くびちょんぱの王子様 09
「そもそも、アイリス嬢はすでに亡命済みだ。皇国貴族の身柄を好きにする権利は貴方にはない」
フェルディナンドは愚か者に諭すように、ことさらゆっくりと話す。
皇族の一人であるアルティリアが亡命の受け入れを宣言し、共に城を出て行った。あまつさえ、王太子であるハーレイが他国の外交官や要人の前で、国外追放を課しているのだ。簡単に覆すことは難しい。
何より皇国は許さない。
「国王である、私が国外追放を撤回すると言っているのだ」
しかしイェーツ王は納得しなかった。己の言葉は全て叶うと思っている。
「アイリスとの婚姻を強行するのであれば、私も妻もイェーツを捨てましょう」
「なっ!」
ローヴェイル公爵の発言に思わず声を上げる。アイリスだけでなくアンネリィーゼまでも連れ去るつもりか。許せぬ。
「ローヴェイル公爵であれば皇国も爵位を用意して歓迎するでしょう」
第二皇子も受け入れを表明した。
「王よ、アイリス嬢だけでなく、アンネリィーゼ公爵夫人までも、イェーツを離脱すれば、今すぐ穀倉地は返還せざるを得ません。どうなさるおつもりですか」
「どうするかなど……貴様が何とかせんか!」
イェーツ王は宰相に向かって声を荒げるが、怒鳴られた本人は意に返さない。
「大変申し訳ございませんが、私は息子の不始末により、謹慎となりました故、皇国とローヴェイル公爵の交渉は出来かねます」
こんな時に何を言い出すのだ、この男は。謹慎とは家に閉じこもってることだろうに。城にいて何を言う。
「それに我が息子の行為を考えましたら、皇国と公爵に物申すなど、とてもとても。ですので、私はいないものと思って下さい」
国王の窮地を放置するとは、なんと不敬な。宰相を睨み付けていると、ドアを叩く音がする。部屋に入室してきたのは、ライル・ガーランドであった。彼は「失礼」と言って第二皇子の耳元で囁いた。フェルディナンドはそれを聞き、皆に伝える。
「第三皇女達が乗った馬車が襲撃を受けました」
皆が騒めく中、イェーツ王はほくそ笑む。これでアイリスは手に入ったも同然だ。
それに、あの、恐ろしく美しい皇女。
確か10歳になったばかりだというではないか。一目見て以降、目に焼きついて離れない。イェーツ王はローヴェイル公爵にアンネリィーゼを奪われてから、欲しいものを手に入れるチャンスがあれば躊躇してはならないと決めていた。
理想は、皇太子の息子も攫い、皇子を助け出したと皇国に恩を売り、皇女は手元に置くことが叶えられれば良いのだが、リスクが高い。欲は出さず、第三皇女のみ連れてくるよう命じている。
長く渇望した女性と、これからさらに美しく育っていくであろう少女。ああ、これで何もかもが上手くいく。そう喜ぶも、イェーツ王の企みは脆くも崩れ去る。
「ですが、全員無事ですので、ご安心を。襲撃者は数名、捕獲済みです。すぐにでも首謀者が割れるでしょう」
そんな馬鹿な。連中は任務に失敗したならば、全員自害するはず。背中に汗が伝い、じっとりと濡れるのを感じていると騎士団長が発言した。
「自害防止の魔術があるのですよ」
まるで考えている事を分かっているようではないか。何より既に自分が襲撃犯を放ったことがバレているように感じ、イェーツ王の鼓動は速まっていく。
第二皇子フェルディナンドも第三皇女と同じく漆黒の髪に、深いアメシストの瞳を持つ美しい青年だ。しかし、その顔立ちには鋭利さがあり、射ぬくような視線を向けられる。
「これは宣戦布告と変わらないですね。必ずや首謀者を追いつめ、死ぬ方がマシだという目に合わせてみせましょう」
ルヴァランは好戦的な国ではない。しかし敵とみなした者に、温情を掛けるほど腑抜けた国家ではないのだ。
「陛下は最近、馬に乗られてますか?」
「何だ、藪から棒に」
騎士団長の唐突な質問にイェーツ王は苛立つ。
「ルヴァランの皇子殿下と姫君を襲った愚か者が、万が一、イェーツの者ならば戦争となります。その時は、陛下、貴方が指揮を取るのですよ」
「貴様、職務を放棄するのか!」
「もしローヴェイル公爵がルヴァランに亡命ともなれば、恩人に刃を向けることになります故、これ以上、騎士道と人道に外れた行為は出来かねます。そうなれば職を辞すつもりです」
長年の不摂生によりイェーツ王の体は大きく膨らみ、動きも愚鈍だ。国王が最後に馬に乗ったのはいつか。騎士団長が思い出したのは、先代王が生きていた頃、強制的に魔物討伐に連れて行かれた時が最後だ。
「その愚か者がイェーツの者ではない事を祈って下さい、陛下」
昔、王太子として学んだ軍事教育は、彼の中に残っているのだろうか。
「かつてある皇族を狙った首謀者は、生きたまま両目を抉り出しました。その後の詳細は明かせませんが、簡単に死なせるほど我々は優しくはありません」
昔兄を攫った愚か者の話をしてやりながら、フェルディナンドはイェーツ王を観察する。先代王が崩御してから、この王は公務の大部分を放棄したが、王太子時代から怠惰だったこの男に期待するものはおらず、誰も諌めるものはいなかった。フェルディナンドから言わせると、見捨てられたのはイェーツ王だ。
王は一人では王になれない。
臣下から忠義を捧げられてこそ王となる。
「さて、すでに死んだ者の話は終わりにして、こちらの続きを再開しましょう」
国王に代わり、イェーツの国政と国防を担ってきたのは、ここにいる宰相と騎士団長、そしてローヴェイル公爵の三人だ。その中心となっているのは言うまでもなく、ローヴェイル公爵。
ルヴァランとローヴェイルは既に密約を交わしている。今夜、イェーツ王がルヴァランと敵対する行為をみせるならば、ローヴェイルが決着を付けると。
それは現実のものとなる。
イェーツの陰の王は宣告した。
「貴方には退位して頂きます」
もはや、この国に怠惰な王は必要ないのだ。
「何を言うか!貴様に、貴様にそんな権限はないぃ!」
イェーツ王はたるみ切った体を震わせながら激高する。アンネリィーゼだけでなく、王位まで奪うつもりなのか。強欲で浅ましい男め。
「許さんぞ、ローヴェイル。誰か!この無礼者を拘束せよ!」
部屋にいる騎士達は誰一人動かない。イェーツ王の言葉に従う者はいない。臣下達はイェーツ王を王として崇めてはいないのだ。王であることを放棄した男を敬うことはない。
「おい、そこのお前!ローヴェイルを取り押さえろ!」
イェーツ王は公爵の横に立つ騎士に怒鳴る。
「彼はローヴェイル家の騎士ですよ」
騎士団長は眉間に深い皺を作り、首を横に振る。王立騎士団とローヴェイルの私設騎士団の見分けも付かないとは。
侮蔑の感情を隠すことをやめた宰相は言い放つ。
「王よ、貴方に拒否する力はございません」
「黙れええ!国を、イェーツを裏切るのか!この反逆者共がああ!」
「叛逆者はご自身でしょう」
ローヴェイル公爵は吐き捨てた。
「貴方が先代王を殺した」
「何を……っ」
イェーツは規模は中堅国家と言えるが、かつては食糧自給率も経済力も乏しく国力としては小国といえた。それを少しでも向上させるべく先代王は尽力していた。だが息子は父の努力を踏みにじり続けた。
「真実の愛」だと言って、思慮深い令嬢を捨て、ただ容姿が優れているだけの女と婚姻を結んだ。多額の慰謝料と共に、イェーツに第一次食糧危機が訪れる。己のせいで国難が降りかかっているというのに、まともに執務を行わず、父である王に押し付け続けた。
亡き先代王妃の従姉妹で、王妃の秘書官として長きに渡り国に尽くしてきたキーラ・ブライトン伯爵令嬢。当時20代後半ではあったが、高い執務能力を評価され、本来ならば、先代国王は彼女を王妃として迎え入れる予定だった。
それは先代王妃たっての希望でもあった、誰よりも信頼している従姉妹に、自分亡き後、王を支えて欲しいと。だが慰謝料の支払いや食糧危機の問題解決が難しく、新たな王妃を迎え入れる余裕はなくなり、優秀な王妃を迎え入れる話は白紙となる。
「一部の人間にしか伝えられていませんでしたが、先代陛下は病に冒されていました。息子である貴方は迷惑をかけるばかりで、先代陛下を支えようともしませんでしたね」
国が安定していない状況のため、先代王の病は伏せられていた。息子である王太子に伝えられなかったという事実から、彼が国政の中心から除外されていることを物語っている。