翠の魔女 05
翌朝、気持の良い朝を迎えたアルティリアは、レネに先導されて領主邸の食堂に向かう。
「おはようございます、殿下」
「おはよう、みんな」
昨日の晩餐も中々手の込んだ料理が出され、とても満足したのだが、今朝の朝食はどうだろう。
皇族の子供達が所領を得た際、領地の農家や畜産家に、新しい領主が領地に滞在する期間、領主邸に納品する食料生産の依頼を行う。しかし、元々、経済の悪化した地域のため、その品質は往々にしてよろしくない。
そのため、皇族へ提供する事を名目として、品質改良のための予算が組まれる事となる。言わば、皇族をだしにして生産力をあげようという事だ。
元々、レイフィットの領民の生活向上が第一目標であったので、アルティリアはその制度を利用して、農業、畜産の開発を一番に取り組んだ。
アルティリアは自分が領主邸に滞在している際は、出来るだけレイフィットで採れた農作物や肉や魚、生産された乳製品をとるようにしているのだが、初めの頃は、御料農園や御料牧場に指定された領地で採れた高品質の食材と、皇宮の優れた技術を持つ料理人達の味に慣れてしまっていたので、少々辛かったことを思い出す。
フェルディナンドと一緒に食事をしていたが、無言で咀嚼し、飲み込むという作業になってしまった。しかし、二人とも絶対に残す事はしなかった。出された食事は民の血税なのだから。
それが三年前から、食料の品質も向上し、領主邸の料理人の腕も良くなってきた。料理の技術に関しては、一度、皇宮の料理人を連れてきて、指導してもらったことも良かったのだと思う。
連れてきた料理人はケイシーという若い女性だった。当初、領主邸の料理人達は彼女を受け入れていなかったが、同じ食材を使用して、これほどまで違いが生まれてしまうのかと、彼女の実力を認め、素直に教えを乞うようになった。
本日の朝食のメニューは、マッシュルームのポタージュスープ、温野菜のサラダ、レシュタ湖で採れた海老をボイルしたマリネ、カリッと焼いたベーコンとソーセージ、そしてふんわりとしたチーズ入りのオムレツ。ジャムはクランベリーといちじくの二種類。パンは狐色に焼けたトーストの他に、バゲット、クロワッサン、クルミ入りの丸いパン、ドライフルーツを練り込んだパンもある。デザートはナッツと蜂蜜をかけたヨーグルトだ。
ケイシーありがとう、領主邸のご飯が美味しくなりました。
「どれも素晴らしい味だわ。マシュー達にお礼を伝えて」
そう言った瞬間、窓の外でワッと歓声が上がった。どうやら、食堂の窓の外で様子を伺っていた者達がいるらしい。その声から察するに料理長のマシューはいないようだが、若い見習い料理人達が何人かいるようだ。
「注意してまいります」
「いいわ、頑張って用意してもらっていたのだもの」
家政婦長が出て行こうとするのでやめさせる。アルティリアが領地に滞在するにあたり、気合を入れて、様々な準備をしていたという。
特に今年の収穫祭は昨年までと違う。レイフィット独自の風習である子供の“十の祝い”にアルティリアも参加するのだ。
その“十の祝い”とは、その名の通り10歳になる子供達を祝う習慣だ。レイフィットでは子供は皆9歳までは神の子とされ、早くに亡くなってしまっても、神に呼ばれたためだとされる。10歳を迎えて、正式に人の世界に行くことを認められるのだ。親族達は子供達が本当の意味で自分達の子になったことを祝い、神に感謝するのだ。
十の祝いは収穫祭と共に行われる。街の住民達は、魔を祓うと言い伝えられているフィラネラという花を準備する。10歳になる少年達は祭りの初日に、その花を住民達の家を巡りながら集め神殿に捧げ、祭りの最終日に、10歳になる少女達が街の広場に組まれた櫓に登り、祭壇に祀られていたフィラネラを住民達に撒くのだ。そのフィラネラを家に持ち帰り、飾る事で一年間、神が家族を守ってくれるという。
昨年、次の年は領主様も10歳となるならば、是非参加して欲しいという領民達からの要望があったので、アルティリアも櫓に登る予定だ。
領主邸には、街の住民から、野菜や果物などの農作物に加え、手製のタペストリー、毛織物の膝掛けなど、お祝いの品々が届けられている。領主邸の皆んなもアルティリアの十の祝いだと、屋敷中をフィラネラで飾り付け、レイフィットでお祝いの際によく食べられるというクロフというケーキを作って迎えてくれた。
料理長のマシューは収穫祭の時もまた、中に入れるナッツやドライフルーツを変えてクロフを沢山作る予定だと言っている。
実を言うと、この十の祝いへの参加は、アルティリアよりもフェルディナンドの方が楽しみにしていたのだ。
「リアの10歳の成長を誰よりも喜んでいるのは、兄様だよ?」
出発前日の晩餐で、それはそれは悲しげに言うので、アルティリアの心はぐらりと揺らいだ。
それを見た父は言う。
「そんなに行きたいなら、行ってくるといい」
「あなた」
フローリィーゼは咎めるような視線を向けたがアレクサンドロスは気にしていない。
「ありがとうございます、父上」
「その代わり、リアの13歳の準成人の祝いは余がエスコートするからな」
意外な味方の登場にフェルディナンドは喜んだのも束の間、父の言葉にフェルディナンドは固まった。
皇族の準成人の祝いは、16歳のデビュタントと同様、夜会が行われる。美しく着飾ったアルティリアはパートナーとなる男性とダンスを踊るのだ。
「リアよ、父様と一緒に踊ろうな」
ニンマリと笑う中年を前にフェルディナンドは数秒考えを巡らす。
レイフィット独自の伝統衣装に身を包んだアルティリアの愛らしい姿は絶対に見たい。しかし、十の祝いは櫓の下から見守るだけだ。もしかしたら二人で祭りの屋台を巡るという機会にも恵まれるかもしれないが、それはあくまで可能性だ。警護責任者の騎士が危険と判断すれば、それは実現しない。対して準成人のエスコートは確実に夜会の間、常にアルティリアの隣に居る権利があり、ダンスのパートナーも務められる、さらにアルティリアの側に群がろうとする虫ケラ共をその場で排除も可能。そうだ。アルティリアのドレスとアクセサリーは自分が用意しよう。何なら、自分の夜会服と揃いにしよう。そうしよう。
「リアの準成人の祝いは、俺がエスコートします」
フェルディナンドは確実性を優先させた。しかし、気持ちは納得せず、しつこい見送りとなってしまった。さらに言うと、アルティリアのドレスの準備は母、フローリィーゼと取り合う未来も待っている。
アルティリアが食後の紅茶を飲んでいると、侍女が仕立屋の来訪を告げた。
「テルドナ商店の者が見えております」
「すぐ行くと伝えてちょうだい」
テルドナ商店はアルティリアの晴着の製作を依頼している仕立屋だ。代官のマーカスには皇宮の衣装室に依頼してはどうかと言われたが、レイフィットの晴着は伝統的な魔術紋様の刺繍を施さねばならないし、せっかくならば、長くレイフルで晴着を仕立続けた店にお願いしたい。
「厳しいかしら?」
他の子供達の仕立もあるだろう。忙しいのであれば、無理は言いたくない。アルティリアは領民を困らせたいわけではないのだ。
「今のレイフィットの店には殿下に相応しい布を用意する事が難しいかもしれません」
マーカス曰く、レイフルは少しづつ商人の出入りが出来たが、流通に関してはまだまだ発展途上だと言う。店側としても平民の晴着と同等の品質の布を皇族の仕立てに使用するなどの不敬は犯したくないだろう。
「なら、布やビーズや刺繍糸を持ち込んだらどう?」
それならばとマーカスはレイフルで最も古い仕立屋に打診してみる事に。すると、店側からは「是非に!」と返事がきたという。
採寸に来てくれた、ご婦人と娘はとても緊張していたが、アルティリアが非常に楽しみにしていると伝えてると「頑張ります!」とやる気を見せてくれた。
「布はお好きな色をご用意下さいな。殿下なら何色でもお似合いでしょうね」
「白地に色んな色の糸で刺繍をしてもらうことは出来る?」
「もちろんです!」
こっそり領主邸のメイドに確認したところ、人気のない色は白だとのこと。晴着と言っても、一人一人仕立てる事は少なく、親戚同士で着回すので、汚れが目立たない濃い色が好まれるそうだ。
ならば、せっかくの晴れ舞台で、子供達が「お姫様と同じ色だね」なんて事を言われないようにした。それぞれが主役になれると良いなとアルティリアは思う。
そんなやり取りをしたのは一年前。
今日は出来上がった晴着をテルドナ商店の夫人が試着のために持ってきてくれたのだ。




