第三話 怪鳥の巣の上で
真っ青な空に白く輝く太陽を薄目で見つめて、ジルベールはため息を吐いた。
「まったく、つくづく俺は神様に嫌われているらしい。
あれほど熱心に帰依していたのにな」
大きな声で独り言を言うも誰にも届かない。
体が動くようになってからはすぐに状況の確認に取り組んだ、が大した事は分からなかった。
ここが雲よりも高い場所にあること。
巣の大きさは直径20メートル程度であること。
そして、巣の縁から見えるのは雲ばかりで何の上にこの巣が建っているのかは不明なこと。
天の国と考えればとりあえず納得できそうだが、置かれている状況は楽園とは言い難い。
ジルベールは監獄に囚われているような気分だった。
ぐぅ〜、腹の音が鳴る。
三食健康的に摂っている生活のせいか一食抜いただけで空腹を感じていた。
とりあえず、と干し草を食み空腹を紛らわす。
だが飲み水はなく、都合よく雨が降るのも期待できないのでいずれ干上がる。
そうなる前に脱出しなくてはならない、とジルベールは考えていたが、目の前には難題が重なっている。
巣の周りの雲に向かって木のかけらを投げてみたが地面に当たる音はしなかった。
中央を掘り進めば接地面に当たるのかもしれないが素手でどうにかできるものではない。
干し草は巣の表層を覆っているだけで、その下は泥や糞が何層も重なってできた漆喰のようになっていた。
「となると、残された手段はあの怪鳥を使うしかないか。
巣に帰ってきた瞬間、奴を殴りつけて躾けて地上に降ろさせる…………フッ」
自らの策の荒唐無稽さに笑いをこぼすジルベール。
だが、それぐらいしか思いつかないし、飢えや渇きで死ぬのを待つよりは賭けてみる価値がある、と気持ちを固めていた。
こういった問題対応に対する決断の速さは国王時代に染み付いたものだろう。
しかも今かかっているのは自分の命だけなのだから、気楽なものだった。
雲海に囲まれた場所でもはるか天空を動く太陽の動きは変わらない。
西の空は太陽が山火事のように燃え広がっていて雲や下の空はオレンジ色に染まり、上空は群青色に沈み込んでいた。
水で溶いた絵の具を塗り広げたような色だけで構成された光景の幻想的な美しさにジルベールは、
「まるで天の国か。
飢えと寒ささえなければ悪くない場所なんだがな」
とため息混じりに呟いた。
陽の光が弱まると急激に気温が落ちた。
ここで夜を明かすのは御免被ると怪鳥の帰巣を待ち焦がれている。
その時、東の空からけたたましい鳴き声を上げて怪鳥が戻ってきた。
ジルベールは呼吸を整える。
(やはりデカイな。
武器を持っていればともかく素手でアレと格闘なんて馬鹿げてる。
ディナリスなら出来るかもしれないが————)
フフッ、と無敵の剣聖が怪鳥の翼を引きちぎる姿を思い浮かべて苦笑するジルベールだったが、その笑みが瞬時に消え去る。
怪鳥は鉤爪で人間を捕まえていた。
刺激してはならないとジルベールはできる限り気配を殺して待った。
怪鳥は巣にたどり着くと人間を掴んだまま着陸した。
その重量に巨大な巣を大きく揺れる。
掴まれていた人間は無事か、と目を凝らすジルベールだったが、
「ディ、ディナリスッ!?」
思わず叫んでしまった。
怪鳥が持ち帰ってきたのは先程の妄想にも登場していたディナリス自身だったからだ。
叫び声に反応して怪鳥は弾かれたようにジルベールに向かって突進してきた。
『GYAAAAAAAAAAAAAAA!!』
耳をつんざくような鳴き声に思わず耳を塞ぎそうになるのをこらえて回避し、倒れているディナリスに駆け寄った。
「ディナリス!! しっかりしろ!!」
冷たくなっている彼女の手を握り、叫ぶが応答はない。
『SHAGYAAAAAAAAAA!!』
怪鳥は雄叫びを上げて羽ばたき、上空に舞い上がる。
そして、真上から二人に目掛けて垂直に落下する。
「この……二度も同じ技をくらうか!」
そう吐き捨ててジルベールはディナリスを抱えたまま横に飛び、怪鳥の体当たりを回避するが、着地の際に巣が揺れて尻もちをついて倒れてしまう。
その隙を逃さんと言わんばかりの機敏さで怪鳥は嘴を突き出してくる。
ジルベールは咄嗟に腕を突き出し、そちらに攻撃を寄せようとする。
腕一本捨てる覚悟をしたが故の反応だったが————
「やめとけ、もったいない」
ドン、とジルベールは突き飛ばされ、巣の縁にまで吹っ飛ばされた。
その時、ようやく彼はディナリスが異様に刃渡りの長い愛剣を持っていることに気づいた。
「運んでくれてご苦労さんだが、用済みだ。
【紫電一閃】」
超高速の抜剣から繰り出される斬撃は真空を作り出し、稲妻のように残光を引く。
怪鳥は首を切断されると同時に足を斬られ、瞬時に絶命して、文字通り崩れ落ちた。
「ディナリス! 無事だったんだな!」
嬉しそうに満面の笑みで彼女に駆け寄るジルベールだったが……
「フンヌっ!」
ゴツン、と頭突きを食らって頭を抱えてうずくまった。
「私が無事ぃ? いつからジル様はそんな心配できるほど強くなりやがったんですかね?」
「す、すまん。身体が冷え切っていてピクリとも動かなかったから……」
「冷えるに決まってるだろう。
このバカ鳥め、こっちの都合なんてお構いなしで高いところ飛びやがって」
苛立ち混じりに怪鳥の死体を蹴るディナリス。
さすがに寒さには勝てないのか二の腕を手でしきりに擦っている。
一方、ジルベールは笑顔で彼女に問いかける。
「私を助けにきてくれたのか」
「ああ。どうやらジル様を捕まえて味をしめたみたいだったな。
ノコノコと同じ船に狩りに来てくれやがった。
まあ、巣に持ち帰ったらすぐに食らうようなせっかちでなくて助かったな。
グチャグチャの食べ残しの死体と再会するのだって覚悟していたんだ」
「そなたが来てくれなければ晩餐になっていた。
ありがとう」
ペコリと頭を下げるジルベールにディナリスはこそばゆいような顔をして、短く「ん」とだけ応えた。