翠の魔女 13
レオンハートはアルティリアを抱き込むと、花に襲われ暗闇に閉じ込められる。だが、それは一瞬のことで、すぐに花々は散り、辺りは光に包まれた。通常なら眩しさのせいで動作が遅れるが、身体の調整も訓練しており、すぐに視界は慣れる。
どこだ、ここは?
数秒前まで、ただ木々が生い茂る森の中であったが、目の前には小さな小川が流れ、石造りの小さな家が立っている。そして、秋のレイフィットにはいるはずのない蝶々が舞う。
「いらっしゃい」
声の先にいたのは若い女だった。陽の光が当たっていたため銀髪かと思われたが、その髪は白髪だ。整った顔立ちに、特に印象的なのはエメラルドよりも深いグリーンの瞳。そして、数百年前に迷い込んでしまったかと思わせるような古めかしい衣装。前開きで、太い帯で腰を縛っている衣装だ。白い布に濃淡の異なる緑の葉が刺繍されていた。
柔らかな微笑みを浮かべ、アルティリアとレオンハートを見つめている。
美しい女だ。
しかし寸前まで気配を感じなかった。
「レン、この方は大丈夫よ」
剣を抜こうと手を伸ばすが姫君に止められた。
「ですが」
「この方が、わたくしのお師匠様なの」
薄々勘付いてはいたが、この見るからに妖しい妖しい、妖しすぎる女がアルティリアの教育者の一人だった。
「だから、ね?」
姫君はまるであやすかのように、自分を抱いているレオンハートの腕をトントンと叩く。しかし警戒心が最高潮の騎士はアルティリアを放す気配はない。
むしろ不審な者を見る目を女に向けたまま、レオンハートは腕に力を込めた。姫君は絶対に放さん。
「動けないわ、レン」
「お運びしますので」
「騎士が手を塞いでは戦えないでしょう」
「俺は足技にも自信があります」
女はアルティリアとレオンハートを見て可笑しそうにくすくすと笑う。
「レン、あのね。お父様にもお母様にも、ちゃんとご了承頂いてるの」
皇帝皇后両陛下のお墨付きである事を説明した。皇国の最高権力者であり、アルティリア保護者の同意を得ての関係だという事で、レオンハートは渋々、本当に渋々とアルティリアを放す。
「あの、彼はレオンハート・ダーシエ卿です」
心配症の騎士から解放されたアルティリアは女にレオンハートを紹介した。
女は先程からずっと愉快そうに微笑んでいる。
「二人は仲良しなのね」
「はい」
女の言葉にアルティリアはニコリと笑う。
「ダーシエ卿はわたくしの遊び相手として、皇宮に来てくれていたのですが、今は護衛騎士をしてくれているのです」
ちょっと待ってくれ、姫様。サラッと肯定してましたが、今なんと?レオンハートは女とアルティリアのやり取りを反芻した。
仲良しなのね。
はい。
間違いなく、アルティリアはそう言ってた。
聞いたか、世界よ。
森羅万象、全ての生きとし生けるものよ、聞いたか。
俺とアルティリア様は仲良しだ。
思いがけないアルティリアの発言に動じていないふりをするのが難しい。
そんなレオンハートにアルティリアは女を紹介する。
「レン、この方は私のお師匠様の翠の魔女様よ」
その言葉にレオンハートの浮かれていた心は激しく殴打された。
「それは通り名か何かでしょうか?」
「いいえ、そう呼ばれるに相応しい力をお持ちの方よ」
魔女。
それは学問として、技術として確立された魔術を扱う魔術師とは違い、独自の力を操る存在。
魔術を遥かに超えた力。
魔術では解明出来ない現象。
時として奇跡を起こす。
それは幸運となるか、災いとなるかは、その者次第。
人々はその技を魔法と呼ぶ。
世界に数名存在していると言われる魔法を操る者達。
それが魔女だ。
確かに、自分達は明らかに魔術とは違う力で連れ去られた。季節外れの花々が急速に成長して自由に動き、自分とアルティリアを瞬間的に移動させてきた。信じ難いが、間違いなく現実だ。
「……魔女」
レオンハートにとっては伝説の存在でしかなかった。
「魔女でーす」
女は服の裾を摘み、少しだけ上にあげ、酷く雑なカーテシーのような姿勢をとった。
「“翠の”って付くのは、私が植物と親和性の高い体質だからなの」
「……そうですか」
先ほどから、得体の知れない者と対峙している気分だったのは、真実、得体の知れない存在だったからだ。レオンハートはやはり、アルティリアを抱えて全力退却したい気分になった。
「さ、二人とも、うちにいらっゃいな」
「お邪魔いたします、魔女様」
「アルティリアちゃん、お父さんとお母さんは、お元気?」
「はい、魔女様によろしく伝えて欲しいと申しておりました」
「そういえば、今回はお兄ちゃんはお留守番?」
「ええ、わたくしも早く兄離れしなくてはと」
「偉いわね。でも、フェルディナンド君、嫌がったのではないの?」
「皇宮から出発する際、馬で追いかけられました」
「あらあら、ふふふ」
まるで親戚同士のような会話を繰り広げる魔女と姫君と共に、レオンハートは石造りの家に向かう。案内されたのは家の裏手だ。周辺には様々な植物が植えられていた。花だけでなく、ハーブや野菜、果樹など。そして、それらは全て季節関係なく花は咲き、果実は実っている。
「さ、どうぞ、入って」
魔女は扉を開け、二人を促した。レオンハートは自ら罠に嵌るような気分に襲われるが、勝手知ったる仕草を見せる姫君が、安全確認する前に入っていってしまいそうなので、失礼しますと断りを入れ先に入室した。
扉はいわゆる勝手口で、中は炊事場であった。壁側には食器棚、調理台の上に鍋やフライパンなどが並び、籠に入れられた果物もある。天井には乾燥させたハーブや香草などが吊るされている。また煮炊きするための暖炉に火が灯り、鍋が置かれていた。壁には大きな窓がいくつもあり、室内に陽の光を取り込んでいる。
随分と昔。幼い頃に母の故郷へ行き、訪問した母の乳母の家と似ていた。
「軽食を用意しているの、良かったら召し上がって」
「わあ。いつも、ありがとうございます。いただきます」
中央のテーブルにはハムやチーズ、野菜を挟んだサンドイッチ、湯気がたっているスープ、林檎やオレンジなどの果物、そしてナッツが練り込まれた焼き菓子などが並べられていた。
レオンハートを嫌な気分にさせたのは、それらがキッチリ三人分準備されているということだ。アルティリアだけでなく自分も現れることを想定していたということか。
そんなレオンハートの気持ちを察してか、アルティリアは言った。
「レン、魔女様のお料理はとても美味しいのよ」
「しかし任務中ですから」
万が一、毒でも仕込まれていたら、二人とも共倒れになってしまう。
「ふふっ。毒は有料だから入ってないわよ」
魔女は笑えないジョークを炸裂させる。
「あのね、レン。フェル兄様も去年まで一緒にいらしてご馳走になっているし、お父様やお母様も魔女様のお土産に頂いたお菓子を召し上がったことがあるの」
姫君は何やら一生懸命に説明するが、魔女と皇族が家族ぐるみの付き合いだという事実に理解が追い付かない。
「ここは、魔女様の構築した異空間と結界が組み合わさった場所だから、敵襲の心配もないわ」
いえ、姫君。その事実の方が心配であります。しかし家の外の季節感を無視した動植物の存在に納得がいった。
「だからね、あのね」
そして、アルティリアは珍しく口ごもった。
「わたくしと、レンが一緒のテーブルで食事しても大丈夫だと思うの」
普段ならアルティリアは側仕え達が困るようなことは命じない。だが、これは無茶な願いであった。
レオンハートはアルティリアの遊び相手であったが「友人」ではない。あくまで臣下であった。そして今は主人と騎士。
「ですが……」
護衛対象と騎士が同じテーブルにつくことはあり得ない。だが、レオンハートにとってかつて無いほど魅惑的な願いであった。
極め付けに魔女は単刀直入に言った。
「アルティリアちゃんはレオン君と一緒に食べたいのですって」
もうすでにグラグラと精神が揺れていたレオンハートの元にアルティリアは歩み寄ると自分を見上げた。
「ダメかしら?」
思考停止になりかけたレオンハートだったが、彼の脳は姫君の願いを叶えるべく考える方向を切り替えた。そうだ、毒味役がいないではないか。ならば自分がするべきだ。うん。決してこれを逃したら、アルティリアと共に食事をする機会が今後一生やってこないからという訳ではない。皇族が毒味なしで食事をとるなどあってはならないからだ。
「いただきます」
騎士は姫君のために毒味役になるのだ。
やっとこさ、タイトル回収。




