翠の魔女 12
アルティリアが支援しているリバイス工房は、アントンとクレオの楽器が世の中に広まるにつれ、弟子入り志願者も増えたが、職人としての拘りの強い彼らは弦楽器を大量生産するなどはしない。アルティリアもアントンやクレオが納得した楽器を世に出して欲しいと思っている。彼らの技術こそがルヴァランの宝なのだから。
そのため現在、レイフィットで最も大きい産業はシェプールを中心とした林業だ。しかし主要産業と言えるほどの規模ではない。シェプールの成長は非常に遅く、また土砂崩れなどの災害発生を引き起こしてしまう恐れがあるので大量伐採は出来ないのだ。
シェプールのみでレイフィットを発展させていく事は難しい。林業に代わる新たな産業が必要だった。
「それで真珠の養殖を?」
「そうなの。実現出来れば、大幅な税収が見込めるでしょう」
レオンハートの問いかけにアルティリアは答える。これは領主邸での会話だった。良く晴れた、その日の午後。真珠の養殖についての助言と文献を提供してくれた姫君の師の元にいくという。
ただ不思議な事に、アルティリアの教育者がレイフルにいるという情報はこれまで聞いた事はなかった。
「その方は、少し変わっていて。会う人間を制限しているの。だから今日はナイトレイ隊長とロゼ、それからレンとわたくしの4人で参ります」
また、いつになくアルティリアの話し方が有無を言わさないものであった事が気になった。
「今日はレネは領主邸で待っていてね」
そう言いながら、姫君は何か言いたげな侍女からバスケットを受け取っている。
「お師匠様にお持ちするお土産と、アルティリア様の文具が入っておりますので、とてもとても重いですよ」
「レネは心配性ね」
遠回しに自分も連れて行けと言っているのは理解しているが、今回は騎士達のみ連れて行くとアルティリアは決めている。
フェルディナンドの常軌を逸した過保護に慣れてしまっていたが、レネもアルティリアに対して過剰なところがあるのだ。
「姫様の指に持ち手の跡でも付いた日にはレネは己を許せません」
「やあね、大袈裟よ」
そんなやり取りを経て、アルティリアと騎士達はレシュタ湖を囲む森へとやって来た。
シェプールを中心に様々な木々が茂る豊かな森を、アルティリアは迷いなく進んでいく。時折、草むらからリスやウサギが顔を出して来たりと、先日、魔獣が現れたと思えないほど平和なものだ。
「姫、その方のお宅はどちらに?」
いくら穏やかな森だとしても、ナイトレイとしては皇女を先頭に立たせたくないのだ。侍女も付けず、共は親衛隊のみ。情報の共有もなく、姫にしては珍しく独断的な行動が目立つ。
「そろそろ、迎えがくると思うのだけど」
アルティリアは立ち止まると上を見上げる。木々の隙間から空が見え、風が枝を揺らしていた。
「アルティリア様、やはりバスケットは私が持ちましょう」
ロゼッタはアルティリア自ら、手土産の入ったバスケットを持っている事が気になっている。レネが言っていたように、本来、皇女が荷物を持つような事はないのだ。
「ありがとう、ロゼ。でも騎士は何かあった時に手が塞がっていては困るでしょう」
「しかし」
「平気よ。わたくし、実は力持ちなのよ」
こうして話す姫君は普段と変わらないように見える。だが騎士達三名は言いようのない予感を感じていた。
「そろそろ来るかしら」
森に風が吹き抜け、木々の枝が揺れ、葉が舞った。
「あのね、三人とも聞いて」
姫君は騎士達に向き直る。
「これから起きることは想定済みよ」
ロゼッタはふと、アルティリアの足元に小さな花が咲いている事に気が付いた。菫だ。おかしい、この時期に咲く花ではない。
「アルティリア様、一体何を……」
レオンハートが言いかけた時、風に揺らされたのか、黄色い小さな花が降ってきた。頭上ではミモザの花が咲き、彼らを見下ろす。
甘い香りが姫君と騎士達を包み込む。
「何があっても問題ありません。全員ここで待機していて下さい」
そして緑が広がっていたはずの森に花が咲き始めた。
白、黄、薄紅、真紅、色とりどりのバラ、アイリス、藤、芍薬、紫陽花、向日葵、ブーゲンビリア、ジニア、ペチュニア、カリブラコア、ポーチュラカ、マリーゴールド、エキナセア、ガイラルディア、チェリーセージ……
彼らの前で急成長を遂げる花々。
「こ、これは」
ナイトレイは防御魔術を展開しようとしたが、魔力が何者かに分解されたことを感じた。構築したそばから、バラバラと崩される。今までこんな経験はなかった。
「大丈夫。わたくしを信じて待っていて……」
咲き乱れた花々が伸び、姫君を呑み込もうと広がっていく。アルティリアを攫うかのように。
「嫌です」
レオンハートは地面を蹴る。
「レンッ」
花が姫君に触れるよりも速く、レオンハートはアルティリアを腕に抱き込むと、花は二人を包み……
「アルティリア様!」
「ダーシエ!」
ナイトレイとロゼッタが二人の名を叫んだと共に花は散る。花弁は激しい風と共に拡散し、辺りは再び緑が広がる森に戻った。
まるで幻を見せられたようだ。しかし、アルティリアとレオンハートは花に連れ去られた。
「隊長」
「何だ」
「追跡魔術が解除されてます」
「俺が放った魔術もだ」
アルティリアとレオンハートが花に呑み込まれる直前、二人とも追跡魔術を彼らに放った。しかしそれが形跡を辿ることも出来ないほどに崩されている。いや、消滅させられていると言っていい。
魔術は人が、自分自身の魔力、もしくは魔力を込めた魔石などを利用して発動・展開していく技術である。それらは人が扱える理論が存在している。
ただし、神聖魔法に関しては理論を理解していても、使用者の適正がなければ発動が難しい。どれほど努力しても会得出来ない場合もある。神聖魔法は神殿で継承されてきた技で、未だ解明されていない術も数多い。
「隊長」
「何だ」
「相手は魔術師ではないですよ」
「そうだな」
だが神聖魔法の使い手でもないだろう。
魔術を魔術により解除することは可能だ。しかし発動した魔術と解除した魔術。それぞれ痕跡は残る。解析も出来ないほど、その魔術の片鱗、つまり使用者の魔力自体を消し去ることは不可能なはずだ。
それを可能にしてしまう存在は人ではない。
「マジかよ」
ナイトレイは昨晩、マーカスにアルティリアの師について確認しようとしたが、いつか見た、悟ったような困ったような絶妙な微笑みを返されたのだった。
「隊長、変な顔になってますよ」
ナイトレイはマーカスと同じ様な表情になっていた。
「失礼な部下だな」
本当に我が主人は想像の斜め上を行ってくれる。それは、もう一人の部下にも言えることだが。
「仕方ない。姫の命令だ。待機!」
アルティリア様に何かあったら、レオンハートが死ぬ気でお守りするだろう。姫からの待機命令を破った事は不問としてやろうとナイトレイは考えるのだった。




