物乞姫
両親から甘やかされて、姉から奪いまくりな令嬢が、自分より高貴で小さなお姫様に親ごと社会的にぶちのめされる話。
「物乞い……あれは“物乞い”でしょう?」
煌びやかな夜会にそぐわない一言が、場の空気を凍りつかせた。人々は息を呑み、声の主に視線を向ける。その声を発したのは、宗主国ルヴァラン皇国の第三皇女アルティリア。皇帝の掌中の珠と謳われる幼い姫だ。
アルティリアは、兄で外交に長けた第二皇子と共に、このフェルマーレ国を訪れていた。まだ9歳の幼い皇女が夜会に出席しているのは異例だったが、彼女と縁を結べば皇国の後ろ盾を得られるとの思惑から、フェルマーレ国の重鎮達が直々に招待したのだった。
会場には彼女と歳の近い貴族の子女達が集められ、ご機嫌を取ろうと大人達が躍起になっていた。しかしその空気を一変させたのが、アルティリアが見つめる、その先にいた公爵家の末娘、リリアーナだった。
リリアーナは公爵家の三人兄妹の末娘。優秀な長男、王太子の婚約者で才女と謳われる長女に比べ、幼少期は病弱で手を焼く子だった。両親は彼女を大切にしすぎた結果、我儘で身勝手な性格に育ててしまった。
そしてリリアーナの我儘の一番の被害者は姉であった。
「ずるい」「ひどい」「欲しい」
そう言って、常に姉の持ち物を要求してきた。姉の婚約者である王太子を欲しがったことすらあるが、当の王太子に「リリアーナに王妃は務まらない」と一蹴されている。
両親は王子との婚約は仕方ないとしても、他の物は「姉ならば妹に譲りなさい」と彼女を注意するどころか、助長させ、結果としてリリアーナは境界線を知らない娘に仕上がってしまった。
デビュタントを迎えて数年、夜会や茶会に出席するようになれば、他の令嬢や夫人の持ち物までも要求するようになった。そうなった時は、姉がフォローし、大きな問題になる事はなかったが、姉の苦労は増えるばかりだった。
しかし、本日の夜会には姉は王太子の婚約者としての公務のため欠席している。ならば自分が皇族のお相手をしよう、そして、自分も王太子の婚約者の勤めを果たせるのだと、王家にアピールしようと張り切って夜会に出席したリリアーナであった。
もしかしたら、王太子だけでなく、皇国の皇子にもみそめられて求婚されちゃうかも、だってリリアーナはフェルマーレのお姫様だもの。……と都合の良い妄想を広げていたが、お目当ての第二皇子は王家の外務大臣と話し込んでおり、小さな皇女の相手をするしかなかった。
しかしながら、すぐに幼い皇女に興味を失うと、そばにいた子爵令嬢の髪飾りが目に留まる。
「素敵な髪飾りね。もらってあげる」
リリアーナはいつもの如く、当然、その髪飾りを手に入れられると考えている。しかし、その髪飾りは子爵令嬢の婚約者からの贈り物であったため、子爵令嬢は躊躇してしまった。
「申し訳ございません。婚約者からの贈り物なのです」
「私が欲しいと言ってるのよ」
恐る恐る断ろうとする令嬢に対し、リリアーナは苛立ちを隠さず声を荒げる。
「ずるいわ!私は婚約者からの贈り物なんてもらったことがないのに!」
周囲は困惑と沈黙に包まれる。誰も公爵家の令嬢に意見できない空気の中、アルティリアが動いた。
「物乞い、それは“物乞い”でしょう?」
場の緊張を断ち切るような声で、アルティリアが言い放つ。周囲の視線が彼女に集中するが、彼女は無邪気な笑顔を浮かべ、隣に立つ皇国の外交官に尋ねた。
「“物乞い”で合っているかしら?」
「ええ、皇国では“乞食”とも言いますね」
外交官のさらりとした返答に、大人たちはさらに凍りついた。アルティリアは続ける。
「でも、“乞食”は名詞でしょう?物を要求する行為は動詞で表すのかしら?」
皇女がフェルマーレ語を学びたがっていると理解した大人達は、何とか場を収めようと公爵夫妻が口を開いた。
「いえいえ、“おねだり”という可愛らしい言葉がございますよ」
アルティリアは首を傾げる。
「でも、リリアーナ様は18歳でしょう?わたくしの年齢の2倍もある方が小さな子供のように“おねだり”なんてなさるのでしょうか?」
公爵夫妻は顔を青ざめたが、アルティリアの追及は止まらない。
「それとも“強奪”でしょうか?」
無邪気に放たれる皮肉の矢に、公爵夫妻は耐えられず、苦し紛れに答えた。
「皇女殿下、リリアーナの行動は物乞いでも強奪でもございません。我が国の風習でごさいます」
「風習?身分の低い貴族に宝飾品を要求することがフェルマーレの風習なのですか?」
「さようです。下位のものはそれにより忠誠心を示すのです」
そのような風習は聞いたこともない。聞き耳をたてていた周辺の貴族はやや呆れながらも、口を挟むことはしない。
「あの令嬢は婚約者からの贈り物だと言っていたけれど、そのような大切なものを要求するなんてルヴァランでは、例え皇族でも非常識と言われてしまうわ」
「ホホ、ここはフェルマーレでございます。国が変われば常識も変わるのですよ」
公爵夫人も夫の言葉に賛同し、娘の行為を肯定するのだった。
「それに大切なものであればあるほど、忠誠心を示すことができますでしょう」
「そう言った考え方もあるのですね」
愚かな皇女は納得したかに見えた。子供は簡単に騙されるのだ。そもそも、我が公爵家の姫であるリリアーナを侮辱する方が悪い。公爵夫妻は皇子がその場を離れている事を良いことに、皇女を貶めることに成功した。しかしアルティリアは天使のような笑顔で公爵夫妻に微笑むとこう言った。
「では、わたくしも、“おねだり”することにします」
「は?」
「公爵のルビーのタイピンとカフスをくださいな。夫人からは、そのサファイアのネックレスと耳飾りをいただきますわ」
思わず不敬な反応をした公爵夫妻を咎めず、皇女は続けるのだった。
「文化の違いを否定することはいけませんわよね。わたくしも皇国や他国では絶対にこのようなこといたしませんが、フェルマーレの風習を尊重したく思いますわ」
迷いなく両手を差し出した皇女。
「……これらは、我が公爵家に伝わる由緒ある品でして」
「そ、そうです。簡単に手放してはいけない品でございますのよ」
言い訳じみた台詞と共に、そばにいた皇国外交官に視線を向ける。どうにかしろという意思をこめて。
「素晴らしい!まさにルヴァランに忠誠心を示すに相応しい品ですね」
追撃されただけだった。
「素敵な品々ですわね。くださいな」
娘の愚かな行為をもっともらしく誤魔化そうとした結果、家宝級の品を要求される結果となった。断ることはできない、そうすれば忠誠心を否定することとなる、もしくは皇族を謀ったことがばれて、より酷い結果になるだろう。
「……どうぞ、お受け取りください」
自業自得の結果に周囲のしらけた視線が痛い。しかし、野次馬をしていた貴族達が他人事のように面白がっていることはできなくなる。
ものの数秒で一財産築いた皇女は周囲を見渡し、そばにいた華やかな中年夫妻へ足を向けた。その2人はフェルマーレきっての裕福な侯爵家の夫婦であった。
まさか、まさか……
動揺する大人達をよそに姫は言う。
「おねだりします。侯爵からはダイヤのブローチを、夫人からはエメラルドのブレスレットをいただきますわね」
フェルマーレの貴族は戦慄する。お勉強熱心なアルティリア姫の異文化体験が始まってしまったのだ。
侯爵夫妻を皮切りに、皇女の「おねだり」が繰り返される。それを咎めることはできない。この国の最高位の貴族がフェルマーレの風習と説明してしまったのだから。皇国外交官の男はどこからか持ってきたのか、ジュエリーケースをもち、皇女に付き従いフェルマーレの忠誠心を回収する。
貴族は感情を表に出さない。微笑ましい笑顔を浮かべつつも、ジュエリーケースが増えるたびに公爵夫妻へと恨みが募っていく。
そうしているうちに、皇女は呆然と佇むリリアーナの元へ。そして、言った。
「素敵な髪飾りね。もらってあげる」
リリアーナの髪には、豪華なバラを模したピンクダイヤが輝いていた。
「え?え?え?え?なんで?」
騒動の発端となったリリアーナであったが、まさか自分がおねだりされる立場になるとは想像もしたことがなかった。
私のお気に入りの髪飾り。
何故、あげなくてはならないの?
困惑と怒りが込み上げるが、姉や他の下位貴族相手にするように、喚き散らして宗主国の姫君を蹴散らすことはできない。そこまで愚かではないが、絶対に嫌だった。頼みの綱の両親を見つけるが、死んだ魚の目で見つめられるだけだった。
「これは、その……とても、気に入ってますの」
「私が欲しいと言ってるのよ」
どうにかして絞り出した、言葉だったが、皇女が受け入れることはない。また数分前に自分が子爵令嬢を攻めた言葉と同じ台詞で、己が追い詰められていることに気づいてもいなかった。
「でも、だって、私は」
いつも、皆からお姫様として扱われてるはずなのに、周囲を見渡しても助けてくれるものはいない。
今回ばかりは両親も役に立たない。
こんな時に何故姉はいないのか。夜会や茶会で面倒ごとが起きるたびに、全て姉がリリアーナが困らないようにことを収めていたのに。
「わ、私は……」
お姫様なのに。
私がお姫様なのに。
会場中の貴族達の視線を集める中、少しずつ後ずさると。
「用事を思い出しましたわ!」
令嬢としてはあり得ない大声を上げて、走り去った。
「……ご不浄にでも行きたかったのかしら。呼び止めて悪いことをしたわね」
静寂に包まれる会場中、さして大きくもない声量であったが、皇女の言葉は皆の耳に届いたのであった。
次に皇女と目があったのはリリアーナに髪飾りを渡すよう言われていた不運な子爵令嬢である。皇女に微笑まれた子爵令嬢に緊張が走るが、要求された願いは想像と違っていた。
子爵令嬢の髪には、リリアーナが目を付けた髪飾りとは別に繊細なレースが結ばれている。
「パーカー子爵令嬢。あなたのレースのリボンとても素敵ね。もしよければ、わたくしのリボンと交換してくださらないかしら」
これは本当に皇国にある風習で、友好関係を望む相手に自分の意思を伝えるものだ。
女性であればハンカチやリボン、男性であればタイなど。相手が困るようなものは決して要求しない。さらに声をかけた者が、相手よりも価値の高いものを渡すことが礼儀となっている。
高価な物を贈れる者は大抵が高位貴族。そのような相手から交換を申し出られる事は大変な名誉であった。まして、相手は幼いながらも皇族だ。
「光栄にございます」
パーカー嬢は皇女が自分の家名を知っていることに驚きつつも、侍女を呼びリボンを外して交換する。
皇女の渡したリボンは皇族を象徴する深い紫色をした絹に水晶があしらわれた、一目で最高級と分かる品だった。
自分のリボンは絹のレースとはいえ、皇女のリボンとはあまりにも価値が違う。本当に貰ってしまって良いのか迷う。しかし、皇族から友好の証を賜ることになれば、この騒動に巻き込まれた高位貴族から責められる事はないだろう。
「見事なレースね。大切にするわ」
「ありがとう存じます」
不安になる子爵令嬢をよそに、よほどレースのリボンが気に入ったのか、皇女は侍女に頼み髪に飾ってもらう。
「どうかしら?」
「よく似合っているよ、アルティリア」
「あら、お兄様」
答えたのは兄皇子であった。
「パーカー嬢、素敵なリボンをありがとう」
「お気に召して頂き、光栄にございます」
アルティリアと同じ深い紫の瞳を持つ皇子は、妹姫の髪をそっと撫でる。
「他にも随分と贈り物をもらったようだね」
「ええ、フェルマーレの風習なのですって」
「ああ、聞いていたよ、忠誠心を示すのだろう」
皇子の後ろにはフェルマーレの王と王妃の姿もあった。宝飾品を巻き上げられた貴族達は期待する。我らが王よ、私達の宝石を取り返してくれと。
「それでは私達も忠誠を示さねばならないな」
「さようですわ」
ところが、貴族達の期待とは裏腹に王と王妃は微笑み合うと腕から揃いのブレスレットを外す。
「どうぞ、アルティリア皇女」
「フェルマーレの忠誠しかと受け取りました」
王と王妃までもが、自ら皇女に宝飾品を献上してしまった。しかも、これでフェルマーレの貴族達の宝飾品が返還される事はないだろうと誰もが諦めた。
しかし、皇女が予想外な事を口にし始めた。
「お兄様、皆様に素敵な贈り物を戴きましたが、やはり“おねだり”という行為は恥ずかしいと、わたくしは思いますの」
「そうかい?私はアルティリアにならいつでも、何でも“おねだり”して欲しいよ」
「わたくしは、そんなに幼くはございませんわ」
風向きが変わり始めたぞ。そうだ、浅ましい真似はやめて我らの宝石を返せ。貴族達はほのかに期待を大きくする。
「ですが、これはフェルマーレからの友好と忠誠の証。返すなんてできません」
いや、返せ。遠慮するな。大人達の視線が集まる中、皇女の気持ちは固まったようで、キリリとした顔でフェルマーレ王と王妃に向き直る。
「陛下、わたくし、皆様の忠誠心に感謝を示したいと思います。つきましては、こちらの献上品、この度のフェルマーレの災害被害の支援金とさせて下さいませ」
アルティリアはとても良い子なのだ。もう9歳だから「おねだり」は卒業し、困ってる人に手を差し伸べる。
「アルティリア皇女の慈悲に感謝を!」
そう、高らかにフェルマーレ王が声を上げれば貴族達は賛同しないわけにもいかず、会場内は拍手に包まれた。
「しかし、国際基準に照らし合わせれば“おねだり”という行為は恥ずべき行為であるとのこと。今後はフェルマーレでも慎むように」
国王が締めくくり、フェルマーレで良い歳をして「おねだり」する者も「おねだり」を良しとする親もいなくなったのであった。
――――そして。
夜会から1ケ月ほど経過した日、フェルマーレから皇国へと向かう煌びやかな馬車の中、皇子と外交官が悪い笑顔を浮かべていた。
「アルティリアのおかげで、支援の計画が滞りなく進んだな」
そもそも、第二皇子がフェルマーレを訪れた理由は災害被害の確認と支援のためであったのだが、アルティリアの機転で予想より遥かにスムーズに話し合いが進み、短期間での帰国となった。
「自国の問題だというのに馬鹿な貴族連中が協力を渋っていたようですからね」
その筆頭がリリアーナの父である公爵であったため、他の貴族達も追従し、資金を出し渋っていたようだ。しかし幼い皇女が莫大な支援金を提供したというのに、大人達がそれ以上に出さない訳にはいかない。どの国でも貴族というものは面子が命である。例え、皇女の資金源が元は自分達の宝石だったとしても。
「姫君は災害支援に非協力的な貴族ばかり狙い撃ちして、ジュエリーを巻き上げるので驚きましたよ」
「例え夜会でも、自国の災害時に華美に装う貴族なんぞ非常識だと言っていたからな。アルティリアなら馬鹿を見分けるのは簡単だ」
「殿下がアルティリア様を連れて行くと、だだをこねた時は、シスコンが重症化したのかと心配してましたが、考えがあってのことだったのですねぇ」
「アルティリアは賢いだろう、優しいだろう、可愛いだろう、素晴らしいだろう、世界中に讃えるがいい。俺が許す」
「末期ですねぇ」
夜会とは打って変わって気安い態度となった外交官のこの男は侯爵家の三男であるが、子爵位を持ち、第二皇子の学友でもあった。
「あれ以来、リリアーナ嬢は“物乞姫”と呼ばれるようになって、屋敷に閉じこもっているようですよ」
「その呼び名を付けた者に報奨金を出してやろう」
「笑いすぎですよ、殿下」
多くの貴族から恨みをかい、公爵夫妻も屋敷から出られずにいた。このままいけば公爵家の優秀な令息が、毒親子を領地に閉じ込めるだろう。トップの老害が消えれば、もう少しまともな政治が回りだすはずだ。皇子と外交官としては、フェルマーレに大きな貸しもつくり十分な収穫と考えていた。
「王太子が感謝していたよ。あの親子は愛しい愛しい婚約者を困らせる毒親子だと、虫の如く嫌っていたからな」
「虫ですかぁ」
リリアーナにはもう一つの呼び名ができていた。下位貴族や平民ではそちらの方が広まってる。
公爵家の我儘令嬢は、子爵令嬢から髪飾りを取り上げようとしたくせに、自分が9歳の小さな姫に髪飾りを「おねだり」された時は拒否してトイレに逃げた。
「王宮の便所虫」
城のトイレにあの黒光りしている虫は出ないだろうし、皇族は見たこともないのではないか。
言っても伝わらないと思った外交官は、下品なあだ名は黙っておこうと思うのであった。
フェルマーレ城の侍従の方の証言「あの逃げ足の速さは、まさにGでした」
フェルマーレ城の侍女の方の証言「あの品のない姿は、間違いなくGでした」
次期王太子妃を困らせてるリリアーナ嬢は、お城でも嫌われてました。