翠の魔女 09
子供達は幼い頃からレイフルの街で悪戯を繰り返し、散々大人達に叱られてきた。そのおかげで、すっかり叱られ慣れてしまい、誰に何を言われようが、怒り狂った母親に耳を引っ張られようが、屈強な親父達に拳骨を振り下ろされようが、食べて、寝て、起きればすっかり元気だ。
「どっかのガキは俺に勝てるらしいぜ」
しかし目の前にいるのは6m近くある魔獣をぶちのめした男だ。そして奴はあの作業場でロイ達が、散々馬鹿にしていた発言を忘れてはいなかった。
ウェスはとにかく怯えた。
殺される!
食われる!
バリバリと!
「わあぁぁーーこのニイちゃん、全部、覚えてるよぉ!メッチャ、根に持ってるぅぅーー!」
「ロイがぁ、ロイが調子に乗るからぁ!」
ウェスの恐怖はエドにも伝染した。あの作業場には他にも子供達が来ていたから、自分たちの発言だとばれていないと楽観視していたのだ。
「ぎゃぁぁーー!」
なんだ、こいつら、降参するの早過ぎだろう。レオンハートは子供達が肝試しをするつもりで来ているなら、おちょくられたお礼も兼ねて、ビビらせてやろうとは思っていたが、ロイと呼ばれた小僧以外の二人は出会って3秒で喚き始めた。根性ないな、最近の餓鬼どもは。
「……用がないなら、領主邸の周りを彷徨くな。不審者だと思われるぞ」
レオンハートは弱い者虐めは趣味ではないので、早々に退散する事にした。
「待て!」
裏口に回ろうとしたレオンハートをロイが呼び止めた。
「“待て”?」
首だけ動かしてレオンハートは振り向いた。命令口調だと?視線を強めてロイを見据えたが、この少年は怯まなかった。少しは骨があるようだ。
「何だ」
「……なれる?」
「あ?」
「どうやったら強くなれる?」
ロイはレオンハートを睨みつけながら言葉を絞り出した。
「強くなりたいのか?」
レオンハートの問いにロイは頷いた。
「理由は?」
ロイは答えない。無言で騎士を睨み付けるだけだ。レオンハートは返事が戻って来ないので邸に戻ることにした。
「……じゃあな」
「何でだよ!ふざけんなよ!」
「ロイ、やめろって」
大声を上げるロイの腕をエドが引っ張る。
騎士は再びロイを見つめると言った。
「ふざけてない。街で悪さばかりする餓鬼に暴力の振るい方なんか教えられるか」
「なっ」
レオンハートは領主邸に出入りする者を全て把握している。当然、周辺にたむろしている人間も調べている。それは子供であろうが関係ない。子供を訓練して暗殺者に仕立て上げる闇組織とているのだから。
ロイ達が邸の周りを彷徨いているので、調べてみたところ、間違いなく木こりの息子であった。が、かなりの悪餓鬼とのこと。アルティリアにちょっかいを出しに来たのかと思ったが、どうやら自分の事を嗅ぎ回っているらしいので放置していたのだ。
しかし理由もなく、ただ強くなりたいという承認欲求を満たしてやる手助けをしてやるほどレオンハートは親切ではない。それに、悪餓鬼が半端に剣術や体術を習って、街の無法者にでも進化したら、アルティリアが悲しむだろう。
「分かったら、さっさと帰れ」
「クソ」
ロイは去ってゆく騎士の後ろ姿を黙って睨み付けるしかなかった。ただ「強くなりたい」事がそんなに悪いのか。しかし、同時にあの騎士に言われた事が頭の中で繰り返される。
「悪さばかりする餓鬼」
これまでも両親や街の大人達から「悪戯小僧」だとか「悪餓鬼」だとか言われていた。その言葉を気に留めなかったのは、最終的には「仕方ないな」と許してくれる事を分かっていたからだ。
父や母、幼い頃から見守ってくれていた大人達。無意識に彼らに甘えていた事を指摘されたような気分になった。彼らにとっては自分は「街の子供のロイ」だが、あの騎士にとっては、ただの「悪さばかりする餓鬼」なのだ。
ちっぽけで役立たず。
それどころか、ただの厄介者だ。
生まれて初めての完全な拒絶。
しかし、それを冷たいと批判することは出来ない。ロイとあの騎士は紛れもなく「他人」なのだから。これは情というものが一切ない他人からの評価だ。
昨年、街の学校を卒業したスタンは勉強ばかりで、ヒョロヒョロの頼りない奴だと、ロイ達はからかっていた。たが、その真面目さと賢さが認められて、今は領主邸の侍従見習いとして働いている。
孤児院出身のトマスは併設されている神殿の建物や家具の修理を手伝い続け、器用さと丁寧な仕事ぶりが弦楽器工房の職人の目に留まり、アルティリアが支援しているというリバリウス工房に弟子入りできた。
テルドナ商店の孫娘ミラは、小さい頃から店の手伝いをしていて、まだ自分と同じ年齢なのに、簡単な縫製なら、もう任せてもらえると言っていた。今はお姫様の晴着を制作する手伝いをしていると自慢していた。
自分は何だ、何がある。何もないじゃないか。悔しさと情けなさで、無性に腹が立った。
込み上げてくる感情が溢れ出しそうになる。
「ちくしょう」
「おい、餓鬼」
「うわあ!」
騎士は背後から再び現れた。去っていった方とは真逆の方向だ。どっから湧いて出てきたんだよ。騎士ってこんなこともできるのか。
「お、泣いてんのか?」
「泣いてねぇ!」
騎士はロイの顔を見ると、愉快そうに笑った。
「用がないなら、お前こそ、お姫様のとこ戻れよ!」
「いや、気が変わった」
怒鳴り付けたが、騎士は意に介さずに言う。
「お前、これから言う3つの事をやれるか?」
強くなる方法を教えてくれるのだろうか。ロイの返事を待たず騎士は続けた。
「1、親父と母ちゃんの言うことは絶対だ、全て従え」
「は?」
「2、家の手伝いは全部やれ。他の兄弟の仕事を奪うくらいでいい。余裕があるなら近所の家の手伝いもしろ」
「え?」
「3、学校の勉強は一番を目指せ。下位より少し上なんて論外だ」
「何だよ、それ!」
そんなことで強くなれるなんて絶対に嘘だ。わざわざ、揶揄いに戻ってきたのか。なんて嫌な奴だ。
「なあ、ニイちゃん。その3つをやったら、本当に強くなれるのか?」
隣で聞いていたウェスが恐る恐る尋ねると、騎士はなんて事ないように答える。
「いいや」
「ええ、じゃあ何のために、そんな事すんの?」
今度はエドが聞くと、騎士は長々と説明する。
「いいか、騎士や兵士は上官の命令に従う。好き勝手する奴は隊を危険に晒すだけだ。お前らが、自分で稼いだ金で暮らしてるなら、今のは忘れていい。だが親父に養われていて、お袋の作った飯食ってんなら、お前らの上官は父ちゃんと母ちゃんだ」
「うう、でもさ」
ウェスが嫌そうな声を上げる。
「お前らの父ちゃんや母ちゃんが言う事なんて、せいぜい、宿題やれとか、手伝いしろとかくらいだろ」
無理な戦いを命じたりしない、お優しい上官達だ。
「次、騎士は一週間寝ないで戦い続ける事もある。一日家の手伝いしたくらいでへばってたら使い物にならない。最後に勉強だが、生きて家に帰りたかったら、頭を使う訓練くらいしろ。馬鹿は一番最初に死ぬ」
規律、体力、そして頭脳。
剣術や体術、生物の命を奪う技術は、最低限、それらを持たない人間には教えられない。
「これまで、この街には自警団しかなかっただろ。いずれレイフィットには、警備隊もしくは騎士団が組織される。だが強いだけの人間を皇女殿下は認めない。目指す気があるなら、やってみせろ」
ウェスとエドは顔を見合わせた。ロイはひたすら騎士を睨み付けている。
返事をしない子供達に向かって、レオンハートは言った。
「まあ、父ちゃんや母ちゃんのいうことをきいて、家の手伝いやって、勉強頑張るなんて難しいこと出来ないか」
先日の魔獣事件でアルティリアと代官のマーカスは自警団ではなく、専門的に領地を警備する組織が必要だと話し合っていた。
ならば種を蒔くくらいのことはしても良いかと思い直したのだ。この悪餓鬼共が変わるかどうかは本人次第だ。
「じゃあな」
騎士は不可能と言われることもやらねばならない。この程度の事が出来ないのならそれまでだ。
「なめるなよーー!」
背後から叫び声が聞こえたが、ロイ達がどんな未来を歩むかは、まだ分からない。
アルティリア「木こりの奥様達がレンにお礼を伝えてって言ってたわ」
レン「ははっ。大した話はしてませんが」
挑戦する気概はあったんだなぁと思うレン。




