皇帝、お礼をする
皇帝と親友の侍従がワイワイしてる話。
今年の新年の贈り物は非常に好評であった。末の娘など、お守りにするなどと可愛い事を言っていた。次男は、父のプレゼントが注目されているのが気に入らないようだったが、しっかり銅貨をポケットにしまっているのを、皇帝は見逃さなかった。
素直な娘も反抗期の息子も全くもって愛らしい。
「ようございましたね」
「うむ」
深夜、寝室には乳兄弟の侍従セインのみがおり、皇帝アレクサンドロス一世にとっては1日の中で、気の休まる大切な時間である。
「影を使って銅貨を集めると仰った時は、どうしてくれようかと思いましたが」
「お主が、余が自分で集めるのはダメだと言うからだろう」
「影の使用は国防優先です。そして、陛下は馬車馬のように皇国に尽くして下さいませ」
幼い頃からの親友でもあるセインは皇帝に物申せる数少ない人間でもある。
さて、今年の贈り物の採用者は東宮の侍女長である、マドラス夫人であった。彼女は元子爵夫人で、現在家督は亡き夫に代わり息子が継いでいる。かつて皇太后に仕え、非常に優秀な侍女であった彼女は、夫が亡くなると、再び国のために役に立ちたいと皇宮での務めに復帰した。
夫人の生家は大変裕福な伯爵家である。ならば、1番人気のアレクサンドロスの別荘ご招待はなしだ。ブランデーのグラスをゆらりと傾けてつつ思案し、一人の人物を思い浮かべる。
「よし、決めたぞ」
その日、東宮の侍女達は少々浮き足だっていた。今年の皇帝の贈り物に、自分達の上司の案が採用されたのだ。本日、皇帝より、お礼の品が送られるらしい。そのため侍女長は今日一日、珍しく休みを取った。
「やはり、陛下の個人領で有給休暇かしら」
「マドラス様のご実家も別荘は所有されているわ」
「なら、宝物庫から一品?」
「やあね。それは、貴女の欲しいものでしょう」
そんな噂話に花を咲かせていると、夕暮れ時に、その本人が現れたではないか。
「少しお化粧が崩れてしまったのよ」
などと言いながら侍女長の執務室へ入って行く。恐らく、部屋で化粧直しをするのだろう。その顔は確かに泣いた後が残っていたが、まるで少女のように綻び、幸せに満たされている。
普段は職務に厳しく、真面目で実直、侍女の鑑と言われる彼女に何が。
部下達は冷静な上司のいつもとは異なる様子に驚き心配し、好奇心も抑えられず。気持ちの落ち着く効果のあるハーブティーとスノーボールのクッキーを素早く準備。
誰もが行きたがったが、代表者二名に絞り、侍女長の部屋のドアを叩いた。
「どうぞ」
「失礼致します」
部屋に入ると、既に侍女長の顔は整えられていた。
「お茶をご用意致しました。宜しければお召し上がり下さい」
マドラス夫人はハーブティーを一口飲むと、部下達に礼を言う。
「ありがとう、心配かけたわね」
「あの、もし、差し支えなければ」
「ちょっと!」
興味を抑えきれず、口を開いた若い侍女を少し年上の侍女が諌める。
「気になるわよね?」
「申し訳ございません」
二人の謝罪にマドラス夫人はいいのよと笑う。彼女達に話さなくとも、いずれ知られる事になるだろう。
マドラス夫人は本日の出会いについて話し始めた。
皇宮に出向くと皇帝みずから案内されたのは、皇后の庭園であった。婚姻の贈り物として皇帝が皇后フローリィーゼのために造らせた庭園で、完璧な私的空間として存在しており、社交などには使用されず、皇族の他は皇后のごく近しい者しか立ち入った事はない。
「宜しいのでしょうか」
「ああ、フローリィーゼも快く承諾してくれた」
季節の花々が咲き、鮮やかな色に包まれた庭園は素晴らしいの一言に尽きる。薔薇よりも芍薬が目立つのは皇后の愛する花だからだ。
庭園の見事さに感嘆しつつ進むと東屋が見えてきた。そこに一人の男が座っている。彼は皇帝とマドラス夫人に気付くと立ち上がる。
「彼の方は、まさか……」
想像もしなかった人物の登場にマドラス夫人は失神した。
「すぐに気が付いたのよ、一瞬だけ気が遠くなっただけなのよ」
実は倒れかけた自分を、皇帝自ら支えた事に驚き目が覚めた。主人に迷惑をかけるなど言語道断。仕事の鬼、マドラス夫人は踏ん張った。
「どなたですか?」
「マドラス夫人が失神してしまうような方って」
部下達に言い訳がましい事を言ってしまって、少々気恥ずかしいのだが、彼女達はそのような事よりも、東屋にいた人物が気になるようだ。
「ケーン・タイラー!?」
「あの、名優の?」
驚く二人の顔には「意外だ」という気持ちが見て取れる。
ケーン・タイラー。
ルヴァラン皇国において知らぬ者は居ないであろう伝説の俳優。彼の存在により、役者の社会的地位が向上したと言っても過言ではない。また、脚本、演出の才能もあり、娯楽と芸術を絶妙に融合させた舞台は貴族、平民問わず夢中にさせた。
何よりも彼の殺陣は鋭く美しい。男女問わずルヴァランはケーン・タイラーに熱狂した。剣術を嗜む者も彼がそれなりの実力を持っているのではと唸るほどだ。
ただし、惜しまれつつも現在は引退し、ひっそりと暮らしているらしく、その消息を知る者は少ない。
「あの、そんなにケーン・タイラー様がお好きなんですか?」
若い侍女に問われると、マドラス夫人はそっと目を伏せる。
「お芝居は亡くなった主人とね、共通の趣味だったの。彼ったらケーン・タイラー様の舞台を見て剣の道を志したのだと言っていたわ。あの人からケーン・タイラー様がどれだけ素晴らしい役者か聞いていた私もファンになってしまったのよ」
マドラス夫人と今は亡き子爵は当時は特に珍しい恋愛結婚であった。しかも、裕福な伯爵家の令嬢であったマドラス夫人とは違い、亡き子爵は男爵家の三男坊。当初、マドラス夫人の父は、家督を継ぐ事も出来ない令息との結婚は許さなかった。
「学園の卒業式にあの人は、私の生まれた年と同じ年の刻印がされた銅貨を渡して言ったの」
本当は誓いの指輪を贈りたいが、貧しい自分には、貴女に相応しい物を用意する事は出来ない。だが、必ず、貴女のお父上に認められる男になるから信じて待っていて欲しい。
「そして彼は本当に武功を立てて男爵を授爵して迎えに来てくれた」
皇国の騎士団は他国に比べるまでもなく圧倒的な武力を誇る。その中で武功を立てる事は簡単な事ではない。並大抵の努力ではなかっただろう。マドラス夫人の父はその努力と彼の才覚を認め、二人の結婚を許した。実際彼の実力は確かなもので、子爵まで上り詰める事になる。
「結婚後、彼の故郷の風習で子供の幸せを願って銅貨を送る慣習があると聞いたわ。彼は両親から戴いたお守りの銅貨を私に預けてくれたのよ」
学園での恋愛ごっことして、思い出の一つとして、銅貨と一緒に忘れ去られてしまう可能性もあった。しかし子爵は彼女との約束を果たし、迎えに来た。
「ケーン・タイラー様とお話ししていたら、あの人にまた会えたような気持ちになれたわ」
ご令嬢は恋愛話が大好きだ。しかも正攻法で身分違いを乗り越えた実話である。目の前にその体現者がいる。
「う……ぶあーん!」
なんて素敵なお話なの。若い侍女の涙腺は爆発した。
「何故、貴女が泣くの!?」
先輩侍女は慌て過ぎたのか、ハンカチで後輩の顔全体を抑えてしまう。
「だって、だって。うあああ」
廊下で聞き耳を立てていた侍女達は何事が起きたのかと、気になって仕方ない。こうして、マドラス夫人は皇帝から素敵な賞品を貰い、ご機嫌で帰宅した。
息子はあまりの母の浮かれっぷりに驚きおののく。
「ケーン・タイラー様って少しお父様に似ているでしょう」
などと母に言われたが、生前の父は怪我で騎士を辞め、文官となり、タプンと震える腹とツルンと光る頭部が印象的な男であった。いくら惚れ合っていても贔屓目が過ぎる。
「まったく」
しかし母があんなにも嬉しそうにしている姿は何年振りかと思うほどだったので、皇帝陛下には感謝しかない。などと考えていると、執事が一枚の肖像画と若い時代のケーン・タイラーの姿絵を持ってきた。
「こ、これは……」
肖像画は結婚当時の父と母だ。若き父は確かにケーン・タイラーに似ていた。父はケーン・タイラーが好き過ぎるあまり、髪型や表情などケーン・タイラーに寄せていたのだ。それを知らなければ、中々の男前に見える。
「はは」
思わず笑ってしまったが、執事に嗜められた。
「笑い事ではございませんよ」
「どう言う意味だ?」
聞き返して、はたと気付く。騎士として鍛えている自分も、タプンツルンの未来が訪れるという可能性があるのだ。
「お体を大切になさいませ」
そう言って執事は部屋を出て行った。その日より若き子爵は頭皮マッサージを日課とする事にした。
余談であるが、毎年、皇帝の親族への贈り物はルヴァランにちょっとした流行をもたらしている。今年はマドラス夫人と亡き夫の逸話も相まって、大流行となった。
子供への贈り物には勿論のこと。
意中の人への贈り物にすれば、気持ちが通じ合う。
男女で贈り合うと幸せな結婚が出来る。
恋人、婚約者、妻に贈れば、出世の願掛けに。
通常、社交界では目立たない造幣局へも注目が集まり、局員も喜んだと言う。
しかしながら、誕生した年と同じ年に製造されたコインが簡単に見つからない場合も多々ある。そこに着目したのが宝飾品を取り扱う商会だ。
「見つからないのでしたら、お造り致しましょう」
銅とは言わず、金やプラチナなどいかがですか。お贈りする方の誕生石など埋め込んでも、宜しゅうございますねぇ。周囲をダイヤモンドでぐるりと囲めば、何と艶やかな。裏面には製造年の代わりに愛のメッセージなんぞ如何でしょう。
女性にはネックレスやイヤリング。男性ならばカフスなど。コインをモチーフにしたジュエリーが流行りとなる。
皇帝の贈り物が新たな経済効果を生んだ。
「良きかな良きかな」
アレクサンドロスは寝室にて呟いた。夫人も喜び、造幣局も注目されて、経済も潤い、大満足だ。本日のブランデーも大変美味である。ところがセインが耳元で呟いた。
「本当はご自分がケーン・タイラーに会いたかったんでしょう」
「違うぞ、マドラス夫人のためにだなぁ」
言い訳を始める最高権力者の幼馴染を、侍従は冷めた目で見据える。何故って、何度もケーン・タイラーの舞台に付き合わされたのは他でもないセインなのである。
ケーン・タイラーの人気を不動にしたお芝居「暴れん坊陛下」。架空の王国エドゥを舞台に、若き国王ヨシュアムが身分を隠し、王都に蔓延る悪党を斬る勧善懲悪のストーリー。
アレクサンドロスはハマった、とにかくハマった。いつでも峰打出来るよう、両刃刀から片刃へ変えた。一人称まで「私」から「余」に変えた。
悪党が国王であるヨシュアムに気が付かず、曲者呼ばわりするシーンに使用される決め台詞。
「余の顔を見忘れたか」
これが言いたい。いつか言いたい。皇帝になったら絶対言うんだ。だから「もう私は己を私とは言わん」などと聞いた時は「何言ってんだ、お前は」と脱力した。
しかも下準備をすると言って、身分を隠して皇都に繰り出した。護衛を兼ねていたセインを撒いて何度も何度も城を抜け出した。とんだ不良皇太子である。
連れ戻そうと駆けつければ、スリを捕まえ、ひったくりを捕まえ、軽犯罪者の捕縛に協力して皇都の騎士に感謝されていた。ふざけるなよ、このやろう。
きちんと執務をこなして出掛ける所がまた抜け目ない。しかし、どうしても許せなかったのは、自分をヨシュアムの執事に見立て「じい」と呼んだ事だ。同じ歳だからな、このやろう。
セインは復讐を誓った。
アレクサンドロスが皇帝となった時、肖像画、姿絵を国中にばら撒いたのである。特に姿絵はアレクサンドロスが変装をした時も気が付きやすいよう、騎士、傭兵、冒険者、商人風、魔術師や神官まで、あらゆる仮装をさせた、もはや手配書といっても過言ではない。
「くく、貴方の面は国中に割れておりますよ」
「おのれ、セイン・チャングリフ!謀りおったな!」
「もはや手遅れです」
これで、小悪党が皇帝の顔を見忘れるなんて事はあり得なくなった。
「ああ、そうだ。お前にもやるぞ」
そんな事を思い出していると、アレクサンドロスはセインに何かを投げた。受け止めれば、それは銅貨であった。製造年はセインの生まれた年だ。
「同じ歳なのですから、貴方が持てば?」
「余は世界一幸せな皇帝だから、いらんのだ」
「では遠慮なく頂戴致します……ん?」
よく見れば、いやよく見なくても、その銅貨はかなり霞んでいる。まるで市井で使い込まれた釣り銭のようだ。親族に贈った銅貨は一度磨き上げた。
「まさか……」
アレクサンドロスはなんて事ないように答えた。
「せめて、お前とフローリィーゼのものは自分で見つけたくてな」
「こんの馬鹿皇帝!皇都がパニックになったらどうするつもりだ!」
「果物屋のご婦人に“おにいさん、陛下にそっくりじゃないの”と言われたな」
「よりによってバザールに行ったのか?」
「“くるしゅうない”と言ったらおまけしてくれたぞ。食うか?」
「ああっ見覚えのない林檎があると思ったら!」
皇帝は林檎の皿を抱えると、笑いながら隣部屋へ通じるドアへと向かう。
「これから夫婦の時間だ。邪魔するでないぞ」
セインは皇帝のいなくなった寝室で、一人、眉間を押さえ、深く息を吐き出した。そして、誰もいないはずの部屋で口を開く。
「ブル、ヴィオレ、ノアール」
そこに、どこからともなく現れたのは三人の男。彼らは皇族に仕える影であった。セイン・チャングリフ、皇帝の乳兄弟にしてルヴァランの影を統率する一族の長である。
「報告を」
「はっ。陛下は、長と皇后に素敵なサプライズをと仰られまして」
「我ら、皇族につかえる者として、撒かれるよりかは、協力した方がまだマシかと判断しました」
城には皇族のみが知る隠し通路が無数にある。優秀な影達がアレクサンドロスを逃してしまう理由の一つだ。
「長がビックらこいててマジウケました」
最後に報告したノアールは暗殺、諜報、護衛、トップクラスの実力を持っている。最近、退屈しているのだろう。よし、後でメチャクチャきつい指令を出してやる事にする。
「陛下は他に馬鹿な事はしてないな?」
ブルとヴィオレは無言である。肯定の言葉がないという事は何かしたと言う事だ。ノアールを見ると片手を上げてハキハキと答えた。
「はーい、飲み屋で酔っ払いの喧嘩に混ざってましたー」
「い、いえ、混ざったのではなく、陛下は喧嘩を納めようと」
ブルがフォローしようと口を開いた。
「ただ、その方法は、双方をぶちのめすというやり方でして」
そしてヴィオレが続く。
「目立ってはいないだろうな」
「冒険者の集まる飲み屋だったので、全員、腕に自信があって、血の気も多い奴らばっかなんで、大丈夫だと思いまーす!」
ノアールが空気を読まずベラベラと話した事で、セインの眉間の皺は深くなる。冒険者が集まる店には、いくつか覚えがある。目敏い者がいなければ良いが。
「問題ないっすよー」
ノアールがへらりと笑った。
アレクサンドロスは、セインの目を盗んで出掛けた日の夜、煮込み料理が旨いと記憶していた店に立ち寄った。しかし店内では男二人がどつき合い、注文どころではなかった。
モツの煮込みを食さないと絶対に帰らぬぞ。庶民の味を楽しむ貴重な機会を阻む男達、許すまじ。
この程度なら剣を抜くまでもない。アレクサンドロスの拳が中堅クラスの冒険者の男二名の意識を刈り取ると、店内から歓声が上がった。
「いいぞーオッサン!」
「やるじゃねぇかぁ、気に入ったぜ!」
「こっち座れよ、一杯奢らせろ」
「ん?アンタ、誰かに似てるなぁ、役者か?」
「あー!皇帝様にそっくりじゃねぇかあ」
久しぶりの市井のお忍びに、アレクサンドロスは気分良く叫んだ。
「余の顔を見忘れたかー!」
その夜はとても盛り上がったという。
皇帝「義務を怠らず、やりたい事もやる主義」
セイン「このやろう」
ブル、ヴィオレ「ハラハラ」
ノアール「この仕事、メッチャ楽しい」