くびちょんぱの王子様 03
「あはは!アイリス姉様を追放だってー!」
完璧に決まったはずの台詞はアレクサンドロスに笑われた。彼は可笑しくてたまらないというかのように、キャッキャッと声をたてながらハーレイ達に近づいて来ると、アイリスの手を取った。
「じゃあ、アイリス姉様は僕らと一緒に行けるよね!」
それに続きアルティリア皇女もアイリス嬢の横についた。
「ええ、私達でアイリス姉様をお連れしましょう」
「お、お待ち下さい。皇女殿下、その者は犯罪者です!」
勝手に連れて行かれては困る。一旦、地下牢に閉じ込め、場合によっては恩赦を与え、囲ってやっても良いと考えている。犯罪者とはいえ、ただで手放すには惜しい美貌だ。
「裁判もせずに追放とは。いつからイェーツは法治国家をやめたのですか?」
アルティリアの美しく深い紫の瞳に見据えられ、王太子はたじろぐ。直前までの幼さの残る言動とは大きな乖離があった。
「ルヴァラン皇国はアイリス・ローヴェイル嬢の亡命を受け入れます。これは皇帝アレクサンドロスの意思です」
アルティリア皇女の言葉に会場に騒めきが起きる。これは、イェーツに対して批判を表明したも同然だ。
「な、何故……」
「それは、アイリス・ローヴェイル嬢が我々の従姉妹であるからだ」
答えたのは第二皇子フェルディナンドだ。いつの間にか会場に戻って来た彼はハーレイ王太子達を一瞥すると、アルティリアと甥のアレクサンドロス2世に微笑む。
その優雅な微笑みに、リットン男爵令嬢は頬を染める。それを隠そうとしない姿を見ると肝は据わっているようだ。やだ、ハーレイより、この人の方がカッコいい。誰なの?
「ねぇねぇ、フェル兄様。イェーツって裁判しないんだって!変なの!むほー国家っていうんでしょ?」
「そうだ、よく勉強してるな」
アレクサンドロスが叔父に問いかけると、とても褒められた。嬉しい。
「遅くなってすまないね。二人ともこんな茶番に付き合わされて疲れただろう」
「ええ、わたくし共は、お先に大使館に向かわせて頂きますわ」
アルティリアは兄に了解を得て、イェーツ城を去る事にした。彼らは本日まで王宮に滞在していたが、大使館に宿泊するということは、これ以上、イェーツに居るつもりはないという意思を表している。
「では、アイリス姉様。参りましょう」
これまで、ずっと黙っていたアイリス嬢は「少々お待ち下さい」と言うと、美しいカーテシーを取る。
「私がココ・リットン嬢を虐めたなどという事実は御座いません。しかし婚約破棄は確かに受け入れました。御前、失礼致します」
追放処分を受けたとは思えない凛とした姿。アイリス・ローヴェイルは皇女アルティリアとアレクサンドロス2世と共に会場を去った。彼らを引き止める事ができる者はいない。
「さて、申し開きを聞こうじゃないか」
三人が護衛の騎士達と共に会場から出て行ったことを確認したフェルディナンドは皇女と同じ深い紫の瞳で、ハーレイ王太子を見やる。
「あ、え……?」
冷たい第二皇子の視線に耐えきれず、ハーレイは口ごもる。隣でココは「えーなに?急にビビってるし。ダサ」と思った。
「いえ、その、私は……フェルディナンド様を友人と、思って……ですから」
ハーレイはフェルディナンドが何故このような態度をとるのか理解出来ない。これまでイェーツを訪問した際は、朗らかに自分の話に耳を傾けて、アイリスの事など無視していたのだ。いくら従姉妹であっても可愛げのない女よりも、才あるハーレイを認めていたと考えていた。
しかしフェルディナンドは容赦なく真実を告げる。
「私は従姉妹の顔を立てて、その婚約者の話を聞いてやっていただけだ。これからは中身のない会話に付き合うつもりはない」
今宵、第二皇子フェルディナンド、第三皇女アルティリア、そして、皇太子の第一子アレクサンドロス2世。三名もの皇族が訪れたのは、イェーツ王族との友好関係のためではない。
アイリス・ローヴェイルの母、アンネリィーゼがルヴァラン皇国のコルトレイン侯爵家出身であり、皇后フローリィーゼと姉妹関係にあるからだ。
「皇后フローリィーゼの姪であるアイリス・ローヴェイル嬢を国外追放にするとはな。どんな釈明を聞けるのか楽しみだ」
完璧な微笑みを浮かべているはずの第二皇子から、全く友好的な空気が伝わってこない。ハーレイ王太子はやっと気付いた。フェルディナンドは自分に友情を抱いてはいないかもしれないと。
イェーツの公道はあまり整備が行き届いていないが、この皇族専用馬車は驚くほど振動が少ない。
「何か召し上がりますか?焼き菓子やドライフルーツなど、ご用意が御座いますよ」
静かに窓の外を見つめるアイリスに、アルティリアは尋ねた。
「いえ、お気持ちだけで」
馬車の中にはアイリスとアルティリア、そして寝入ってしまったアレクサンドロスの三人だ。侍女が同乗していないので、きっとアルティリアが支度をするのだろう。いくら従姉妹とは言え、皇女殿下にそんな事はさせられない。
「じゃあ、わたくし、いただきますわね。このクッキーは林檎のジャム入りで、とても美味しいのです」
しかし、アルティリアは慣れた手付きでソファの横に作り付けられた引き出しから、美しい蔦模様の箱を取り出して開けると、嬉しそうに口に入れる。
その様子は先ほどの夜会とは違い、10歳の少女らしく可愛らしい。
「ふふ」
気が付くと小さな笑い声が溢れていた。
「やはり召し上がりませんか?夜のお菓子は魔性の魅力があるので、抵抗しても無駄だとカトレアナ姉様も話しておりました」
「では、一つ」
アイリスはイェーツでは珍しいカカオの含まれたクッキーを口に入れる。焼き菓子は甘くほろ苦く、口の中で崩れていく。
「美味しいです」
「良かった。チョコレートもあるので、一緒に食べましょう」
美しいチョコレート、様々な焼き菓子、ドライフルーツ。保温ポットに入れられたハーブティー。馬車の中はちょっとした茶会となった。
甘い菓子と優しいハーブティーでアイリスの緊張もほぐれてきた。しかし高ぶった感情が落ち着いてくると、思考も冷静になってゆく。
「やはり、今夜の事は予想されていたのでしょうか」
アイリスは尋ねた。本来なら皇族はイェーツの王宮に宿泊するはずだった。皇族専用馬車とはいえ、このような菓子類の数々は準備が良すぎる。
「はい、残念ながら」
答えを聞いてアイリスは目を伏せた。
ルヴァランはイェーツと対立する可能性を知っており、それは現実のものとなった。皇后の姪である自分が婚約破棄されれば、アイリスが望まなくともルヴァランはイェーツに背を向ける、いや、それ以上の事が起きるかもしれない。
何よりも、アイリスが国を離れる事によって、イェーツの生命線が失われる恐れがあった。
母がイェーツに嫁ぐ際、持参金として与えられた土地は、ルヴァラン最大の穀倉地を持つコルトレイン侯爵家の領地の一部。現在、父である公爵は、その土地を使いコルトレインと共同でさらに農耕技術を高めた。今やローヴェイル領の麦の生産量はイェーツ最大のものとなり、ルヴァランからの輸入と合わせ、この国の食糧庫と言っても過言ではない。
ただし、母アンネリィーゼの血を引き継ぐ子供がいなくなった場合、その領地はコルトレインに返還する盟約となっている。先代イェーツ国王と、先代ルヴァラン皇国皇帝の署名もあり、このような状況であれば、すぐにでも返還要求がなされるかもしれない。
アイリスはイェーツを愛している。
イェーツのためなら、尊大で自己愛の強く多情なハーレイに嫁ぐ事も我慢できた。
やはり、このままルヴァランに行くことは出来ない。
大使館に一晩泊まったら、公爵家に迎えを寄越してもらおう。そう考えたが、いくら待っても大使館に到着しない。明らかにおかしい。
「アルティリア様」
「ハーブティーのお代わりですか?」
「いえ」
「では、ドライフルーツは如何ですか?イヴィヤからデーツを取り寄せたのですが」
「アルティリア様」
「はい」
正面に座る美しい少女。
淡い水色のドレス、純白の細やかなレースが重なり、シャンデリアの下ではクリスタルが輝いていた。他の来賓からは、水の妖精のようだと称賛を浴びていた。久しぶりに目にした従姉妹姫は、さらに美しく成長していた。
しかし、まだ10歳のはずだ。
それなのに、どこか底知れない。
「この馬車は何処に向かっているのですか?」
「大使館ですよ」
「大使館はとっくに通り過ぎています」
気が付けば王都の外だ。
窓から見えるのは暗闇と木々の影。
その様子から、ルヴァランへと続く街道でもない事が分かる。
「大使館に向かっていますよ。イェーツの大使館ではありませんが」
「戻って下さい。私は亡命する訳にはいきません」
「申し訳御座いませんが」
幼くも美しい姫は形の良い眉を一瞬だけ下げたが、すぐに元の笑顔をつくる。
「アイリス様は、わたくしに攫われて頂きます」