第七話 狙撃者
腕を斬られた銀髪の猿型のモンスターが泡を食いながら木の上によじ登り、別の木の枝へと飛びのいていく。
自身の腕を落とした憎き相手が未だ地面にいるのを見て「キィキィ!」と嘲るように鳴いた。
「ハッ、人間様相手に舐めた態度取るじゃないか」
木の上の猿を見上げながら怒りを露わにするディナリス。
彼女の身体能力ならば、瞬時に奴との距離を詰め、首を落とすことができる。
だが、そうはしない。
ディナリスにとっては雑魚モンスターを狩ることなど鍛錬のうちにも入らない。
彼女に背を向けて枝から枝へと逃げていく銀色の猿だったが、
「逃がさん!」
立ち並ぶ木の幹を三角蹴りの要領で蹴り上がる小柄な人の影があった。
ジルベールである。
ディナリスから借りたナイフを逆手に持ち、猿の肩口に突き立てる。
「キギャアアアアアッッ!!!」
悲鳴を上げながらも脚でジルベールを蹴落とそうとする猿。
しかし、その蹴りを膝で受け止めると、刺さった刃を勢いよく走らせて袈裟斬りにした。
真っ二つに切り裂かれた猿は無惨に地面に叩き落とされた。
「フゥ……」
ジルベールは片手で木の枝にぶら下がり一息ついた。
ディナリスは上機嫌に拍手しながら呼びかける。
「さすがジル様!
教えたことはすぐできるようになる!
良いセンスしているよ!」
「できなければ死にかねないからな……
この鬼教師め」
二人が怪鳥の巣から出立して四日が経過していた。
山岳地帯を一日で下山したが、すでに三日間森林地帯を彷徨っている。
獣道すらろくにない森の中で行軍速度は著しく落ちている。
その上、モンスターに分類される人間への攻撃性を持った生物が四六時中彼らに襲いかかっていた。
そこでディナリスは安全確保とジルベールの戦闘経験を増やすため、積極的に彼にモンスターを狩らせていた。
地面に降りて来たジルベールは不満げに問いかける。
「ディナリスよ。
俺を荒事から守るためについて来てくれたのではなかったのか?」
「もちろんジル様は私が守るさ。
だけど、私は強い男が好きだ」
そう言って、ジルベールの頬にへばりついた返り血を拭うディナリス。
「美しいから気に入ってたんじゃなかったのか?」
「美しくて強い男になったら最高じゃないか。
あなたは育て甲斐がある。
もちろん、アッチの方もだけれど」
「……言われたとおりにするさ。
元々、剣を振るうのは嫌いじゃない」
照れ隠しでそっけない態度を取るジルベールの腕にしがみつくようにディナリスは腕を回した。
これまでに何度もディナリスの肌を味わっているのに、積極的なスキンシップには戸惑うというウブな一面を見せてしまう。
そんなところもディナリスは愛しんでいた。
有り体に言えば、二人はこの状況を愉しんでいる。
原始の狩猟生活に近い暮らしではあるが、並外れて強い力を持つ二人に狩りは苦にならず、人間の内に秘めた暴力衝動を惜しみなく発散し、その昂りを身体の交わりを持って昇華させていればある意味健全に循環していると言える。
昼下がり————夜行性のモンスターの多い森林地帯において一番安全な時間。
木の幹に手を突いて、尻を突き出すように腰を曲げたディナリスにジルベールは覆い被さりながら呟く。
「お前がいれば何もいらない……」
「おいおい、元国王とは思えないほど謙虚だな」
「それくらいお前に夢中なんだ。
お前に愛され続けるよう努力する。
きっとお前が好いてくれる俺は俺も好きだ」
「ホント……教え甲斐があるなぁ。
甘い言葉囁きながら責め立ててくるなんて。
手取り足取りしてあげたのが昔のことみたいだよ……んっ」
漏れてしまいそうになる声を堪えようと自らの手首を噛むディナリス。
甘い時間に酔いしれようと警戒を緩めようとした、直前だった。
「ん……んっ!? 危ないっ!!」
ディナリスがジルベールを後ろに蹴り飛ばす。
一秒後、天から降って来た矢がジルベールのいた場所に突き刺さった。
衣服の乱れを直しながらジルベールは叫ぶ。
「矢だと!? 人間がいるのか!?」
彼は地面に刺さった矢を引き抜き、その鏃や羽根を確認する。
「これは……なんて業物だ!」
鏃は木製だがとんでもなく比重の重い木だ。
それが木の葉も切れそうなほどに研ぎ澄まされている。
羽根は名の通り鳥の羽を利用しているようだが三枚ある羽根の角度、大きさ全てに乱れなく均一なものとなっている。
「未開の原始人が作れるものじゃないぞ!」
「だろうな!! しかも上空から真垂直に落ちて来たんだ!!
何らかの技に仕上げているってことだ!!」
ディナリスも刃を抜き、神経を研ぎ澄ませる————と、即座にジルベールに近づき彼の頭上を斬り払った。
シャラン、という音色とともに矢が両断され力なく地面に落ちる。
来る方角が分かっている矢を捌くことなどディナリスにとって造作もない。
「小刻みに動いて!
狙いをつけさせるな!」
ジルベールに命令するとディナリスは木の幹を駆け上がり、木の頂上に近い枝を使って高く飛び上がった。
瞬時に視覚を研ぎ澄ませ、弓矢の撃てそうな場所を見渡す、が周囲に特別高い木や高台もない。
(いったいどうやってこっちに狙いをつけた?)
と、ディナリスが疑問を抱くとそれを嘲笑うように弓矢が遥か500メートルは先の森林の中から打ち上げられ、頭上に差し掛かると鏃が下を向き、真垂直に落ちて来た。
「嘘だろうっ!?」
容易く捌くも見たこともない軌道を描く矢に度肝を抜かれる。
(ここから敵の元に走り一気に叩き斬る?
いや、距離があり過ぎる。
それに距離が詰まれば奴の攻撃の精度も上がる。
こんな馬鹿げた曲撃ちができる奴が近距離で下手をこくわけがない。
何より……ジル様を狙われたらひとたまりも無い!)
ディナリスは反撃を捨てて敵の射程から脱出する事を選んだ。
「ジル様っ! 矢は引き受ける!
全力で向こうに逃げろ!!」
ジルベールは返事をする間も無く走り出した。
彼の背中に張り付くように走るディナリスは先程までよりも短い間隔で飛んでくる矢を斬り払う。
「チィッ! 良い腕してるじゃないか!
本気でやり合いたくてウズウズしてくるっ!」
興奮気味に吠えるディナリス。
一方ジルベールには喋る余裕なんてない。
ディナリスが容易く捌いている矢の速度はジルベールではほとんど捉え切れないし、狙いは正確無比。
この森林地帯でしかも五百メートル以上遠くから人間を狙うのは視覚だけでは不可能。
そんな不可能を覆す技巧の矢が自分の喉元に突きつけられているのを感じて震え上がりそうになる。
それでも脚を止めなかったおかげで距離は取れた。
放たれる矢もどんどん狙いが甘くなっていく。
逃げ切れる————と、二人は感じた。ので油断してしまったのだ。
高らかに上がった矢が比較的遅い速度で落ちてくる。
後方に落ちるだろう、とディナリスは捨て置いた。
それがミスだった。
矢は地面に落ちる寸前、生きた鳥のように軌道を変え、地面と並行になったまま、まっすぐジルベールの背中に向かって飛んでいった。
物理法則を完全に無視したその一射を流石のディナリスも止めることはできなかった。
ドッ! と音を立ててジルベールの背負った背嚢ごと彼の身体に突き刺さった。
糸が切れたように無防備に地面に倒れようとするが、
「ジル様ぁっっ!?」
ディナリスがその腰を掴んで、即座に脇に抱えた。
「しっかりしろっ!! クッソおおおおおおおおっ!!」
やけ気味に吠えたディナリスは全速力で走り出す。
左腕にジルベールを抱え、右手に抜き身の剣を持っているというのにその速度はジルベールの全速力を遥かに凌駕し、さらには木の幹を蹴りながら三次元的な軌道で撹乱する。
そんな状態で五分も動けば流石に彼女の息も上がったが、矢も飛んで来なくなった。
「くそッ! 失敗した!
あんな曲撃ちやってくる奴だぞ!
常識外の一手があると想定して然るべきだろう!」
ジルベールをうつ伏せに寝かせた後、ディナリスは自らの頭を何度も殴った。
心を落ち着けた後、あらためてジルベールに刺さった矢を掴むが、
「ん? これは……」
矢は背嚢を貫通し、ジルベールに刺さっている。
だが、背嚢の中で怪鳥の卵にぶつかったらしく、威力が大幅に削られていたようで傷の深さは1センチに満たないものだった。
「…………死んだフリなど、初めてしたが上手くいったかな?」
首を曲げディナリスを見上げたジルベールは悪戯っぽく笑いかける。
「…………フッ」
ズポッ、と勢いよく矢を引き抜くディナリス。
当然、ジルベールは「うぎゃああ!」と声を上げてのたうち回った。
「バカ、バカ、バカ、バーカっっ!!
何が死んだフリだぁっ!!」
「す、すまん……だが、追撃を逃れるにはこれが一番有効だと思ったんだ。
どういう術か分からんが射手にはこちらの姿が見えているようだったし」
「姿が見えている……?」
ジルベールの言葉に首を傾げるディナリス。
鬱蒼とした森林地帯は遮蔽物だらけで遠くからは見えるはずもない。
「見えていないにしては正確すぎる射撃だったろう。
現に俺を仕留めたと思ったから追撃が緩んだ。
あの矢は全部俺を狙っていたんだ」
「だとしたら敵はお伽噺に出てくる魔女の類だな。
遠見の魔法で私たちを見つけて、風の魔法で矢を操ったんだ。
シウネが聞いたら大喜びするぞ。
引っ捕まえて解剖しようとか言い出すかもしれん」
クックック、と声を殺して笑うディナリス。
ジルベールは自身の背中をさすり、背嚢から転がり出た卵を見つめる。
「もっとも、その魔法から身を守ってくれたこの卵もなかなかに奇跡的な代物ではあるがな。
人間の身体より頑強なんてどうなっているんだ」
卵は微かにヒビが入ったが割れてはいない。
ジルベールも思わず顔を引き攣らせた。
ディナリスはジルベールの背嚢に卵を戻してため息を吐く。
「とりあえず今は見えていないにみたいだが確証はない。
チッ……せっかくのデートが不意になっちまったな」
「ああ。だけど————アヒィッ!?」
ディナリスはジルベールの背中の傷を口で吸った。
敏感にもジルベールはくすぐったいような快感に身悶えてしまう。
「ぺっ、毒は無いな。
だったら立ってくれ。
先を急ぐよ」
「ああ……うん………」
ジルベールは何か言いたそうにモジモジとしている。
ディナリスは呆れ返ってため息をついた。
「節操ないなぁ。
続きは当分お預けだ。
あんなヤバい弓使いがいるのに呑気に致していられるか」
「…………うん、そうだな」
がっかりした様子のジルベールは背中を丸めて立ち上がり、足を進めた。