が何者であるかを説明した。このままではアルティリアも周囲の人間達も不幸になってしまうことを。
4歳にしては非常に物分かりの良いアルティリアは兄が心配しているので帰宅したいという。また今後については、父と母と相談したいと魔女に言った。しっかりしてるわぁと純粋に驚いた。
アルティリアを領主邸に連れて行くと、フェルディナンドは妹を抱いて自分を殺さんばかりに睨みつける。遠い遠い、かつて人として生きていた頃の記憶が蘇りかけ、酷く胸が痛んだ。
魔女はフェルディナンドとアルティリアを連れて、皇宮へと赴いた。当然、馬車ではない。皇宮の執務室に咲き乱れた花々の中から、娘と息子が現れた時の皇帝の顔は中々の見ものであった。
皇帝は時間が欲しいと願う。魔女は快諾した。しかし、アルティリアを利用するようなそぶりを見せたら、娘を攫ってやろうと決めていた。
彼は悩み抜いて、アルティリアに娘として皇女として生きることを選択させた。
アレクサンドロスは答えた。
「ルヴァランに聖女も魔女もいらん」
傲慢で尊大な答えに潜む親の情を魔女は気に入った。
長男は「魔女?化け物と恐れられるのは俺一人で充分だし、聖女がいなくてやっていけない脆弱な治世を敷くつもりはない」などと言う。次代の王は父と同様の考えを待つようだ。次男はアルティリアを魔女に引き渡そうものなら、妹を連れ出奔するつもりでいたらしい。母親は王が決断するまで、娘をかた時も離さず側にいた。
彼らが変わらずにいる限り、魔女は彼らの良き友人でいることを決めた。
しかし、そのままアルティリアは普通の皇族と同様に過ごしていては、いつ魔法が暴走するか分からない。魔術とは異なる力が露見すれば、否応なくアルティリアは世の中から、聖女か魔女と見なされる。例え、皇帝の娘であってもだ。
アルティリアは聖女として魔女として生きずとも魔法を学ぶ必要があった。
「そういう訳で、私はアルティリアちゃんのお師匠さんになったのよレン君」
「お前が“レン”と呼ぶな!」
殺気だっていたレオンハートではあったが、少しづつ落ち着いてきたようだ。彼の周囲の花びらも燃え落ちることはなくなった。
「ふふ、びっくりさせてしまったお詫びをするわ」
「いらねぇ!」
その容姿は美しい青年なのに、言動はグレン・ダーシエにそっくりではないか。粗野で乱暴で、妙に一途な男。魔女は余計に愉快な気持ちになった。
「貴方の願いを1つ叶えてあげる」
「結構だ。対価に魂でも寄越せとか言うんだろう」
「やだ、そんなの押し売りじゃないの。私は詐欺師ではないわ。お詫びなのだから無償よ」
アルティリアの姿のまま魔女は木からふわりと飛び降りる。
「例えば、貴方はいつか誰かを連れて逃げ出したくなる時が来るかもしれないわ」
偽者と理解していても、姫君の姿をした魔女を思わず受け止めようとしてしまったレオンハートはバツが悪いようで、そのまま剣を鞘に収めた。
「私達は強い運命を持った者を引き寄せてしまうの」
本人が望まなくとも運命の渦に巻き込まれてしまう。
「私とアルティリアちゃんが出会えたのもそのおかげね」
聖女として人と関わった者達は皆そうだった。魔女となってもその理を解明できてはいない。聖女として、魔女として生きていかないとしても、アルティリアは皇女として人の世界で生きてゆく。
「強い運命を持った者同士、引かれ合ってしまうのよ。そこに生まれるのは必ずしも好意ばかりではないわ。いつでも貴方達の逃避行を手助けしてあげる」
アルティリアに憎しみを打つけてくる者も害そうとする者もいるだろう。
「必要ない。俺がお守りする」
呼吸、鼓動、視線。
そこから感じ取れる感情。
レオンハートは本気だ。
この男は世界を敵にまわしても
己の命が尽きようとも
アルティリアと共にあろうとするだろう。
魔女の口元が三日月をつくる。
愉快愉快、なんて愉快な男だ。
ああ、面白い。
グレン、見てるかい。
アンタの子孫はアンタそっくりだ。
薄紅の花びらが舞い、アルティリアを覆いつくす。やがて大きな花びらの塊は解け、空に解けていった。
そして再び現れた花びらは渦を巻くようにして人型をつくり、元の魔女の姿をつくってゆく。しかし、その白髪の隙間から見える顔は、先ほどまでの若い女ではなく深い皺が刻まれた老婆であった。だが、その顔も花びらが消える際には若い女性のそれになっていた。
「お待たせしました」
アルティリアの声が聞こえた瞬間。周囲は小さな石造の家のそばにある畑に戻った。
「あら、丁度、終わったところよ」
魔女が答えると、レオンハートは置いたはずの籠を抱えており、そこには山盛りの野菜が入っている。レオンハートは魔女に試されていたことに気付いて苦々しい気分に襲われた。きっと、これで合格という事でもない、永遠に試され続けるのだとレオンハートは悟る。
「さ、二人とも帰りなさい。待たせている人がいるのでしょう」
別れ際に魔女は言った。
「あの約束は有効よ。気が変わったらいつでも言ってちょうだい」
レオンハートとしては魔女に願わねばならない状況に陥らないよう生きていきたいと思っている。ダーシエは己の力で信念を貫くのだ。しかしアルティリアのためなら命も魂でも捧げられる。
「アルティリア様、お疲れではありませんか?」
「大丈夫よ、え?」
「このまま、お運びします」
レオンハートはアルティリアを抱き抱える。しっかりと捕まえてないと、この姫君は連れ去られてしまうのだ。戸惑う弟子に魔女は言う。
「異空間の境界を通っていかないといけないから、その方がいいわ。はぐれてしまったら大変よ」
「分かりました。では、魔女様。失礼致します」
レオンハートは魔女に目礼をする。
魔女がアルティリアに敵対する事はないだろう。それかどころか彼女は同胞と見做したアルティリアが他者に利用されたり、傷付けられる事を良しとしない。レオンハートが姫君を守りきれないと判断したならば、自分の懐に抱え込んで返さないだろう。
魔女の見送りを経て、二人は森に入るとアルティリアはレオンハートに尋ねた。
「魔女様に、わたくしのことを聞いた?」
「はい」
「帰りはわたくしが、魔女様の異空間と元の場所に繋いでいくからレンは真っ直ぐに進んでくれる?」
「分かりました」
風と共に草木が揺れ、足元に水が広がる。森は消え去り、水面が世界を覆ってゆく。水は美しく透き通り、底が見えないほど深く、レオンハートの足元を魚の群れが泳ぐ。しかし、沈むことなく水面に立っている。
空は陽が沈み、橙と藍が混じり合う夕暮れと夜の間。黄昏、逢魔時。藍の空からは星が現れ始めるが、遥か地平線の橙は空を輝かせている。
空に見惚れていたが、視線を落とすと水面に花が咲き始めていた。
「睡蓮……」
「この睡蓮を追いかけて進んでくれる?」
白、黄、紫、青、薄紅。様々な色の睡蓮が道をつくるかのように現れる。
「綺麗だ。アルティリア様、貴女の魔法は美しいですね」
レオンハートは自分達を包む、全ての光景が愛おしく感じた。




