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睡蓮の騎士 01

シアン達が拘束され、処分が決まった後、レオンハートは改めて父と話した。やはり自分は騎士になりたいと。そして、そのための最短の道を進みたい。


「士官学校に行かせて下さい」


行かないと言ったくせに、それをさらに覆すのだ。レオンハートは父に頭を下げた。自分なりのけじめのつもりだ。


「うむ」


それに対し、父の返事はいつも通りだった。もっと、こう、何かないの?一度言ったことを撤回するとは何事か!的な言葉はないのだろうか。しかし、母の反応はやや違った。


「あら、良かったわ」


分かりやすく安堵している様子だった。


「やっぱり、俺に騎士になって欲しかったんですか?」

「ええ。これ以上、茶葉を無駄にせずに済むと思ったらホッとしたわ。今だから言うけど、貴方に侍従は無理ね」


母のお茶の手ほどきの際、レオンハートの入れた不味い茶は父と母が飲んでいたようだ。申し訳ない。


これまでは言われるがまま、騎士への道を歩んでいたが、一度自分で決めると周囲の雑音は気にならなくなった。


レオンハートは、早朝、誰よりも早く訓練場に通うようになった。


剣を振り下ろす。この一振りが、いつか小さな主人の元へと連れて行ってくれると考えると、これまで気になっていた嫉妬や妬みなどは小さな物だと思える。


ただ、事件後、アルティリアの行動は大きく変わった。以前のように、思うまま、庭をかけることはなくなった。庭園に出ると、常に周囲を気にしているような素振りを見せる。


心配した乳母が、皆でアルティリアの気に入りの睡蓮の池へ行こうと誘うが、首を振って拒絶していた。


「アルティリア様、皆で睡蓮を見に行きましょうか」

「おにわにいる」


侍女や他の遊び相手の少女達は、アルティリアは侵入者に怯えているのだと哀れんでいるが、レオンハートは自分の周りのもの達を危険に晒すことを恐れているのだと思っている。


アルティリアにそんな心配をさせる原因になったシアン達にも不甲斐ない自分にもレオンハートは腹を立てていた。


そのせいか。皇宮から帰宅後、訓練場で剣を振るっていた時に声を掛けてきた女の誘いをきつく断っていた。これまでもダーシエの騎士の身内など、歳の近い少女から声を掛けられる事はあったが、もう少し穏便に断っていた。


しかし、今、声を掛けてきたのは、ダーシエ家の使用人だ。以前、家政婦長に確認したことがあったが、年齢は20歳だとか。


シアン(あの馬鹿)以外にも己の欲望のまま身勝手に振る舞う人間がなんと多いのか。


ダーシエは武家の特徴の一つだが、臣下や使用人達との距離が近い。レオンハート自身も騎士達以外にも使用人とも気さくに話している。しかし、この振る舞いは規則違反以前の問題だ。


「断る。訓練の邪魔だ、消えろ」

「な、なによっ。人がせっかく誘ってあげてるのに!」


女は最近働き始めた下働きの女だったので、レオンハートが当主の孫だと知らなかったのか、自分を騎士見習いか何かだと勘違いし、猫撫で声で「練習、頑張ってるのね」などと声を掛けてきて、あげくに「終わったらカフェに連れてって」などと強請ってきたのだ。


「後悔しても知らないんだからね!」


あまりにキーキー喚くので言ってやった。


「する訳がない。それより、お前、トマスとアリソンとマークとフィンから宝石を貢がせてるんだって?」

「な、何でっ!?」


今言った男達はダーシエの若い騎士見習い達だ。現在、全員、この訓練場にいる。この女がレオンハートに話しかけている時から、チラチラと様子を窺っていた。


「厨房で、自分からベラベラ話していただろ」


レオンハートは育ち盛りの食べ盛りだ。動けばすぐに腹ペコになるので、しばしば厨房でつまみ食いをしてるのだ。こっそり林檎とチーズをかじっていたら、女が厨房でメイド達に向かって自慢していたのを耳にしたのだ。


「“こんな素敵なプレゼント初めてぇ”とか言えばチョロいとも言ってたな」


女は「なっなっなっ」と繰り返す。顔はそれなりに良いので、今までは男達にチヤホヤとされていたんだろう。こんな言われ方をされたことはなかったに違いない。


「お前の性格、ク、大便色だな」

「ア、アンタみたいな餓鬼、アタシの男()に言って締めてもらうんだからね!今に見てなさいよ!」


お前の男達はここに全員いるけどなと思ったが、頭に血が上って気が付いていないらしい。だが、レオンハートも最近は苛々が上昇中だったため。


「やってみろよ、ウンコババァ!」


幼稚な悪口で締めくくってしまった。糞ババアよりは上品だ。きっと。

女はというと、キエーッ!と言う高音を発しながら走り去った。


「……ぼ、坊ちゃん」


邪魔者がいなくなったので、訓練を再開しようとしたら、ババァの男達がぞろぞろと寄ってきた。声を掛けてきたのはマークだ。


「あの、さっきの話は」

「嘘だと思うなら、自分達で確認してみろよ」


騎士見習い達はボソボソと話していたが。


「カルティオのリング買ってやった」

「お、俺、フィアニーのネックレス」

「サラ・スイの耳飾り」


レオンハートの話が本当の事だと理解したようで雰囲気は暗い。


「申し訳ございませんでした」


最終的には頭を下げられた。一応、それぞれ、あの女を自分の恋人と認識していたのだ。それならば、当主の孫への無礼を止めるべきだった。


「自分達で報告しておけよ。くだらねぇな」

「返す言葉もございません」


翌日から女がダーシエ家に来ることはなかった。


家政婦長はこれを機に質の悪い下働きを紹介してきた人間との関係を切り、使用人達も叩き直すと凄みのある顔で話していた。しかし、レオンハートもお小言を頂戴してしまう。


「ダーシエ家の人間として恥じぬ言葉を心掛けて下さいませ」

「わ、分かった」


「ウンコババァ」発言は家中に知られていた。


女に騙された騎士見習いは、貢いだだけなら私的な問題と見逃されていたが、主人への無礼を止められなかったため、罰則を受けることになる。ダーシエ特別強化訓練である。


7歳ほど年上の準騎士に「坊ちゃん、よく騙されませんでしたね。偉い偉い」と褒められた。別に嬉しくない。


「餓鬼に集る女に騙されるかよ」

「そういや坊ちゃん、まだ12歳でしたね」


もうすぐ13歳の誕生日を迎えるレオンハートの身長はさらに伸び、知らぬ者からすると15、16歳に見える。女も勘違いしていたのだろう。


見目も良く家柄も良いレオンハートはその後も女性に構われるようになり、普通の10代の少年ともなれば女の子に興味を持つ者が多いはずだが、レオンハートは逆に猛禽類のような女性の避け方に熱心に取り組むようになる。


そして士官学校への試験日が迫り、アルティリアの遊び相手も終了となる日がやってきた。


「レン、ごほん、よんで」

「今日は何を読みますか?」

「おはなの、ごほん」


アルティリアとレオンハートの二人は部屋の中央に敷かれたマットに座り、本を開いた。姫君はレオンハートの担当が昆虫や爬虫類などの本だと知っているので、いつもなら、それらを選ぶのだが、今日は花言葉の本を選んだ。


花の種類と花言葉は令嬢や貴婦人の嗜みであるため、小さな頃から皇女達も学んでいる。美しく描かれた花の本をめくると睡蓮のページを見つけた。


「レンよ!」


嬉しそうな声をあげる姫君は、あれから睡蓮の池に行くことはなかった。


「睡蓮の花言葉は、色によって違うようですね」

「しろは?」

「“純粋”です」

「じゅんすい?」

「汚れがなく綺麗だという意味です」

「きいろのレンは?」

「“優しさ”です」

「やさしいのね」

「紫と紅色は“信頼”です」

「しんらいって?」

「信じることだったり、頼りにすることです」


姫君は睡蓮の花言葉が気に入ったようで、嬉しそうに笑う。やはりお別れの前に睡蓮の池に連れて行ってあげたかったなとレオンハートは思っていたが、アルティリアは南宮の側から離れる様子がなかったので、その機会に恵まれないまま最後の日を迎えてしまったことが心残りだった。


別れの挨拶をした際、レオンハートは約束した。


「また、行きましょうね。睡蓮の池」


そう言うとアルティリアは小さく頷く。


この小さなお姫様のために必ず騎士となって戻って来よう。アルティリアが安心して彼女の愛する睡蓮の池に行けるように。


「アルティリア様、どうかお元気で」


姫君はトコトコ近付いてきて手を伸ばした。抱き上げて欲しいのだろう。そうするとレオンハートの首に回された細い腕にギュッと力を込められた。


「れん、だいすきよ」


初めて出会った時よりも、ほんの少しだけ大きくなったアルティリア。だが、まだまだ、小さいお姫様だ。こんなにも小さいのに、背負う責任はなんて大きいのだろう。


「レンは必ずアルティリア様の元に戻ってきます」


幼いアルティリアが自分を忘れてしまっても。レオンハートは生涯この小さくて優しいお姫様を守ると決めた。


名残惜しい気持ちを置いて、毎日のように通った南宮をレオンハートは後にする。


その後、レオンハートは無事に士官学校への試験に合格。士官学校は爵位関係なく学生全員が寮生活となるため、準備をしていると、当主である祖父に呼ばれた。


「レオンハートです」

「入れ」


重厚感はあるのだが、飾り気のない室内は今だ騎士として現役の祖父のようだ。黒い革張りのソファに深く座っている祖父と向かい合い。


「当主にはなりません」


レオンハートは先手必勝とばかりに宣言した。


「騎士になります。でも、忠誠を捧げる方はアルティリア様お一人です」


それに対して祖父は駄目だとも良いとも言わず、レオンハートに問う。


「皇族とは何だ」

「君主の一族です」


そう答えると、祖父はレオンハートを見つめ返し言った。


「皇族はルヴァランの守護者だ。我々ダーシエはルヴァランを守りし皇族の剣であり盾だ」


この流れは不味い。絶対、説得にかかっている。レオンハートは当主にはなりたくない。


「お前はダーシエの当主たる素質が……」

「嫌です!」


ダーシエ当主は孫の言葉に深く息を吐く。図体は大きくなったが、まるで駄々をこねる赤子のようではないか。


ここ数ヶ月で、さらに鍛錬に励み、飛躍的に成長し続けている。剣術の腕だけで言えば、経験を積んだ騎士達と遜色はない。仕えるべき主人と出会い人生の目的を定めたレオンハートの集中力の高さは目を見張るものがある。


ダーシエでは、皆、一騎士としてだけでなく、指揮官となるべく、戦略、戦術、国際情勢、語学についても学ぶ。そして領地経営ついても修めており、レオンハートはどれも優秀であった。また家を支える代官をはじめ能力の高い執務官も数多く抱えている。家の管理が面倒だという理由ではないはずだ。


「第三皇女殿下の騎士がダーシエの当主だということは少なからず姫君の武器になると思うが」

「う……」


迷い始めたが、どうにも頑なな孫の様子を見て、ダーシエ侯爵は当主の肩書きを一旦置くことにした。


「レオよ、分かった、腹を割って話そう。このジジイに正直に言ってみろ」


レオンハートは苦渋に塗れた顔をしてうめくように言った。


「ジーちゃん、俺。結婚したくねぇ」


孫は女嫌いの扉を開きかけていた。


10歳の誕生日を迎える前。殆ど話したことのない、女の子が二人やってきてレオンハートを問い詰めた。「正直に言って。あたしとこの子とどっちが好きなの!」と。レオンハートは答える。「どっちも嫌い」と。


何故なら、そのような質問をされる意味が分からないし、そんな事を聞いてくる奴は気持ち悪いと思うからだ。


そして両方の女の子に泣かれた。


さらに意味不明なことにレオンハートが女の子を虐めたような感じになってしまった。


「よお、女泣かせ」


実際は若い騎士や準騎士に揶揄われていたのだが、幼いレオンハートには意味が分からなかった。


その後もレオンハートは親しい女の子はいなかったが、何かと女同士のイザコザに巻き込まれた。そして、最近ではウンコババァの登場だ。


レオンハートは叫ぶ。


「俺、知ってるからな。縁談とかきてんだろ。絶対ヤだからな!」

「安心せい。ダーシエの当主は結婚の義務はない」

「本当に?見合いとか、断ってくれんの?」

「約束する。ダーシエ侯爵家当主が次世代に繋ぐべきは血ではない。信念だ」


実際にダーシエ家の当主達は生涯独身を貫き、皇族に剣を捧げ続けた者達も多い。


「先代も引退まで独り身でおられた」


ダーシエ女侯爵は戦が終わり、戦後処理が落ち着き、祖父に当主を引き継いだ後。一人、旅に出たという。


「確か“強い奴を探しに行く”とか言って出てったって聞いたけど」

「いや、それは違う」


身内の爺様達が「我等の女神は痺れるだろう!憧れるだろう!」と得意げに話していた。しかし、祖父はそれを否定する。


「叔母上は“素敵な恋(ラヴ)を探しに行く”と仰っていた」

「え、なんて?」

「“素敵な恋(ラヴ)”だ」


厳つい筋肉老人の口から予想外な言葉が飛び出たので、理解するのに時間がかかってしまった。


「当時、叔母上は53歳。“女盛りが終わってしまうだろうが!”と言って国を出られた」

「マジ?」

「間違いない。直接、私が聞いたからな」


一族の中で、何故「素敵な恋(ラヴ)」が「強い奴」に変換されたのかは謎であるという。だが一部のダーシエ(のうきん)には戦いは求愛行動の一つと考える者もいると祖父は語る。そういったことから先代が戦いを求めて旅立ったと勘違いされたのかもしれない。


「とにかく!俺はアルティリア様を一生お守りするって決めたから結婚しねぇよ」

「そんなに、嫌か」

「嫌だね、女なんて面倒くせぇ。アルティリア様以外」


ダーシエ侯爵はふむと考えると孫に言う。


「侯爵家当主ともなれば、皇女様をお迎えすることも不可能ではないぞ」

「何言ってんの、ジーちゃん。アルティリア様は二歳だよ」

「だがダーシエの初代は……」

「知ってるよ、当時の皇帝陛下の妹君を娶ったんだろ」


ルヴァランがまだ大国と呼ばれる前。大傭兵団を率いていた男が武功を打ち立て、褒美として爵位と姫君を得た。それがダーシエの初代である。


しかし、二代目ダーシエの当主が綴った記録では、皇帝の妹君に惚れ込んだ初代が、姫を得るべくがむしゃらに戦場で暴れたとある。


姫君は初代に言ったのだ。「私が欲しいのは情夫ではない。ルヴァランを守る剣と盾だ」と。


「なあ、ジーちゃん」

「なんだ」


それに対し、初代は「そんなことで姫さんを俺の嫁に出来るなら、剣だろうが盾だろうが、何にでもなってやる」と言葉通りルヴァランの、いや姫君の武器となった。


「俺が当主になったら、ダーシエごとアルティリア様の花嫁道具にしちゃうけど。それでもいいなら、やるよ」


孫の言葉に祖父は笑った。


「あっはっはっは」


それはレオンハートの本心なのだろう。しかし、将来は分からない。孫と姫君の未来に思いを馳せ、ダーシエ侯爵はもう少し長生きせねばと考える。


「じゃ、そう言うことだから。おやすみ!」


レオンハートは久しぶりに見る祖父の大笑いに居た堪れなくなり、部屋を後にした。


回廊を歩いて、自室へと向かっていると、先代の女侯爵の肖像画の前に辿り着く。女性にしては背が高く、がっしりとした体付き。甲冑に身を包んだ戦女神は不適な微笑みをレオンハートに向けている。


顔立ちは悪くない。例えるなら。


「美人のゴリラ?」


そして、振り返れば破落戸の親玉のような人相の悪い男の肖像画がレオンハートを睨み付けている。これがダーシエ侯爵の初代だ。


「そのツラでよく姫君と結婚出来たな」


それにしても初代といい先代といい。ダーシエは脳筋ではなく、恋愛脳なのだろうか。


「なんか、やだなぁ」


愛とか、恋とか。

俺は、それ、いらないけど。


「貴方達みたいに大切な人を守れる騎士になりたいです」


翌日、レオンハートは士官学校へ入学。その後、優秀な成績を修め、通常三年間の教育課程を二年で修了させ、ルヴァラン皇国騎士団の特殊訓練部隊に配属された。レオンハートの年齢で特殊訓練部隊となるのは異例であったが、他の士官候補生との力量差を考えての措置だった。この部隊は、皇国内の特に優秀な騎士を選別し、二年間、不眠不休で特別な修練と実務訓練が課せられる。そして、その二年の課程が修了後、さらに10ケ月間、国境警備または仮想敵国と隣接する属国に出向する。


レオンハートが皇都に戻ってきた時は四年以上の月日が流れていた。

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― 新着の感想 ―
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戦闘は求愛行動なんて、そんなことあるわけ、、、いや、あるのk、いやいやいや、無いよ! 我らが皇女様なら、4年くらいなら覚えてそうだなぁ。トラウマというかは分からないけど、自分の行動を省みるきっかけ…
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