翠の魔女 04
「皇女殿下の御前ですよ!」
泣き続けるバイオリンパートのリーダーと、喚き散らす指揮者のせいで収集がつかなくなったものの、乳母の言葉で音楽家たちはちょっと冷静になる。
しかしアルティリアの「工房にはね、ヴィオラもチェロもコントラバスもあったのよ」と言う言葉で、弦楽器パートの面々もざわ付き出し、混乱は広がる。
ともかく、その神の手を持つ職人に会いたい。会わせてくれ。そのためなら姫君の奴隷になりますという勢いだったので、アルティリアはちょっとひいた。
商人とは取引していない。弟子である息子から聞いたが、制作者であるアントンは貴族嫌いだ。興奮した宮廷音楽家が押し寄せたら、イナゴの大群と化して、リバリウス工房を困らせてしまうかもしれない。
それにレイフルには宿屋はないので、領主邸に泊めるしかないが、全員で行くのは無理。
「がくだんのみんなを一度につれていくのは、むずかしいわ」
「では最初はマエストロと私達のみで行きましょう」
パートリーダーが、そう話すと楽団員から悲鳴が起きた。
「待って下さい!」
「私も行きたいです!」
「狡いぞ!親父ども!」
「アルティリア様、どうか御慈悲を!」
あまりの必死さに驚き、くじ引きにより、さらに数名だけ選び、楽団員達のリバリウス工房訪問が実現。
そのアルティリア主催の訪問により、最初はクレオが対応し、試し弾きを認められた者には、奥からアントンが現れて演奏者に楽器が譲られるという流れが出来た。
もちろん、店舗に展示してあるクレオの作品も素晴らしく、それらを気に入って購入する音楽家達もいる。
ただ、少し問題となったのは。
「この名器がそんな価格であってたまるか!」
音楽家達によりリバリウス親子達の価格設定は全て覆された。他の工房の名品と言われる楽器と同等、もしくはそれ以上の金額を支払われた。
アントンは一切お金の管理をしないので、クレオが工房の資金の管理をしているのだが、いきなり大金を手に入れた彼は慌てた。
「ひえぇぇ怖いよぉぉ……」
クレオも立派な職人だが、根っからの庶民なのだ。街には銀行などない。
レイフィットを去る際、アルティリアは言った。「困ったことがあれば、なんでもそうだんして。わたくしがいなかったらマーカスがたいおうするわ」クレオは領主邸の代官、マーカスに泣きついた。
「マーカス様、助けて下さぁい」
涙と鼻水を流して現れたクレオのためにマーカスは、銀行機関ができるまでは、領主預かりとすることを提案。きちんと帳簿を付け、代官が変わっても不都合のないよう手配してくれた。
また、生活力がなさそうな親子のために、アルティリアは領主邸のメイドに頼み、3日に一度、バスケットにパンとチーズ、ハムなどを詰めてリバリウス工房を訪ねてもらうようにしたのだが。
代官のマーカスからの報告書を読んだアルティリアはびっくり。
「結婚?」
それが縁となり、クレオとメイドのカーラは恋仲になっていたそうだ。三十歳目前で、めでたくお嫁さんをお迎えすることができたクレオ。
カーラは言う「あたしは楽器の事は分からないけど、お父ちゃんも、おじいちゃんも職人なんです。職人のことなら、よく分かってますよ」明るくて元気なカーラのおかげでリバリウス工房も賑やかになってゆく。
しかもリバリウス工房の三代目も生まれた。
ただ、リバリウスの弦楽器はじわりじわりと広まったのだが、衝撃を受けたのは音楽家だけではなかった。既に名職人と名を馳せた男達もだったのだ。彼らはリバリウス工房の楽器に打ちのめされ、自分達の工房を閉めると、弟子入りを志願して、レイフィットまで訪れた。
「頼もう!」
親方である父は「お前が面倒みてやれ」と言って、息子よりも、名を知られていて、息子より年上の新入りをクレオに押し付けた。
「どうしよお」
早々にへこたれたが、生まれた時から父の手伝いをしていたクレオは、鬼才アントンより弦楽器製作の英才教育を受けたも同然で、自覚はないが若くして一流の技術は持ち得ていた。
「二人とも、削り方が甘いよ」
そして、弦楽器製作においては決して、歳上だろうが、自分よりも著名だろうが、遠慮する事はなかった。
「兄貴!」
「兄さん」
なんだかんだと、彼らの指導は問題なく行われたのだが、一つ困った事に。弟子入りした中年男二人はライバル同士だった。
「テメーなんでここにいるんだよ!」
「おれぁ、弟子入りの許可もらってんだよ!」
「喧嘩するなら、二人とも追い出すよ」
「はい!すいやせん!」
「我々は仲良しです!」
オッサン二人の世話も大変だ。
とは言え、嫁も娘もできて、工房も安定運営できるようになり、クレオの人生は180度好転した。
そしてアルティリアはリバリウス工房が扱っている木材、シェプールを安定的に供給できるように、レイフィットの木こりを集め、小規模な林業を開始した。
シェプールは楽器はもちろんだが、高級家具などにも最適な木材だったのだ。領外へも販売を開始し始めたが、リバリウス工房には最優先で提供している。
こうして少しづつレイフィットは発展の兆しを見せ始めたが、土砂崩れなどの災害を防ぐためにも、シェプールは大量に伐採する事は出来ない。高級木材として少しずつ市場に乗せている状況だ。
「今年はもう一つ始めた事業の成果が出る頃なの」
アルティリアは数年前からレシュタ湖を利用した事業も始めており、今回の領地滞在はその確認も兼ねている。
「良い結果を見る事が出来ると嬉しいのだけど」
「殿下、失礼致します。少し風が冷たくなってまいりました。窓を閉めましょう」
レネの心配する声が聞こえる。確かに空気が冷たくなってきている。
「分かったわ。また後でね、レン。夕食は期待していてね。領主邸の料理人達も中々の腕前よ」
「ええ、楽しみにしてますね」
馬車の窓ガラスが閉められた。名残惜しい気分だが、領都滞在中はずっと、自分がエスコートするのだ。我慢我慢。
レイフルの街中に入ると、もうすぐ行われる収穫祭の準備で賑わっていた。また、どこからか弦楽器の演奏が聞こえる。
リバリウス工房には押しかけ名職人の男達以外にも、街の孤児院出身者を始めとした、数名の少年達が弟子入りをした。大所帯となったリバリウス工房の弟子達の製作した弦楽器をアルティリアは購入し、街の孤児院や学校に寄贈したのだ。
少年少女達の楽団が結成され、季節ごとに開催される演奏会は街の皆の楽しみとなっており、もうすぐレイフィットの収穫祭も行われるので、その演目の練習が行われている。
皇族専用の馬車をレイフルの者達は心得ているようで、皆道の端に寄り、帽子を脱いで頭を下げる者、手を振る子供達の姿がある。皆、皇女達を歓迎している様子がよく分かる。
領主邸の出迎えは、アルティリアがこのレイフィットの領主となってから、代官として支えてくれているマーカス・フット。そして、レイフルの街で採用となった文官のコーリー。元々は神殿で神官の手伝いをしていた女性だが、その博識さを買われて領主邸で働いてもらうことになった。コーリーは弦楽器の演奏も出来るとのことで、週に一度、子供達の楽団の指導も行っている。
彼らを中心に領主邸の執事、家政婦長や侍従やメイド達など。全員がレイフィット領主であるアルティリアを迎えた。
「おかえりなさいませ、アルティリア様」
「ただいま、みんな」




