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睡蓮の姫君04

「お前は餓鬼と遊んでろ。俺は美女と仲良くさせてもらう」

「馬鹿な事を」


レオンハートは呆れと嫌悪と不快感、そして怒りを、シアン・ドゥジエムに感じていた。しつこく絡まれた際、卑怯な振る舞いを幾度もされたこともあった。この男がアルティリアの姉に跪き、紳士的に愛を乞うなど考えられない。


ダーシエ一門は皇族の剣となり盾となる一族だ。それはダーシエの誇りであり、存在価値であると。父から、伯父達から、そして、尊敬する祖父から教わった。


一門の一人であるシアンがそれを知らぬわけがない。湧き上がる怒りは止まる事はない。今すぐに、この愚か者共を叩き潰せと誰かが言う。それは、父か、祖父か。かつて皇族と共に戦ってきた祖先か。


しかし、後ろに感じる小さな体温がレオンハートの思考を冷やした。自分一人であれば、素手だろうがこんな三人相手にもならない。


だが、今、護るべきは、この小さな姫君だ。模擬剣とは言え、武器を帯剣した三人相手に、こちらは丸腰だ。迂闊に動いてる、この穢らわしい男達が、アルティリアにほんの少しでも触れたら。考えただけで吐き気がする。


自分はこんなにも弱かったのか。

護るべき者がいる時に。

護るべき皇族が。

護るべき誇りが穢されようとしている時に。

戦えない自分はなんと弱いのか。


アルティリアを連れて逃げることが最善だろう。

それは天才と呼ばれたレオンハートの初めての敗北であった。しかも相手にもならないと思っていた男達にだ。


「いいか、ここで、俺達に会った事は誰にも……」


シアンが言い終える前に言葉を止めてしまったのは、レオンハートの後ろからアルティリアがひょこりと顔を出したのだ。


「おい、()()()もしかして」


レオンハートは薄汚い人間の目にアルティリアを触れさせたくはなかった。


「ダメです!」


皇女を下がらせようとしたが、姫君は前に進み出てしまう。


アルティリアは毎日母から聞かされていた。


「リア、私達はね。皆を護るためにいるのよ」


その話をしてくれる時、母は優しくアルティリアの頭を撫でてくれる。その手が大好きだ。


「ルヴァランの皇族は、民を、アルティリアの大好きな人を護れるようにならなければいけないの」

「おかさま、ちきよ。レンと、おとさまと、にいさま、ねえさまと、ねえさまとー……みんな、ちき」


しかし、護るとは、どうすれば良いのか?


「リアが怪我をしたら、母様は悲しいわ。貴女はまだ小さいから戦ってはダメよ」

「ぺちん、しない」

「アルティリアの大好きな人を虐める人がいたらね、こうしなさい」


フローリィーゼはアルティリアの腹に手を当てる。


「温かいでしょう」


母の体温と、自分の中の何かが集まっていく感覚。もう少しアルティリアが大きくなれば、それは魔力を集中させていると分かるだろう。


「ここに、温かいものを集めて」


大好きな母に言われた通り、アルティリアはお腹に熱を集め、深く息を吸い込んだ。


そして、叫ぶ。


「くせものーーーーっ!」


それは、魔力の込められた叫び。


母は言っていた。

ルヴァランの皇宮(ここ)でアルティリアの声が届かない場所はないと。


「こ、この餓鬼、黙れ!」


シアンはアルティリアの口を塞ごうと動いたが、それよりも早くレオンハートがアルティリアを抱き込み、後ろに飛んだ。


その時間、数秒。


何処からか現れた男達がシアンと、その取り巻き二名を組み伏せていた。直後、アルティリアの護衛騎士達が現れ、彼らを拘束する。


「速い」


男達が現れたのはアルティリアが叫んだと同時。騎士の制服は着ていないか、装飾の少ない動きやすそうな服を着用している。そうか。皇女の護衛が騎士だけなはずはない。彼らは皇族に仕える影と呼ばれる者達だろう。


冷静に考えれば、シアン達が仮令南宮に辿り着いても、ルヴァランの騎士達の目を掻い潜り、第一皇女や第二皇女の元に辿り着くなど不可能だ。当たり前な事に気が付き、自分の未熟さを思い知る。


連行されるシアン達を横目に、レオンハートは抱き抱えていたアルティリアの向きを変えて、顔を覗き込んだ。


「アルティリア様、もう怖くな……」


その瞳からぼろぼろと雫がこぼれ落ちていた。アルティリアは二歳だ。赤子と言って良い年齢の娘だが、レオンハートがアルティリアの涙を見たのは初めてだった。


「ないない。ないないよ、レン」


大切に大切に扱われていた姫君が、安全だと思っていた皇宮で、侵入者に遭遇するなど。どれほどの恐怖だったのか。


「だいじょぶ、ないない、ちたよ」


そして気が付いたのだ。シアン達が現れてから、ずっと自分の後ろに隠れていた彼女が、突如前に進み出たのはレオンハートを守るためだったと。


「……はい、アルティリア様のお陰で、あいつらはいなくなりました。俺は、レンは、無事です」


小さな体を抱え込むと震えが伝わってくる。アルティリア皇女は二歳だ。突然、見知らぬ男達に囲まれて恐ろしくない訳がない。


この可愛らしい姫君は、シアン・ドゥジエムなどのような小物ではなく、将来、ルヴァランの皇族の一人として、民のために国のために、もっと大きな敵と戦う時が来るかもしれない。


その時もまた、姫君の後ろで護られるなど、二度とあってなるものか。


その時は必ず、アルティリアの前に立つ。

姫君の剣として、盾として。


この事件は、レオンハートの未来を決定付けるものとなった。


シアン・ドゥジエム、以下二名はルヴァラン皇国騎士団不名誉除隊、さらに皇宮への出入り禁止となった。それは実質、貴族として生きる道を閉されたも同然である。


シアンの取り巻き二名の家はその沙汰を粛々と受け、息子を家から除籍し他家に預けた。


しかし、シアンの両親は不服とし、父親は騎士団に所属するジークフリード皇太子に直訴したのだ。自分も騎士で息子も騎士見習いだ、皇太子ならば同情的だろうと考えた。


皇国騎士団定例会議終了を見計らって、議会室に乗り込む。シアンの父は悲壮感漂わせつつ話した。息子は幼く、皇宮で迷ってしまっただけである。決して皇族に仇名す意思はなかった。その一度の過ちで、純粋な年若い貴族の未来を奪って良いものかと。


それに対し皇太子は答えた。


「訓練場から南宮に迷い込むとは、余程、方向感覚が損なっているのだろうな。それでは騎士を目指すのは難しいだろう。それに、南宮までに一切人に出会わないなど、考えられない。“道を尋ねる”という判断も出来ないとは、成人を迎えた16歳という年齢にしては、本当に()()。幼稚過ぎると言っても過言ではないぞ。一体どのような教育を受けてきたのか、親の顔が見てみたいものだな。ああ、いたか」


さらには、突き刺すような視線を向けられ、言い放たれる。


「だが、貴様の息子は運が良い。そこに私が居合わせていたら、その場で切り捨てている」


返す言葉も見付けられず、口を動かすだけの人形と化したシアンの父親の元に駆けつけたのはドゥジエム伯爵であった。


伯爵は息子を殴り付け、頭を掴んだまま這いつくばらせると、自身も床に頭を擦り付けた。


「この者はルヴァランの貴族を騎士道を理解せぬ愚か者です。二度とお目に触れる事はさせません」

「なっ、父上、私は!」

「黙れ。これ以上、ドゥジエムの名を汚すな」


ジークフリード皇太子は「人を育てるとは難しいものなのだな」と独り言のように呟いて議会室から去った。


同じ頃、シアンの母も動いていた。


どこから得た情報か。とある伯爵令嬢宅で開催される茶会に、アルティリアの姉達が訪れると聞きつけ、その茶会に潜り込もうと、伯爵家で一悶着起こしていた。


皇女達に慈悲を乞い、皇室に取りなしを頼もうとしているのだ。当然、門前払いをされた夫人であったが、可愛い息子のために簡単には諦めない。伯爵家を訪れる全ての馬車を止めて、息子の()()()処罰について訴え始めた。


その中の一つの馬車が止まり、黒髪の美しい二人の少女が窓を開け、夫人に尋ねた。


「何処が不当な処罰なのか教えてくださる?」


シアンの母は嬉々として話す。シアンは皇女に恋焦がれ、その情熱に突き動かされただけ。息子は容姿も剣術も優れている麗しい貴公子だ。その息子の気持ちを知ったら、きっと皇女殿下も息子の愛を受け入れるだろうと。


「そんな訳ないでしょう。気持ち悪い」

「ただの性犯罪者ではないの」


少女達は美しい顔を歪ませると、窓をピシャリと閉めて屋敷へと向かっていく。シアンの母は令嬢達の歯に衣着せぬ物言いに、しばし、呆然としていたが、大声で令嬢達を罵り続けた。


そこへ騒動を知った、この伯爵家の夫人が現れ、これ以上の迷惑行為を続けるならば騎士団を呼ぶことになると言い放つ。


シアンの母も負けじと言い返す。


「この私を誰だと思っているの!」

「ドゥジエム伯爵のご子息の奥様でしょう」


それがどうしたと、伯爵夫人は取り合わない。ここでも男爵家出身の自分は、馬鹿にされるのかと悔しさを噛み締めつつも、本当に騎士団を呼ばれては大恥をかくので、シアンの母は伯爵家を後にする事にした。


「一応、お知らせしますが、貴女が先程、罵詈雑言をぶつけていた黒髪のご令嬢はヴィライエ令嬢とセトラ令嬢です」


非常識なシアンの母も、星の名を把握していた。ヴィライエは第二惑星、セトラは第三惑星である。あの無礼な小娘達は第一皇女と第二皇女だったのだ。


皇族にはっきりと拒絶された事実と、自分が不敬を行った事に慌てて伯爵家を後にする。気持ちを落ち着けようと皇都のカフェに寄り、ケーキを三個、焼き菓子を四個ほど楽しみ、ドゥジエム家へと帰宅する頃には、気分も良くなってきた。特に焼き菓子が良かったので、塞ぎ込んでいるシアンを誘って、明日、二人で楽しもう。


ところが屋敷には鬼の形相の義父と鼻と口から血を流す夫が待っていた。


「お前達、親子三名をドゥジエム家から除籍する」


シアンの母がカフェでのんびりティータイムを楽しんでいる間に、伯爵家での暴挙、お忍びで訪れていた皇族への不敬がドゥジエム伯爵の元に知らされていたのだ。


シアンの父と母はなおも過ちを認めない。そもそも処罰は不当だ、きっとダーシエの小倅がシアンに不利な証言をしたに違いないと当主に訴えたが、処罰は妥当だと返される。


「誰の目にも触れず南宮に入り込める者などいない」


警備が緩いと思った通路は囮であった。そこを通過しようとする輩にはすぐ監視の目が付く。シアン達がそこから南宮への敷地に入った時から影に見張られていたのだ。


シアン達の会話もレオンハートとのやり取りも全て皇室は把握している。その内容は当主でもあるドゥジエム伯爵も知らされた。出来るなら、命を持って償わせたい。


処分の決定はドゥジエム家のこれまでの皇室への献身を考慮した結果だった。それを無碍にする事は出来ない。しかしこの愚かな親子は理解していない。


有無を言わさず、親子三人はドゥジエム家から追い出された。


屋敷の外で罵り合う父と母をぼんやりと見つめながらシアンは考える。自分は何を間違ったのか。父と母の言う通りしてきたはずなのに。


皇宮で拘束された際、子爵家と男爵家の息子達はシアンに命令されたと、父がシアンの父の部下だったため自分達は逆らえなかったと訴えた。計画を話した時は戸惑いつつも、将来の役職を約束すれば着いてきたくせに。


またシアンはすぐに解放されると思ったがそんなことはなかった。長時間の取り調べはシアンの精神を削った。仮令失敗したとしても、これほど大ごとになるとは考えもしなかった。尋問官にそう言えば。


「皇族を何だと思っている?お前は両親から何を教わってきたのだ?」


何を?自分は父と母から何を教わった?シアンが天才だと、ドゥジエム家を背負って立つ人間だと教わった。


だがそれは、ドゥジエム家の当主たる祖父に否定された。それに自分はレオンハートどころか、ドゥジエム家の訓練に参加している少年達にも勝てない。やっとシアンは両親の言葉に疑問を持った。


しばらく、両親は言い争っていたが、母の生家に向かう事に話しはまとまったらしい。父の弟である叔父の情けで、母の生家までは馬車で送ってもらえるようだ。


母の生家である男爵家に到着したが、中には入れてもらえない。当主である母方の祖父が不在とのことだ。執事が出てきて、申し訳なさそうに言う。


「当家ではすぐにお部屋の準備が整いません。しばし宿屋にて、お休みくださいませ」


連れて来られたのは、最高級とまではいかないが、裕福な家の人間が利用する、それなりに格式のある宿屋であった。そこで三日ほど過ごしていると男爵である祖父が一人の男を伴ってやってきた。その男は弁護士だという。その弁護士はシアン達に言った。


「単刀直入に言いますと、男爵家は貴方方を援助致しません」


非難の声を上げる父と母に対し、祖父は淡々と理由を説明する。シアンの南宮侵入に関してだけではなく、父の皇太子への振る舞い、母の伯爵家での迷惑行為、そして皇女達への暴言。これらのことを起こした一家を男爵家の一員として迎え入れることは不可能と判断したという。


冷たい、無慈悲だ、無礼だ、恩知らずだと。父と母は喚いているが祖父は意に返さない。ドゥジエムを除籍された二人に力はないと分かっているのだ。弁護士は続けた。


「こちらから提示できるものは次の三つです」


一つ目は神殿に入る。その場合、寄付金を用意してもらえるので、劣悪な場所には入らず、心穏やかに過ごせるだろうと言う。


二つ目は男爵家と一切の関係を断つ代わりに、まとまった生活資金を受け取るというもの。下位貴族としての暮らしなら、半年くらいは維持できる金額であった。


三つ目は、男爵家の紹介で働き口を世話してもらえるというもの。だだし、それは男爵家の一員という肩書きはなく、ただの平民として扱われる。


「お気に召さないというのであれば、選択する必要はありません。男爵家が貴方方を受け入れないということは変わりませんが」


この宿屋の宿泊費も1週間後に打ち切るとのことだ。その後は自分達で支払わなければならない。幸い、ドゥジエム家から服や宝飾品を持ち出すことは出来たので、しばらくは問題ない。しかし、その金品は父と母のものだ。シアンは考える。自分はどうだ、財産と呼べるものは何もない。


「あ……お、俺、働きたい。です」


そう言うと母は甲高い声を挙げる。


「まあ!シアンちゃん。母様のためにお仕事してくれるのね。なんて優しい子なの!」


はしゃぐ母に対し、弁護士は冷静に言った。


「ご子息に援助してもらう場合は、奥様に生活資金はお渡しできませんが、宜しいですかな?」


それに対し、母は再び金切り声を上げたが、弁護士も祖父も取り合わなかった。母は生活資金を受け取りつつ、シアンに養ってもらうつもりだったようだ。


結局、シアンと別れて暮らすことになっても、父と母は少しでも金が欲しかったようで、生活資金を受け取ることにしていた。シアンは失望感を抱きつつも安堵していた。


数日後、迎えに来た男は言った。


「これから先、君はただの“シアン”だ。忘れてはいけない」


それは驚くほど腑に落ちた。

ああ、そうか。俺はただのシアンだったのか。

何の価値もない。ただの人間だった。それを愚かにも勘違いし続けた。


「ほら、これを使いなさい」


何故かハンカチを渡される。気が付くと涙が溢れていた。


自分は惨めで、愚かな負け犬だ。

いや、自分だけではない、父も母も負け犬だ。

ずっとそうだったはずなのに、目を背け続けていたのだ。


その後、シアンと両親が再び出会うことはなかった。

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― 新着の感想 ―
 幼くも他者のために凛として声をはりあげ、恐怖を自分なりに抑えつつレオンハートを安心させようとするアルティリア。  既に上に立つ者としての覚悟と高潔さが、蓮のように少しずつ開きつつあるようですな。 …
かろうじて少年時代に気づけたのは幸いですね。年齢関係なく気づけるひとはいますが、老年期にだときつい。物語の展開に作者さまの優しさを感じます。
こんな幼いのに我らが皇女様は民のために立ち上がれるのか。そして、それを支える臣下達も誇りを持っている。 平民は平民でめちゃくちゃ大変なんだろうけど、こんな国に産まれたかったね。
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