くびちょんぱの王子様 06
アンネリィーゼが薔薇ならば、王太子妃は雑草だ。自分が早まってしまったばかりに、運命の女性は奪われてしまった。
しかもアンネリィーゼは美しいだけではなかった。その洗練された所作やマナーは見るものを虜にした。また教養に溢れ、音楽や美術など芸術にも造詣が深い。国際情勢にも詳しく、複数の言語を操り、異国の要人達の相手も軽やかに行なっている。
何より優雅にダンスを踊る姿は、正しく妖精が舞うように可憐で……何故、そのパートナーが自分ではないのか。見るたびに怒りが沸いた。
王太子妃は学問に興味がなく、話題といえば、流行りのドレスに装飾品。観劇の演目程度だ。貴族達は「あれでは、どちらが王太子妃か分からない」と噂する。その通りだ。
しかし、その噂を聞くと、アンネリィーゼと同格の教養を持ち、各国の大使と渡り合い、優秀な文官として国政を支えるローヴェイル公爵子息の方が王族らしいと言われているのではないかと疑心暗鬼に陥った。
何より子息はイェーツの食糧危機を救った英雄などと持て囃されており、目障りな存在でしかない。
だが、王太子である自分の方が格上だ。アンネリィーゼも分かっているだろう。しかし故郷のルヴァランは一夫一婦制だという。その堅苦しい風習のせいで、彼女は自分に近付くことを良しとしていないのかと思い、あえて好意を全面に出してみたが、むしろ、距離を置かれてしまう。慎ましい性格は好ましいとも言えるが、何もかも上手くいかず苛立ちは募る。
そして、ある日、父王に呼び付けられ咎められる。
「これ以上、恥を晒すな」と。
アンネリィーゼは妖精姉妹と言われていた。姉か妹がいるはず、せめて、そのどちらかを側室に迎え入れることは出来ないかと父に聞けば、彼女の姉は既にルヴァランの皇太子と婚姻しているというではないか。
アンネリィーゼは大国の皇族に嫁げるような家の令嬢なのだ。何故、そのような家の娘が王子ではなく、たかだか公爵子息の妻となったのだ。何もかも間違っている。
王太子妃との間に、王子が生まれたが、アンネリィーゼとの子供でない息子になど興味は湧かなかった。王太子妃は息子を抱かせようとしたり、嫌らしく媚びてきたかと思えばヒステリックに叫び始める。王太子妃は相手にされないと分かると買物に走った。
アンネリィーゼと違い、教養もなく、実家が裕福でもなく、皇族に親戚がいるわけでもない。ただの役立たずと成り果てた。こんな女と結婚して後悔しかない。
ローヴェイル公爵家に娘が生まれたらしく、国王たっての希望で息子と婚約が整った。その頃、急に老け込み始めた父は、孫の婚約式を見届けると、ある日突然眠るようにこの世を去った。
とうとうイェーツの王となった。しかし、欲しいものは手に入れられないのだ。投げやりになったイェーツ王は執務の殆どを放棄した。元々、熱心に取り組んでいなかったが、先代王がなくなると、誰も王を諌める者はいない。イェーツ王はただ惰性で生きている状態となった。
しかしイェーツ王の時間は再び動き始める。年頃になった、愛しいアンネリィーゼの一人娘、アイリスと出会ってしまったのだ。
イェーツ王は狂喜した。
私のアンネリィーゼだと。
アイリスはアンネリィーゼのように美しく教養深い。そして優秀だった。役立たずの王妃や王太子に代わって執務に精を出しているという。
愚かな息子は宝を宝と気付いていない。だが、好都合だった。これでやり直せる。イェーツ王は理解した。これまでの辛い現実は、この逆境を乗り越えよという神からの試練だったのだ。
アイリスと子を成し、その子を王位に付ける。
運命を正すのだ。
時は現在より、数時間遡る。
王家からの連絡を受け、駆けつけたローヴェイル公爵は王宮の一室に案内された。部屋に入ると、皇国の第二皇子フェルディナンドが奥のソファに座り、そばには怒りに満ちた顔の宰相と騎士団長の姿もあった。騎士団長のすぐに横に、ぼろ布の塊のような姿になった子息が転がっている。父からの制裁が行われた後だった。義理堅い騎士団長は息子の所業に我慢の限界が来たのだろう。
それから夜会の時と打って変わり、隅の方に縮こまっているのはハーレイ王太子と二人の側近だ。浮気相手の男爵令嬢はいない。邪魔になるということで別室に連れて行かれたのだ。
ローヴェイル公爵はフェルディナンドに謝罪を述べようとすると、片手で制止された。
「謝罪は必要ありません。皇国はローヴェイル公爵も被害者であると考えています」
「ありがとう御座います。また娘を保護して頂き感謝の念が尽きません」
フェルディナンドの了解を得られたので、まずは公爵家のゴミを破棄することにした。この瞬間まで、公爵家の子息と言われていた男に1枚の書類を手渡すと、困惑した顔を向けられる。
「これは……」
「君の家の権利書だ。と言っても正確には君の亡くなった両親の家だがね」
そう言われて、青年の記憶の奥底に薄っすらと思い浮かんだのは幼い頃に住んでいた小さな家。公爵家と比べると圧倒的に粗末な家だ。
「これを持って、どこにでも好きな所に行くがいい。家に帰るも良い、売り払ってもいい。いやはや、君は余程ローヴェイルが嫌いだったのだね。長く縛り付けて悪かったね。君の両親のトッドとベラは生前、我が家に良く尽くしてくれたのだよ。その息子である君が、まさか私の娘を陥れるとはね。本来なら半殺しにしても足りないくらいだが、君の両親の生前の献身に免じて五体満足に解放してあげよう。優しいアイリスも君に拷問するなど望んでいないだろうしね」
「ま、待って下さい。父上……」
突然の放逐宣言に義理の息子は戸惑い、縋るような声を上げる。
「ははは、駄目だよ。平民が貴族を“父”呼ばわりしては、不敬罪で処されてしまうよ。ああ、それから子爵位を継いでいる、君の伯父夫婦を頼るのはお勧めしない。君の所業を聞いて、姿を現そうものなら斬り捨てると怒っていたからね。善良な彼らに甥殺しなんぞさせたら寝覚めが悪い」
自分を認め、可愛がってくれていたはずの義理の父は、何故こんなにも無情に自分を突き放すのか。理解できない。公爵は仕事で外出する際、アイリスではなく自分を連れて出掛ける方が多く、それは優越感に浸らせてくれる時間だった。
実際はアイリスは父の手を借りずとも、既に執務をこなせる程優秀だったため、父に同行して学ぶ必要はなかっただけだ。
また公爵の義理の息子に対する感情は部下に対するそれに近かった。愛娘であるアイリスを本当の姉のように大切にしていたら違っていただろう。
しかし、彼がアイリスと距離を置き、王太子に迎合するようになって冷たいものに変わっていく。いつ切り捨てても良い駒へと成り下がった。公爵はそんな人間をアイリスや妻との家族水入らずの時間に加えてやるようなお人好しではない。
「でも、でも僕に“父上”と呼ぶよう仰ったのは貴方ではないですか!」
「ああ、それは君が我が家の中継ぎの跡取りだと、対外的に印象付けるためだよ。君を本当の弟と思っていたのはアイリスだけだ」
幼い頃、両親を亡くし、突然連れて来られた公爵家。訳もわからず過ごしていた。アイリスにはこき使われた記憶しかない。
「君は、あの男爵令嬢に“召使のように扱われていた”と言っていたそうだが当然だよ。そもそも、君は侍従見習いとして我が家に来たんだ。それを賢い少年だからと、教育を施してあげたいと言ったのはアイリスだ。こんなことなら犬でも飼ってあげた方がマシだったな。犬なら駄犬でも可愛いだろうからね」
そこまで言うと、公爵は部屋に待機していた騎士に視線を向ける。
「もう彼はただの平民だ。王宮にいる資格はない」
その言葉を受け、アイリスの義理の弟と呼ばれていた男は騎士達に腕を掴まれ、部屋から引きずり出される。
「待って!待って下さいっ。僕は、僕は公爵令息だ!ローヴェイルの跡取りなんだっ!謝ります、謝りますから!」
思い出した。馬車の事故で両親は死に、唯一の身内である父の兄はその頃困窮しており、自分を引き取ることは難しいと謝った。孤児院に入れられるところを、父の主人である公爵に拾われたのだ。
年が近いと言う事で、公爵の娘に付けられた。彼女は幼いながらも、両親を亡くした自分を気遣うような優しい少女だった。
しかし、恐ろしく裕福な家に生まれ、両親に愛され、何の不自由も感じたことのない微笑みは、ただただ憎らしかった。全てを奪ってやりたいとさえ思っていた。
成功したと思った。ただ恵まれた環境にいて、幸せを享受しているだけの女を地獄に叩き落としてやれたと思っていたのに。
「ごめんなさい、捨てないで!嫌だ、嫌だー!」
手に入れたと思った優しく偉大な、父は二度と自分を見ることはなかった。