くびちょんぱの王子様 05
有事の際に使用される皇族専用長距離移動用馬車。それを引く馬は魔獣の血を受け継ぐ血統種。護衛する騎士の馬も同様だ。
「思ったよりも早いな」
イェーツの大使館から出発した目眩しの馬車を追って行ったと思ったが、この国の影は愚王に仕えている割には優秀らしい。
「感心してる場合ではないぞ、ダーシエ」
新しい上官は掴みどころのない男で、気を抜くなと言ってる本人が緩い空気を放っている。
「隊長こそ、俺のお姫様を任せても大丈夫ですか?」
「おーおー生意気な新兵だな。皇女殿下は俺の主人でもあるんだぞ」
笑いながら返事をするナイトレイ。レオンハートは厳しい上下関係を強制してこないところは、ありがたいと思っていた。
「追手の数は?」
「30弱ってところですね」
「部隊から5人連れて行け」
「そんなにいらないです」
アルティリアの護衛を減らしたくない。正直、自分一人でも充分だと思うが、編成したばかりの隊では、そこまでの信頼は得られていない。
ナイトレイは口の端を釣り上げ、二人の騎士を指名した。一人は長く皇族の警護をしてるベテラン、もう一人は中堅といったところか。
「分かった。蹴散らしてやれ」
レオンハートは騎士と共にイェーツ王の影を迎えた。
「三人とは、我らも侮られたものだ」
ぞろぞろと出てきた男達の中の一人がそう言うので、レオンハートは尋ねた。
「何て言って欲しい?“命が惜しくば、立ち去るがいい”とか?」
「それを、そっくり、お返ししよう。我々は姫君方をお連れするよう仰せつかっている。お主らは皇子を連れ帰れば充分であろう」
「姫君方だと?お前達の飼主はアイリス嬢を追って来たんだろう」
「陛下は二人の姫を御所望だ」
アレクサンドロス2世のみ返して、アルティリアとアイリスを手中に入れる。どんな意図があるか、想像しても不快感しかない。変態は命が惜しくないようだ。馬鹿はどこまでも馬鹿でしかないのだろう。こいつらも、イェーツ王も二度とアルティリアを目にする事はない。姫君に薄汚い欲を抱いた罪は、その血で償ってもらおう。
「お前らも、お前らの飼主も、生まれたことを後悔させてやるよ」
「笑止」
言い終わるや否や、男達が襲いかかる。よく訓練された動きだ。恐らくは、古くから独立した組織として確立されたのだろう。周りが優秀なせいで、上が愚か者でもそれなりに成り立ってきたのがイェーツだ。
「俺の姫君はお前ら如きが触れて良い御方ではない!」
皇国は侮られる事を良しとしない。
大陸の覇者と呼ばれ
時として傲慢と
不遜だと誹られる。
だが、それが何だ。
小さき事だ。
愚かで矮小な者共よ。
皇族は守護者
ルヴァランを護りし者達。
騎士はその尊き身を凶刃から守る盾。
そして皇族に仇なす者を斬り裂く剣。
雲の隙間から月光が差し込み、森が血の匂いで溢れる。騎士達はイェーツの追手を無力化した。
「……こ、う、国の犬が」
レオンハートはその声の主の元へ行くと言った。
「地獄で反省してろ、すぐに飼主も送ってやる」
しかし、振り上げた剣は下されなかった。男の首に落ちる寸前で刃は止められた。
「と言いたいところだが、お前らには聞きたい事がある」
「偉いぞ、ダーシエ卿。全滅させたら、どうしてやろうかと思っていた」
そうレオンハートに言いながら、騎士の一人が、影に生命維持と自殺防止の魔術を施していく。
「イイコだ、イイコだ」
「イイコは止めてくれ」
「なるほど、姫様に言ってもらいたいのか?」
先輩騎士からのからかいに居た堪れない気分になる。レオンハートは途中まで冷静さを欠いていた事を自覚してる。
「いや、アルティリア様は心配されるだろうから。あまり詳しい内容は知らせたくない」
アルティリアに血生臭い話は聞かせたくないが、そういう訳にもいかない。しかし変態中年にその身を狙われたのだ。許せないし、許さない。
「お優しい気性をお持ちだからな。だが、報告はいくぞ」
「そうだよなぁ。やっぱり、俺、イェーツに戻って変態を始末してくるよ」
「私も同じ気持ちだが、落ち着け、ダーシエ卿」
鬼気迫る様子で影を斬り伏せていったレオンハート。少し冷静になったと思えば、アルティリアの話となると、途端に様子が変わる。
とは言え、二人の騎士は、改めてレオンハート・ダーシエの戦闘力は驚くべきものがあると実感した。この若い騎士は追手の半数以上を倒した。殲滅させるだけなら、彼一人でも問題なかっただろう。だが騎士は敵を倒すだけが職務ではない。
「とにかく他に生存者がいるか確認するぞ。いれば連れ帰って尋問する」
「分かった……いや、待て」
レオンハートが警戒態勢に戻った。
「どうした?」
「馬が、騎兵が近付いてる」
「何?」
「50以上だ」
下手をしたら中隊規模の騎兵が迫ってるだと。イェーツ王は騎士団を動かす事はないと判断したのは間違いだったか。不味い。姫君達は国境を越えられただろうか。
「早いな、もう蹄の音が聞こえてきた」
「どうする?」
再びレオンハートは剣を抜いた。何が向かってこようと、アルティリアを守る事に変わりはないのだ。
「迎え撃つ」
頼もしい事だ。重い蹄の音は、すぐそこまで迫っている。今からここを離れても遅すぎる。二人の騎士も剣を抜いた。
ルヴァランの騎士達が迎えた騎兵隊は深いグリーンの騎士服に身を包んでいた。イェーツ騎士団ではない。隊長らしき人物は周囲を確認すると言った。
「遅かったようだな」
「貴方は……」
同時刻、イェーツの王宮の一室は、重苦しい空気に包まれているにも関わらず、笑い声が響いていた。声を立てて笑っているのは、ルヴァラン皇国第二皇子フェルディナンドとアイリスの父ローヴェイル公爵だ。
「イェーツ王は愉快な冗談を言うのだな」
可笑しいのか、馬鹿にしているのか、はたまた両方か。皇国の皇子は同意を求めるようにローヴェイル公爵に視線を向ける。
公爵はその笑いを止めると国王に吐き捨てた。
「貴方とアイリスとの婚姻が、どんな償いになるというのですか?」
イェーツ王はその無礼な態度に公爵を怒鳴り付けたくなるが必死で堪える。ただし、その顔には不快感がありありと浮かんでいた。フェルディナンドはこの愚王は腹芸の一つも出来ないのかと呆れた。
イェーツ王の父である先代王は真面目が取り柄の男だった。王族としての能力は凡庸だったかもしれない、しかし優秀な者を素直に認め、引き立てる度量と誠実さがあった。その善良さと国を想う信念に惹かれ、先代王を支える貴族は数多くいた。
しかし息子は、口を開けば「民のため、国のために生きよ」と話す父を疎ましく思っていた。「何故、国で最も尊ぶべき王族が我慢を強いられ、犠牲を強いられなければならないのだ」と。
王妃であった母も父を支えるべく、執務に取り組んでいたが、自分が14になる頃、体調を崩しそのまま帰らぬ人となる。病床で母は「良い王になれ」と言って亡くなった。
国のために無理をして早逝してしまった母が哀れでならなかったが、同時に空恐ろしくなる。母のようにがむしゃらに体を酷使して、朽ちていかねばならないのか。王族に生まれたばかりに、人生を搾取されてたまるものか。
イェーツのためにと結ばれた他国の貴族の娘は、頭でっかちで生意気だった。気位ばかりが高く、嫌気がさした。そんな時に出会ったのが社交界一の美貌の花と言われる伯爵家の娘だ。婚約者と違い、自分をこき下ろす事なく、ただ自分を慕う様子も可愛らしい。
王族として国の礎として生きなければならないのなら、妃くらい気に入った女を選んで何が悪い。いくら父に頼んでも婚約解消に同意してくれない、ならばと夜会で婚約破棄を強行した。多くの来賓を前に「真実の愛」を宣言し、父が自分達を認めざるを得ない状況をつくった。
慰謝料などで、個人資産を減らされたのは業腹だったが、いずれイェーツは全て自分のものになるのだと思えば大した事はない。しかし輸入問題が発生したため、執務量を増やされた。父の周りには数多くの側近がいるのだから、奴らにやらせればいいのだ。
そんな時、食糧危機を脱する可能性が生まれたと王宮は沸いた。ローヴェイルの息子が留学先で出会った令嬢の父親に気に入られ、婚約と食糧輸入の約束を取り付けたというのだ。ほらみろ、こんな簡単に問題は解決出来たじゃないか。無駄な努力を押し付けられた事が腹立たしい。
令嬢はルヴァランの侯爵家の娘であるそうだ。王子である自分を差し置いて、遥か格上の国の高位貴族と縁を結ぶなど生意気だと思ったが、以前の婚約者の国よりも国力のあるルヴァランの令嬢など、さぞ鼻持ちならない娘に違いない。政略結婚は他人に任せ、可愛い妃との蜜月を楽しもう。
しかし、ローヴェイルに輿入れした令嬢の美しさは圧倒的だった。
ルヴァランの妖精姉妹と謳われたアンネリィーゼ。
なんてことだ。
彼女こそ運命だったのだ。




