翠の魔女 15
精霊と勘違いされるほど長く森に住む魔女のおかげで、殆どの魔獣は、その魔力に怯えて近寄らないという。たまに無礼な生物が入り込んで来たら、魔女自ら仕置きをしていると語った。
「この子には逃げられてしまったけどね。逃げ足だけは速かったみたい」
そう言って魔女は調理台に置かれた熊肉の包みを見る。
「レオン君がやっつけてくれて良かったわ」
「いえ」
無礼な生物は魔獣ばかりではないだろうなとレオンハートは思ったが、深く考えるのはやめておいた。
「ご馳走様でした。魔女様、また書庫を使わせて頂いてもよろしいでしょうか?」
「真珠の養殖についての本を読みたいのでしょう。準備してあるわ。書き写すなら、このテーブルを使って」
「はい、ありがとうございます」
そして、アルティリアは自然な流れで食器の片付けを手伝っている。レオンハートとしては非常に違和感があるが、姫君がそうしてるなら自分もと思ったが魔女に断られてしまう。
「レオン君は後で手伝って欲しいことがあるのよ」
片付けが済むとアルティリアはテーブルに数冊の書籍とノートを広げ、書籍のページを読み込んでは書き写す作業を始めたので、レオンハートは邪魔にならない位置でアルティリアを見守ろうと横に立つ。
「レオン君は一緒に庭に来てくれるかしら」
魔女がレオンハートに声をかける。先ほどの手伝いの件であろう。
「魔女様、野菜の収穫なら、わたくしもお手伝いしますわ」
「アルティリアちゃんは、本を書き写してからね」
正直なところ、アルティリアを一人きりにさせたくない。レオンハートはまだ警戒を解くことが出来ていなかった。
「大丈夫よ、その窓からアルティリアちゃんの様子が見えるから心配はないわ」
「わたくしも、後から行くわね」
姫君にそう言われてしまっては居座る訳にもいかず、レオンハートは魔女と共に庭に出る。確かに、小さな畑のある庭からも、窓からアルティリアの姿を確認する事が出来た。
「はい、レオン君はこれを待ってね」
魔女はレオンハートに大きな籠を渡すと、慣れた手付きで人参を引っこ抜くと籠に入れていく。人参が終わると、ジャガイモを掘り起こし始めた。
「ここなら何を話しても聞こえないわよ」
大人しく野菜が詰め込まれていく籠を抱えていると、不意に魔女は言った。
「私に言いたいことがあるのではないの?それとも聞きたいことかしら?」
窓に視線を向けるとアルティリアは熱心に本を書き写している。こちらに意識を向けることはないと思えた。レオンハートは籠を地面に置くと魔女へと向き直った。
「あらやだ」
すると魔女は土のついた手をパンパンと音を立てて叩くと、ふわりと風が舞い、甘い香りが辺りを包む。そして、ひらりと舞い落ちてくるのは、見たこともない薄紅の小さな葉だ。だが、すぐにレオンハートはそれが葉ではないことに気が付く。見上げると木々の葉は全て薄紅に染まっていた。それは全て小さな花であった。花びらは吹雪のように空を埋め尽くす。
「アルティリア様をどこにやった?それとも俺を移動させたのか?」
「すごいわね、貴方」
「ふざけるな」
「ふざけてないわ。貴方、殺気を一切出していないのに、私をいつでも殺せる状態でしょう。こんなことできるのは、貴方の他にグレン以外は知らないわ」
レオンハートは舌打ちをしたい気分になった。恐らく魔女の言うグレンは「グレン・ダーシエ」。ダーシエ家の初代であろう。
「心配しなくても、私がアルティリアちゃんを害することはないわ」
「何故、そう言い切れる」
薄紅の花びらが魔女を守るかのように包み、そのエメラルドの瞳が輝いた。その姿は神々しくさえあった。しかし「魔女」は奇跡も厄災ももたらす存在だ。今後アルティリアに敵対しない保証はない。レオンハートは状況次第では討伐対象になりうると考えている。
「魔女は同胞を裏切らない。それは魔女として生きる者の遵守すべき、たった一つの決まりだからよ」
魔女は何を言うのか。それではまるでアルティリアが魔女だと言っているように聞こえる。
「魔女は絶対的に数が少ないのよ。だから横のつながりを大切にするの。万が一、同胞を傷付けたら、魔女と認められなくなるわ。本人がどう言おうとね。私達は寂しがり屋だから、仲間はずれにされるのが一番辛いのよ」
魔女はおどけたように言うと、手をかざす。その手に花が咲いた。紫の睡蓮だった。
「ねえ、睡蓮の騎士。貴方が殺そうとした女と、貴方が愛するお姫様は同じ魔女なのよ」
ルヴァランが存在するよりも遥か昔、時の権力者の主導で大規模な魔女狩りが行われた。その際、殺されたのは罪もない、ごく普通の女性ばかりだったという。しかし、その中に本物の魔女がいた。
「ふふ、声も出ないの?」
その魔女は七日間の間、大地を揺らし続け、割れた地面からは溶岩が流れ出し、休火山と思われていた山々は噴火した。そして、魔女狩りを断行した国は消滅した。文字通り消えたのだ。深い海の底に。
「ねぇ、魔女の正体を教えてあげましょうか」
足音も立てず、滑るように魔女はレオンハート側に寄ると、両手でレオンハートの顔を押さえ、瞳を覗き込む。
「魔女は聖女の成れの果て」
聖女。
その力を神殿に認められ、神聖魔法を凌駕する神の御技を操る女性達をそう呼ぶ。最後に聖女が存在したのは何百年も前のことだ。彼女達は神の代行者として、その力を奮い、人々に尽くすとされているが、レオンハートが知る限り、歴史上、幸福な最後を迎えた者はいない。
ある者は権力者に力を搾取され。
ある者は奴隷に落とされ。
ある者は追放され。
ある者は処刑され。
「逃げ延びて、助け合って、密かに生き残ったのが私達よ」
聖女達は権力と運命に翻弄された悲劇的な最後を迎えている。
「ねぇ、睡蓮の騎士。地面を割る力を持つ女がいたら、貴方はどうする?国中を水に沈めてしまう女がいたら?あらゆる作物を枯らしてしまう女がいたら?」
深い翠の瞳の中に宿るのは、強い怒りと絶望と悲しみ。
「アルティリアは、あの子は聖女にも魔女にもなりうるわ」
強すぎる力は人の心も変えてしまう。魔女は何百年も見てきた。強い絆で結ばれているはずの父や母や、兄弟、友人。愛を誓った恋人でさえも。
「世界を手にいれる力を持った女が貴方の側にいるのよ」
世界。
世界。
世界。
それがなんだ。
「うるせぇ!」
叫んだと同時に鞘から剣を抜き振り抜く。
睡蓮の金飾りが揺れた。
「何が世界だ!そんなものいるか!」
魔女の胴体は腰から裂け、血の代わりに薄紅の花が舞った。魔女の姿をかたどっていたものは全て花びらに変わり空に消えてゆく。魔女の気配を感じ取れない。どこへ行った。
「ここよ」
「卑怯だぞ」
薄紅の花の木の枝にアルティリアが座り、レオンハートを見下ろしている。魔女が姫君に姿を変えているのだ、だが偽物と分かっていても、斬り付けることは憚られた。




