家族との思い出
「ねぇ、話聞いて」「あれやる」
と言うと、決まって母と兄は一定の距離を取っては、
「甘えてる、甘やかしたらあかんで」
と、聞こえる声で母は言うと兄も頷く。
それでも、『愛されている』のは確かだ。
母が不器用なだけで、私が熱を出せば病院に連れて行ってくれてはつきっきりで看病してくれる。
名前だって、愛を皆から沢山恵まれ皆に光を差し伸べる子にと愛光ーまなみーと名付けられた。
だからなのか、私はクラスの子たちといつもワイワイ喋ったりしては一人ぼっちの子には声をかけるようにしている。
ーーー
そんな私も中学3年生。
部活に勉学にも忙しい毎日だが、友達を大事にすることは忘れてはいない。
2年生時は生徒会長を努めた経験もある。
皆が過ごしやすいように、そして文武両道になってくれるようにしたつもりだ。
だが、最近気持ちがソワソワする。
頭もぼーとして、なんだかやる気が起きない。
何故かはわからないが、親に言っても迷惑かけるだけだ。
いつもと変わらず、笑顔でムードーメーカーとして努めていた矢先のことだった。
急に『学校に行きたくない』と考えるようになり、親とは揉め事ばかり。
なぜだろう?自分が嫌になる。
あんなに笑顔だった私は、今でも布団に潜っては涙を流す毎日。
たまに学校に行っては、引きつった笑顔で精一杯。
徐々に周りの友達は離れていく。
バスケ部のリーダーでもあった私は、メニューさえ考えることが出来なくなっていった。
いつしか、リーダー交代されてしまう始末。
なぜだろう、生きることに疲れてしまったのか。
何もかも怖くて仕方なかった。
親兄弟も私とどう接するか迷っていた。
ふと自己嫌悪で潰れそうになる。
ーーー
そんなとき、ある日の土曜日の朝。
母が気晴らしに出かけようと言ってくれた。
ボサボサの髪に部屋着でもいいという母。
どうしたんだろう。
珍しくもこんな姿ででかけるなんて。
だが、着いたのは総合病院。
母のあとを着いていくと、『精神心療内科』と書かれている。
訳がわからなかった。
どうして、こんなところに連れてこられたのか理解できず。
いろんな質問や作業、問題など色々させられた。
結果、『ADHDの二次障害うつ病』と診断された。
信じられなかった。
私は障害には無縁のモノだと思ってたから。
しかし、母は私の行動パターンから慣れないケータイで調べてくれたそう。
私は言葉巧みに話すのが上手ではあるが多動性が強いらしい。
確かに、昔から放すことが大好きで、やりたいことも次から次へと視点が変わることもよくあった。
何故かホッとしたのであろう。
私の目から涙が勝手に溢れてくる。
それを見た母は私を抱きしめては、
「長い間、気づかなくてごめんね。母さん、あなたの事ずっと見守って支えてあげるから」
ーーー
あれから、うつ病だけでも克服するのに数年かかったが、高校からは特別支援学校に通うことに。
皆優しく、中学時代の友達も少しは理解してくれたみたいでたまに遊びに行くことも。
心が軽くなったのは母のおかげだと思ったが、父も兄も私が心配だったらしくネット検索などで色々母に助言してくれていたそう。
勉強はそこそこできたので、私は私みたいな子が少しでも気持ちによりそりたいと今ヘルパーの資格を受験した。
今日がその結果が報告される。
母が朝早くから封筒を持って、満面の笑みで私に差し出したのであった。
今日は家族で出かける日となりそうだーー