第九話 ビッグハンド
『聖オルタンシア王国に第一近衛騎士団有り』と称えられる王国で最も格式高い騎士団にサーシャ・リット・ライメルは所属し副団長の役を務めていた。
女性で、しかも20代での大役の抜擢に団長である彼女の父親の思惑があったと考えるのは難くない。
それでも彼女は激務の中で自分の鍛錬も欠かさずその役目に見合う自分になろうと努力していた。
にも関わらず、父親に結婚を勧められて騎士の任から退くことになった。
忸怩たる想いはあれど、そのまま平凡な結婚生活を送れたのなら彼女はジルベールに付いて来なかっただろう。
しかし彼女の未来は黒く塗りつぶされる。
ジルベール王を支持し、王室の剣術指南役も務めた彼女にマスコミの牙が向いたのだ。
新聞に掲載された根も葉もない作り話の中で淫乱女と書き立てられた彼女を婚約者は軽蔑し、結婚は破談となった。
家名に泥を塗られたことに立腹した彼女の父親は新聞ではなく、彼女の事を非難し、勘当同然の扱いを取った。
挙げ句の果てにジルベールを追い出した後、国王の座に座るダールトンと娘のフランチェスカによる理不尽な粛清対象となり、荒野に放り出された。
失意の彼女が今ここにいるのは彼女の後輩で王妃の護衛騎士を務めていたサリナスが救ってくれたからだ。
彼は熱意の強いジルベール支持者で命尽きるまでジルベールのために剣を取ろうとしていた。
サーシャは彼に感化され、追放されるジルベールに付き従い、現在に至る。
「サーシャ様! カゴがいっぱいになりました!」
10歳くらいの少女が背負ったカゴの中にぎっしりと詰まった果実を見せて嬉しそうに話しかける。
サーシャは大きな口を開いて快活に答える。
「ほぉう! これはこれは大戦果ではないですか!
勲章ものですよ!
では小さい子達の援護をお願いします!
みんなで大勝利を勝ち取りましょう!」
サーシャの激励に喜んだ少女は他の子どもたちの手伝いを始める。
彼女たちはジルベールに付き従い、聖オルタンシア王国から亡命した者たちの子どもたちである。
ディナリスを連れ去った怪鳥を追いかけて船団は同じ陸地にたどり着いた。
ジルベールの捜索はディナリスに任せて、レプラは拠点作りと食糧調達の指示を出した。
その中で子どもたちは森の中に入って果実の類を集める役目を与えられている。
サーシャはその護衛を務めることになり、15人の子供たちが迷子になったり、モンスターに襲われたりしないよう目を光らせている。
子どもたちは言いつけをよく守り、勝手な行動を取らず、モンスターの影も形もなかったので楽な任務だとサーシャは考えていた。
この時までは。
サーシャが異変に気づいたのは太い木の幹に刻まれた巨大な爪痕を見つけた時のことだ。
昨日来た時にはこんなものは付けられていなかった。
ならば、昨夜このあたりまでやってきて、今は————
サッと彼女の顔色が青ざめた瞬間だった。
『GUAAAAAAAAA!!』
地面を揺るがすような雄叫びがサーシャの耳に届いた。
瞬間、両手を振って声の方角に走り出す。
木々の生い茂る森の中で瞬時に最高速に近い速度に加速して走る姿は元第一近衛騎士団副団長の名に相応しく迅速なものだった。
「アレは……ビッグハンド!?」
彼女は子どもたちを嬲るように追いかけ回す熊型のモンスターの姿を見て叫ぶ。
体や頭に対して前足が異様にデカく爪も長く、敵を殺すために特化したような姿をしている。
体長は約三メートル。
槍を持った兵士が10人がかりで狩れるかどうかという強力なモンスターだ。
その爪が逃げ惑う子どもの背中を引き裂かんと振り下ろした瞬間————
「やあああああああっ!!」
ビッグハンドの側面に肩から体当たりをするサーシャ。
見た目の体格では比べものにならないほど小柄な彼女が巨獣をよろめかせ、攻撃を阻止する。
「逃げてくださいな!
ひとかたまりになって!
はぐれぬように!!」
子どもたちに叫んで指示を出すと、抜剣しビッグハンドの脳天目掛けて振り下ろす、が刃を爪で受け止められた。
モンスターと獣の区別をするのに最も使われる指標は人を殺すためだけに備えた能力や気性があるかどうか。
それは本能か、神が与えた恩恵か。
この世界において人間の大敵としてモンスターは存在し、文明発展の根幹には奴等の脅威に集団で立ち向かうという目的があった。
裏を返せば一対一のモンスター討伐というのは危険極まりない行為なのだ。
「ハアッ! でやあっ!!」
「GAAAA!! GWAAAA!!」
サーシャの剣戟を受け止め、桁外れの膂力で押し返すビッグハンド。
彼女は吹き飛ばされながらもヒラリヒラリと身を翻して体勢を崩されない。
「チッ! なかなかお利口さんですねっ!
これなら、どうダァッ!!」
クルクルと剣を手元で回転させると曲線軌道を描く刺突を連続して放つ。
全力を込めた剛力の剣の単調な剣筋では受け止められるだけと判断したからだ。
的確に腕の付け根や膝裏といった弱い箇所を貫かれたビッグハンドは怯む。
獣ならば、恐怖を覚えここで撤退するだろう。
だが、ビッグハンドは人類の大敵、モンスターである。
「FAGAAAAA!!」
刺突が目に突き刺さるのを構わず、ビッグハンドはサーシャにのしかかった。
「ウワアアアアアアアッ!!!」
大きな悲鳴を上げながらサーシャは押し倒された。
ビッグハンドの巨大な手が彼女の腕を押さえつける。
片目を貫かれながらも闘争本能を失わないでサーシャを睨みつける。
「これはしくじりましたね……」
巨岩に挟まれたかのように身動き取れず武器も失ったサーシャは諦めのように呟き、自分の死後に想いを巡らせる。
子どもたちは無事逃げられたでしょうか?
私がやられたとなるとこの辺の採集は避けるんでしょうかね。
バナナやオレンジの木が沢山あって良い狩場だったんですが。
情けないですねぇ……
ジルベール様のご無事を確認する前に死んでしまうなんて。
サリナスにもきっと怒られてしまう。
彼に救われた恩義も果たせていないのに……
ビッグハンドは鋭い牙を剥き出しにしてサーシャの頭にかぶりつこうと首を振り落ろした。
サーシャは目を瞑り、襲いくる激痛と絶命の恐怖に備えた。
……が、牙は降りて来ず不思議に思ったサーシャは目を開ける。
「いっ!?」
ビッグハンドの首の横にナイフが深く突き刺さっており、背中からそれを握りしめている細い腕が回されている。
ジワジワとのけぞらされて、やがて泡を噴きながら後方に大きく倒れたビッグハンド。
その背後に立っていた人物を視認してサーシャは叫んだ。
「ジルベールさま!? よくぞご無事で!!」
「ご無事で、はそっくりそのまま返すぞ」
ジルベールは慌てふためくサーシャを一瞥するが、すぐに視線をビッグハンドに戻す。
ナイフでできる限り首を深く突いたが絶命に至っていない。
右目にサーシャの剣、首にジルベールのナイフが刺さりながらもビッグハンドは果敢にジルベールに襲いかかった。
だが、ジルベールは冷静だった。
爪の攻撃をかわすと、真上に飛び上がりビッグハンドの頭上で宙返りする。
そして頭部に突き刺さった剣とナイフを掴み、刃を押し進めハサミで切るかのように真っ二つにした。
断末魔の悲鳴を上げる事もなくビッグハンドは絶命した。