翠の魔女 14
「ありがとう、レンはこっちよ!」
返事を聞いたアルティリアはレオンハートの手を取るとテーブルの奥まで歩いてゆき、椅子をひいた。
「アルティリア様、それは」
「ここは皇宮ではないから特別なの」
女性が、しかも皇女が騎士のために椅子をひく。とてつもないマナー違反である。
「座って座って」
だが椅子の背を持って腰を下ろすよう、せがむアルティリアにレオンハートは負けた。レオンハートが椅子に座ると姫君も隣の椅子に座り、自分の方を向いて嬉しそうに微笑んでいる。
何だこれは、さっきから幸せ過ぎるのだが。
俺は明日死ぬのか。
「いけない、わたくしったら。魔女様にお渡しする物があるのだったわ」
アルティリアは再び椅子から立ち上がると、バスケットを持って魔女の元へ。普段の姫君なら、もっとゆったりと動くが、今日のアルティリアは溌剌としている。初めて出会った頃の、今よりも、はるかに小さな姫君を思い出した。あの頃は元気に庭を駆け巡り、側仕え達を右往左往させていた。
普段の優雅な皇女としてのアルティリアも可愛いが、今のように活き活きとしたアルティリアも可愛らしい。
視線に気付いたアルティリアは、レオンハートに微笑み返す。やっぱり俺は死ぬのかもしれない。
「ごめんなさい、魔女様。無作法をしてしまって」
「アルティリアちゃんはお行儀の良い子よ。気にしないで」
アルティリアが謝罪の言葉をした事にひやりとした気分になるが、二人は気にしていないようだ。
「これは父からお薬のお礼とのことです」
アルティリアはバスケットから薄茶の用紙に包まれたものを取り出す。
「こちらで間違いないか確認して頂けますか?」
「どれどれ」
魔女が包みを開くと、緑色の塊が現れる。よく見るとそれは、細長い実が密集しているようだ。
「防腐魔術をかけた状態です。解除すれば熟して色が黄色に変わるそうです」
「これこれ、これが欲しかったの!間違いないわ。すごーい、さすがアルティリアちゃんのお父さんね」
「イヴィヤにいる父の知人が見つけてくれたのですって。現地では実芭蕉と呼ばれているそうですよ」
「嬉しいわ。うちのお庭で栽培できたら、お菓子にして持っていくわね」
菓子作りに利用できるということは果実の類のようだ。そして、アルティリアは別の包みを魔女に渡す。ずしりと重い、それは先日、レオンハートが斬った魔獣の肉の塩漬けだ。
「あら、この子、森で会った子だわ」
それを見た魔女は言う。
「この子、酷いのよ“私の森だから引越しして”って丁寧に交渉したのに、失礼な態度だったから、熊鍋にして食べちゃおうとしてたの。でも思ったより逃げ足が速くって」
「レンが討伐したんですよ」
「まあ、ご苦労様ね。ふふ、煮てたべようかしら、焼いてたべようかしら」
あの熊が妙に殺気だっていたのは、魔女に追われていたからか。位置確認した時に、とんでもない速さで向かってきたことにも納得がいった。
「それから、こちらがレシュタ湖で養殖した真珠です」
アルティリアが渡した赤いベルベットの小箱には、先日レシュタ湖の作業場で試験剥ぎをした真珠が入っている。その際、採れた物の中で最も品質の高い真珠だ。
「美しいわ。それにレシュタから湧き出る魔力を帯びているわね」
魔女は真珠を手に取ると目を細める。小さな宝石の、その白さの中に柔らかな虹が浮かんでいる。
「はい、レシュタ湖と周辺の森林の持つ自然魔力を吸収しているようです」
魔力は人や動物以外にも、森や山、海や川などの自然も宿している。大量に魔力を持つ岩や石などは魔石と言われ、様々な魔道具に利用されている。
開発されていない森や山が多くあるレイフィットは自然魔力が強い場所だ。レシュタ湖もまた強い魔力を持ち、湖の生態系に影響を及ぼしているようだ。
「魔女様のおかげで真珠の養殖が実現致しました。本当にありがとうございます」
「私は、ほんの少し知識を貸しただけ。これをつくり出したのは貴女の力よ」
「沢山の人達に手伝ってもらいました。皆の力です」
魔女は柔らかく微笑んで、アルティリアの頭に手を当てて髪を撫でた。姫君もそれを嬉しそうに受け入れている。まるで歳の離れた姉妹のようにも見えた。アルティリアは魔女を心から信頼していることが分かる。
「さ、スープが冷めてしまうわ。いただきましょう」
魔女に促されて姫君も席に着く。
「召し上がれ」
「いただきます!」
レオンハートは任務を忘れていない。アルティリアが先に手をつける前に、テーブルに並ぶ食事を口に入れる。
スープの具はキャベツ、ニンジン、玉ねぎ、ジャガイモ、ベーコン。何種類かのハーブも入っているようで香り良く仕上がっている。
サンドイッチにはチーズやハムそして、新鮮な野菜が挟まれている。シャキッとしたレタスとマスタードが良いアクセントになっていた。マスタードの辛味を除いても特に違和感はない。
焼き菓子はナッツを練り込んだクッキーだが、口に入れると、カリッとした胡桃の食感と共に生地がほろりと崩れる。
そして美しくカットされガラス皿に盛り付けられた果物は甘味が強く瑞々しい。
「レン。魔女様のお料理、美味しいでしょう?」
「旨いです」
丁寧なおもてなし料理であることが判明した。
「気に入ってもらえて嬉しいわ。アルティリアちゃんのおかげでレイフィットのハムやチーズの味が良くなったから、お料理も美味しく作れるようになったのよ」
皇族の口に入れても良いよう、レイフィットでは農業や畜産の開発と技術向上が進んでいる。その恩恵を受けて、レイフルの商店にも味の良い肉加工食品や農作物が卸されるようになった。
しかしレオンハートはある事に気付いてしまった。
「街で購入してるんですか?」
「もちろんよ。私は植物以外はつくれないの」
魔女が街をうろついてるなんて情報は入ってきていない。しかし、こんな女がレイフルを歩いていたら、もっと騒ぎになっているはずだ。住民はさほど多くもなく、全員が全員を知っているような小さな街だ。何故レイフルの住民達は誰一人、彼女の話をしていないのか。
整った顔立ちに、艶のある白い髪、印象的なエメラルドの瞳。古めかしい衣装。一人の女性として見ても非常に目立つ容姿だ。
あの異様な魔法に取り込まれず、ただ森で出会っただけなら精霊と勘違いしてもおかしくはない。ただでさえレイフィットには精霊の伝説があるのだから。
その精霊は時折、レイフルの街に降りてきて、商店やバザールで鍋やベーコン、ソーセージに魚などを購入するが、その精霊が男だったか、女だったか、皆忘れてしまうという。
まさか、まさか。
「あの、もしかしてレイフィットの精霊というのは……」
レンが尋ねるとアルティリアと魔女は顔を見合わせる。そして、魔女は肩をすくめた。
「やだ、ばれちゃった」
「魔女様は静かにお暮らしになりたいそうなの。だから、街の皆んなが驚かないよう忘れてもらっているのですって。でも、時折り、断片的に記憶を保っていた人達がいて、魔女様を精霊だと言うようになったみたいなの」
アルティリアが説明すると、魔女は恥ずかしげに自分の両頬を手で押さえる。
「なんだか、照れるわ。精霊の正体が神秘性のない、ただの魔女でごめんなさい」
「……いえ」
長らく精霊と思われていた存在は魔女だった。
レオンハートは伝説となり信仰の対象となった精霊がどれほど長く、レイフィットにいるのかと疑問に思ったが、魔女に尋ねるのはやめた。
女性に年齢を確認するような質問は紳士失格であるし、世の中には知らない方が良いこともある。




