事件編《後編》
*
やっぱりそうだった。テーブルに置かれたお札は佐々木原の芸術作品だった。しかし、2人は初めて見るふりをした。
「これがどうしたんですか?」
まずは金織が先陣を切った。
「佐々木原さん、よく見て。このお札に見覚えない?」
佐々木原は少し戸惑った。これは誘導尋問か? 覚えていると言ってしまったら立場が悪くなる気がする。ここは知らないふりをしておこう。
「い、いいえ。千円札なんていつでも見るし」
「そうよね。お金に見覚えあるかなんて、わかるはずないわ。お札の通し番号を覚えてるなら別だけどね」
うまく金織がフォローしてくれた。
しかし、水咲は首を振る。
「うーん。このお札、新札だから見覚えあるかなって思ったんだけど。佐々木原さん、さっき学食でお金払うとき、新札で払ったかどうか覚えてない?」
確かに、新札で払ったかどうかくらいは覚えていても不思議ではない。問題は、正直に答えていいものかどうかだった。心中は、なるべくこのお札から自分との関係を離したかった。しかし、嘘を言ってその場凌ぎをしても後でややこしいことになるかもしれないので、そこは正直に答えることにした。
「はい、新札だったと思います」
「やっぱり? 覚えててよかった」
直ちに金織は次の芝居に入った。
「でも、このお札がどうかしたんですか?」
「よく見て。それ、千円札じゃないの。そっくりなんだけど」
「ウソー?」
依然、金織は名芝居を続けていた。偽造のお札を手に取ると、まじまじと見つめる。
「えー、わかんないよ。そっくりじゃん。チョー上手だね、これ」
金織は佐々木原にお札を見せた。佐々木原もそれに合わせて驚く。
水咲は背筋をピンと張って偽造紙幣発見の経緯を説明した。
「わたしね、お昼3百円のうどんにしたんだけど、5千円札しか持ってなくてそれで払ったの。お釣4700円もらったんだけど、そのうち2千円がこのお札だったの」
「よくわかりましたね。私だったら気付かないな」
こんな状況でも金織はよく喋る。自分には到底できないことだ。もうこれだけで動揺してしまっている。
「わたしも最初は気付かなかったんだけど、なんか変な違和感があったのよね。それでよく見てみたら、真ん中に夏目漱石が浮かび上がらなかったの。これはニセ札」
水咲は笑顔で断言した。
しかし、謎は依然解決されていない。どうして彼女は私の所へやってきたのか。だが、やはり佐々木原にはその質問ができなかった。何も言えずに黙っていると、親友だから心が通じ合ったのか、その質問は代わりに金織がしてくれた。
「ちょっと待って。ってことはもしかして水咲さんは、ののかがこの千円札を描いたと思ってるんですか? だからあんなこと聞いたんですか?」
水咲は額をかくと、何も答えず笑っている。
「ちょっと、それはひどいんじゃないんですか? ののかも言ってやんなよ」
佐々木原は親友に促されてようやく言いたいことが言えた。
「わ、私じゃないですよ。どうして私だと思ったんですか? 私の名前も知ってたし」
「ごめんなさい、気を悪くさせてしまって。実はこれなんだけど……」
水咲は財布から反り返ったレシートを取り出した。そのレシートはレンタルビデオ店のもので会員ナンバーと佐々木原の名前が記されていた。
「このレシートが2枚のニセ札の間に挟まってたの。レジ待ちしていたとき、わたしの前に並んでいたのはショートカットでメガネをかけている小柄な女性、っていうのは覚えていたの。その記憶を頼りに学食内を捜したら、佐々木原さんに出会ったっていうわけなの」
「それで私だと思ったんですか? なんでそれだけで私がやったことになるんですか? ひどいですよ」
勢いでつい反論してしまった。いや、反論してよかったのである。この発言以降、佐々木原は吹っ切れてきた。
「確かにレシートは私のです。多分お金を払ったときに一緒に出しちゃったと思いますけど、でもお金なんて、どこから流れてくるのかわからないんですよ。私、偽札だと知らずに使ったんですから」
佐々木原の訴えはすぐに水咲に受け入れられた。
「ごめんなさい。ほんとにごめんなさい。そういうつもりじゃなかったの。ちょっと考えが飛躍し過ぎちゃった。佐々木原さんのレシートが挟まっていたからって、犯人扱いするのはよくなかったね。確かに、使ったのは偽造犯自身だとは限らないからね」
佐々木原は張っていた体を曲げ、背もたれに背をつけた。しかし、次の水咲の発言で再び気を張ることになった。
「ただ、1つ気になるのが、このお金すごい綺麗なのよね」
やっぱり嘘をついとけばよかったのか。
「確かに、お金はどこから流れてくるかわからないけど、このお札の状態を見るとね、色んな人の手を渡り歩いてきたように見えないのよね。だって、すごい綺麗なんだもん。なんか今日初めて人の手に触れたみたいな」
今度はそれまで黙っていた金織が口を開いた。
「そんなこと言うってことは、やっぱり水咲さんは、ののかが偽造犯だと思ってるってことじゃん。そんなに簡単に決め付けないで下さい」
「決め付けてなんていないよ。佐々木原さんはニセ札だと知らずに使ったってこと、わたしは信じるから」
水咲は顔を近付けて、佐々木原と金織の顔を交互に見つめた。長いまつげをパチパチさせて腕時計を覗き込む。
「ああ、もうこんな時間か。お話に付き合ってくれてありがとう。それからこのレシート、ちょっとだけ借りてもいい?」
「はい、いいですけど」
「ありがとう」
水咲は立ち上がると椅子を元に戻した。
「疑ったりしてごめんなさい」
水咲は手を合わせてもう一度謝った。そして、笑顔でその場を立ち去ろうとすると、またクルッと振り向いて呟いた。
「そういえば、今日のお昼は大盤振舞いだったんだね」
テーブルの上の綺麗に積み重なった幾つもの食器を見てそう言っているらしい。
「2枚の千円札に佐々木原さんのレシートが挟まっていたってことは、今日のお昼は佐々木原さんのおごりかな?」
「いいえ。各自で食べたい物買いました。ただ、レジが込んでたから、私の分もまとめてののかに払ってもらったんです。自分の分のお金は返しましたよ」
金織は水咲が何を考えてあんなことを聞いたのか察したらしく、機転を利かせて嘘をついた。
「あっ、そういうことか。佐々木原さん、どうして2千円も学食で使ったのかなぁって思って。普通、1人でそんなに学食で使わないじゃん。そういうことね」
それだけ言うと水咲は行ってしまった。
佐々木原と金織はしばらく何も言えなかった。やはり、彼女は今の今まで佐々木原を疑っていたのだ。
3
「やっぱりあの女、ののかのこと、ずーっと疑ってたんだ」
佐々木原自身もそう感じていたことだった。
確かに、レシートがお札の間に挟まっていたのは痛かった。そのおかげで彼女は私に近付いてきたのだ。だけど気になるのが、彼女は何者なのか? ということである。学校の関係者ではなさそうだが、何だか妙に鋭い。そして、仮に犯人を暴いたとして、そのあと一体どうする気なのか。学校に言いつけて自分の株を上げる気なのか。
「『疑ってごめん』なんて言ってたけどさ、あれ絶対ウソね」
「多分ね」
「どうするつもりなんだろう? 学校にチクるのかなぁ?」
せっかくの楽しい空き時間がもう終了しようとしていた。2人は食器を片付けて学食を出ることにした。
次の授業はそれぞれ別々なので、目的の校舎に辿り着くまで、さっきの時間を取り戻すかのように楽しい話を弾ませた。歩いている途中でチャイムが鳴り休憩時間となった。
「じゃあ、また後でね」
金織は手を振って佐々木原と別れた。
佐々木原は自分の教室に入り、席を確保して一息つくと貴重品を持ってロビーの自販機でオレンジジュースを買うことにした。
ロビーには椅子やソファーが何個か置いてあり、灰皿、テレビなどもあってくつろげるようになっている。今は4時限目だからか、そこにいる学生は少なかったが、テレビだけはつけっ放しだった。
「佐々木原さん」
聞き覚えのある声だ。それもそのはず、さっき別れたばかりの声だったからだ。
「は、はい」
つい緊張して返事がどもってしまった。
「なぁーんだ。次の授業同じだったんだ。さっき佐々木原さんが教室入ってきたから、あれ? って思ったんだけど」
水咲は歯並びのいい真っ白な歯を少し見せて人懐っこい笑みを浮かべ、ハイヒールを響かせ近付いてきた。手を後ろに組んでいた為、体のラインが強調されている。佐々木原も思わず目を見張った。到底自分には及ばぬスタイルの良さだ。
佐々木原は水咲を警戒する気持ちはそれほどなかった。自分を疑っているとは思うが、近寄りがたい人間とは思えなかったからだ。
「水咲さんもそうだったんですか」
「うん」
水咲も佐々木原の後に飲料水を買った。彼女はジャスミン茶だった。
「佐々木原さん、可愛いお財布持ってるね」
「これ、今日おろしたてなんです」
「じゃあ、これからお買い物が楽しくなるね」
「そうなんですよ。これ選ぶのに2時間もかかっちゃいました。前のは2つ折り財布だったんですけど、今度はこの長財布にしました。これの方がお金が入れやすいから」
佐々木原の口数は次第に多くなっていった。いつもなら初対面の人間と普通に話すことなどできないのに、水咲は違う雰囲気があった。何だか彼女とは話し易いのだ。
「わたしも長財布だよ。使いやすいよね」
「そうですよね」
2人は肩を並べて教室に入った。
教室の中ほどに座っていた佐々木原の隣りに水咲が移動してきた。
「佐々木原さんて、今やってるアニメって全部見てるの?」
「全部だなんて無理ですよ。面白いのだけです」
「じゃあ、あれ見てる? 『名探偵コナン』」
佐々木原にしてみれば何だか意外だった。まさか彼女の口からアニメのタイトルが出てこようとは。彼女はアニメなんて見ない感じがするのに。やはり、人間見た目で全てを判断してはいけないことをつくづく思い知らされた。
「はい、見てます。あれは面白いですよね。水咲さんも見てるんですか?」
「うん、時々ね。よくね、わたしのサークルでもその話をしている人がいてね、それで見るようになったの」
「そういえば、水咲さんは名探偵研究会の会長ですもんね」
「会長といっても、別にわたしが設立させたわけじゃないんだけどね。以前の会長が学校を卒業しちゃって次の会長を決めるときに、ただ単に4年生がなるんじゃ面白くないから、部員全員で推理クイズをやって、一番早く答えを見つけられた者が会長になることにしたの。そしたらわたしになっちゃって」
佐々木原は思った。果たして、水咲は本当に推理力に長けた人間なのか。それとも、単に周りの部員に推理力がなかっただけなのか。おそらく前者であると思われるが。
「へぇー、そうなんですか。じゃ、あれ知ってますか? 『金田一少年の事件簿』」
「ああ、そうそう、そっちの方が見てる人は多いよ。わたしはほんとに、ごくたまにしか見ないんだけど。だってあれって、1回見逃しちゃうと話がわかんなくなっちゃうんだもん」
「確かに」
やがてチャイムが鳴り、4時限目が始まった。しかし、教授はやってこない。だから、教室はまだうるさかった。
「わたしは倒叙ミステリーが好きなの。犯人が最初に出てくるやつね。『刑事コロンボ』とか……」
「『古畑任三郎』とか?」
佐々木原はすかさず答えた。
「そうそう。よく知ってんじゃん」
「実はわたしも好きなんです」
「そうなんだ。なんか佐々木原さんとは気が合いそうね」
何だかちょっと楽しくなってきた。だから水咲が自分を疑っているとは全然思えなかった。
しばらくすると、水咲はポケットから佐々木原のレシートを取り出す。それを見ると一気に現実に引き戻された。レシートは小さなビニール袋に入っていた。まるで扱いが、現場に残された遺留品のようで大袈裟に見える。
「さっきは勝手に佐々木原さんのレンタルビデオのレシートを見ちゃったけど、借りてたビデオもアニメだったね。やっぱり将来はアニメ関係の仕事なの?」
「はい。自分には無理かなって時々思いますけど、一応アニメーターを目指してます。わたし結構、模写するの得意なんですよ」
「そうなんだ」
しまった、思わず言ってしまった。さっきは水咲に聞かれて答えはあやふやになったはずだったのに、自分で言ってしまっては世話ない。
「じゃあ、どんどん描かないとね」
「は、はい」
変な答え方をしてしまった。動揺しているのは明らかである。
ようやく教授が教室に入ってきた。しかし、教室はすぐには静かにならない。
「ああ、もうお腹すいてきちゃった」
水咲は細いお腹を押さえていた。
「学食ってさ、値段が安い分、味は落ちるよね。多分、うどんとかそばは冷凍だよね。ポテトも味落ちるし」
水咲は声を少し絞って言った。次第に教室は静かになっていったので、佐々木原も声を絞らざるを得なかった。
「そうですね。私もさっき、アメリカンドッグとフライドポテトを初めて食べてみたんだけど、あんまりおいしくなかったな」
「えっ? 今まで食べたことなかったの?」
「はい。お昼にそんなにお金かけたくないから……」
と、そこまで言ったとき、またも佐々木原はハッとした。お昼にお金をかけたくない人間がサイドメニューであるアメリカンドッグとフライドポテトなんて食べるだろうか。それは、お金に余裕があったことを物語っていることにはならないだろうか。
佐々木原は改めて水咲の顔を見た。彼女は笑顔で囁いてきた。
「そうだよね。お金なかったら、なおさらだよね」
どうやら水咲の誘導尋問にまんまと引っ掛かってしまったようだ。彼女はわざと学食の話を振ってきたのだ。
佐々木原はそこに座っているのが気まずくて仕方なかった。
教室は水を打ったように静かではなかった。話し声がちらほらあったので、真面目に授業を受けている学生にはあまりよい環境ではない。教室の後ろにいくほど私語の人口密度が高くなった。
佐々木原は一切私語はせず、黙々と黒板に書かれた文字を書き写していた。しかし、百パーセント授業に集中しているわけではなかった。隣りが気になったからだ。数分おきに横目でチラチラと水咲を確認する。彼女も黙って黒板を書き写しているが、長い髪が邪魔なのか何度も髪をかき上げていた。そして、常に脚を組んで大人の女を漂わせている。
授業が始まって30分を過ぎた頃、佐々木原はふと隣を確認した。机の上には精巧に描かれた2枚のお札が置かれていて、それをじっと見つめている水咲がいた。
一体何をそんなに見ているのだろう。何か気になるところがあるのだろうか。いや、そんなものあるはずがない。それをまじまじ見つめたところで犯人がわかるわけがないのだ。
お札の作成は法で禁じられている。偽造している現場を見られていたら何も言えないが、自分がそのお札を描いたという証拠はどこにも残していない。だから何も恐れることはないのだ。
そんなプラス思考で物事を考えていても、佐々木原は内心ビクビクしていた。自分の描いた偽造物をまじまじと見られるのは気持ちのいいものではない。
あまりに佐々木原は水咲をチラチラ見ていたので、その視線に気付いたのか、水咲と目が合ってしまった。水咲は笑顔で囁いてきた。
「ほんとこれ、上手に描かれてるね。何か手掛かりないかなぁって思って見てるんだけど、全然わかんない」
そりゃ、そうだ。そう簡単にわかってしまっては、初めからそんなに精巧には描かない。
「ただ1つ言えるのは、犯人は模写するのがうまいってことね。ほんと上手」
水咲は独り言のように呟いているが、佐々木原にとっては、わざと自分に聞こえるように声を張っているようにみえた。
「そう思わない?」
急に意見を求められたのですぐに返答できなかった。だから聞いていない振りをした。前を向いて、聞く気もない先生の話に耳を傾けた。
水咲はまた黙って下を向いた。佐々木原は依然前を向いたまま、このまま授業が終わることを祈った。
それからまた30分が過ぎ、授業も残り30分となった。しばらく授業に集中していた佐々木原は久しぶりに隣の様子を窺った。お隣は30分前と変わらなかった。水咲はノートの上に2枚のお札を置き、じっと眺めていた。どうやら何も答えは出ていないようだ。
上から見下ろす視線に気が付いたのか、水咲はこっちを振り向いた。また目が合ってしまった。今度はどんなことを言い出すのだろうか。
「でも、やっぱり納得いかないな」
「何がですか?」
「このお札の真新しさ。なんか学校の外から入ってきた感じがしないのよね。まだ2、3人しか使ってない感じ。絶対に犯人はこの大学の関係者だと思うんだけどな。学生か、先生か」
そして、またまた長考に入ったようだ。いよいよ、私を容疑者として的を絞ってきたように感じられる。あまり気分のよいものではない。
確かに私が彼女の立場なら、お札の状況から見てもまだ誰の手にも渡っていない。だから、お札を使った人物イコール犯人、という図式を描いてしまうだろう。でも、そう簡単に決め付けてしまうことはできない。いくらお札が綺麗だからといって、どうして誰の手にも渡ってきていないと言えるのか。それが証明できない限り、いくらでも反論は可能なのだ。勿論、そのお札に私とレジのおばさんの指紋だけが付いていたことが証明できれば、すぐにでも自供するつもりだが、それは無理な話だろう。
2枚のお札とレシートをじっと見つめている水咲を見ていると、名探偵研究会の会長になれたのは単に他の部員の出来が悪かったからのようにも見える。飛びぬけて水咲の洞察力がよいわけではなさそうに思えてきた。
佐々木原はちょっと安心すると授業に集中することにした。ところが、次の瞬間、水咲は佐々木原の授業への集中を妨げた。
「あっ、わかった」
「えっ?」
水咲は何かを思い付いたように呟いた。彼女は前髪をかき上げ、宙を見上げて何かを考えていると、目線を合わせずに尋ねてきた。
「佐々木原さんは、いつもレシートはとっておく人?」
「はっ?」
どうしてそんなことを聞くの? 何か意味が? その後にその言葉が続きそうだった。
恐らく、佐々木原の表情を見てそう感じたのだろう。水咲は佐々木原の疑問にすぐに答えた。
「ほら、このレシート、1週間前のだから」
なるほど、そういうことか。
「はい、とっておく方ですけど、それが何か?」
「うん、ちょっと気になって。でも、1週間もレシートとっておいてどうするの?」
「何かあるわけじゃないんですけど、一応とっとくんです。2週間経ったら捨てるようにしてます」
「ふぅん。じゃ、もう1ついい? 佐々木原さんは、今日お金を使ったのは学食だけ? 他に高い買い物したとか、バイトのお給料が入ったとか、なかったかな?」
その質問はしっかりと佐々木原の目を見つめて放たれた。
佐々木原は正直に答えることにした。嘘をつくのは肝心なところだけでいい。嘘をつきすぎて、後で辻褄が合わなくなるのは困る。
「はい、学食だけですけど」
「そう……」
佐々木原の答えに満足したのか、水咲はにこりと笑った。
「では、今日はここまでにします」
4時限目も15分を残して終了した。
佐々木原は何だか嫌な予感がしたので、さっさと筆記用具を片付けた。水咲を見ると、彼女はゆっくり片付けていた。どうやらまだ何か考えているらしく手の動きが遅い。
「じゃ、私はこれで」
佐々木原は最後の挨拶をした。
「あっ、じゃあまたね」
水咲は我に返ると、手を振って返事をした。
佐々木原にとっては、水咲と会うのはこれが最後だろうと思っていたのだが、今の水咲の返事はただならぬ予感がした。まだこれで終わりではないかのような振る舞いだ。
佐々木原は決して振り返らずに、速やかにその教室を去った。
第3話 影の芸術品~事件編《後編》【完】