第二十三話 嘘
ジルベールは再び国づくりを始めることとなった。
民の統率者として2000人の生活を成り立たせる仕組みを一から整え始めた。
一つ目は行政機関の設置。
最高責任者である『元首』にジルベールが就任すると、彼を補佐し、行政職のまとめ役を担う『宰相』にレプラを置き、元貴族や商人の中で能力に足るものを各部大臣に任命する。
大臣の中には元第一近衛騎士団副団長のサーシャが『軍部大臣』という治安維持を司る長としてして名を連ねていた。
膨大な知識とずば抜けた頭脳を持つシウネはジルベールの秘書に。
最大戦力であるディナリスはジルベールの護衛役に就けた。
次に行われたのが治安維持の体制作り。
人間同士の諍いにはサーシャが司る軍部の憲兵が当たることにしていたが、この地には強力なモンスターや縄張りを守ろうとする妖精がいることから開拓のためのモンスター駆除と防衛を行う組織『衛士隊』を作る必要があった。
王宮警備隊の出身者などを中心に選りすぐりの武人15名に加えてディナリスに次ぐ剣の腕を持つサリナスをその組織の長に任じた。
もちろん、妖精に対しては不干渉を徹底させていて、あくまで共存共栄という方針を進めている。
民たちには自分たちがより良い暮らしを得られるような努力を求めた。
飢えないように開墾し、食料を供給する。
暮らしを豊かにするためにものを作り、文化を育てる。
年寄りを労り、子どもに教育を授け、未来に悲観しなくて良い国づくりを進める。
当たり前のことを真面目に取り組む。
その心掛けが行き渡っていれば、国と人々は幸せになれるとジルベールは民に言い聞かせた。
民は信望していた王が再び、自分たちのために働き始めてくれたことに感激し、感謝していた。
王都で暮らしていた頃のように、それ以上に豊かな暮らしを得ることがジルベールへの忠誠の証だと彼らは勤勉に自らの仕事に取り組んだ。
順調に、国を作る仕組みについては出来上がっていった。
だが、ジルベールはある問題を解決できていなかった。
「うーーーん……」
「まだ悩んでいるのか?」
その夜、ディナリスはジルベールの家に泊まっていた。
レプラが仕事のために家を空けていたことを聞いていたからだ。
小うるさい小姑がいないのだから好き放題しよう、とディナリスはジルベールを誘うが彼は取り組んでいる難題のせいで気もそぞろだった。
ディナリスはつまらなそうに呟く。
「別に適当で良いんじゃないか?
国の名前だなんて」
「適当にできるワケないだろう。
これから皆が背負うことになる名前だぞ」
ジルベールの悩みとは国名をどうするか、ということだった。
他愛のないことのように思えるが名付けというのはなかなかに難しい。
人は数十年で死ぬが国は何百年と残る事を考えれば、その名は普遍的で文化的で響きが良く、強い意味を持つ。
そういうものであるべきとジルベールは考えている。
「そんなのジルベール王国で良いじゃないか」
「勘弁してくれ。
オルタンシアでは永久に消えることのない汚名だぞ。
もし、将来的に他国と干渉することがあったときに面倒が多い」
「じゃあ、ディナリス・シウネ帝国!
妻の名前をつけるなんてロマンチックな王さまだ! と評判が上がるぞ」
ケラケラと笑いながらディナリスはそう言った。
やれやれ、とため息をついたジルベールは本棚を眺めると、以前にシウネから借りたままになっていた本を見つけた。
旧式聖典————異端とされ禁書扱いされた聖典。
信心ではなく不満や恐怖からの解放を宗教に求める愚か者に都合のいい事ばかり書いてあるもの、というのが一般的な異端の書というものである。
だが、それらとは違う何かがこの書にあるようにジルベールは感じていた。
「参考にしてみるか」
と、ジルベールが本棚の高いところに手を伸ばす。
が、ディナリスに横取りをされてしまう。
「ハッ。じゃあ、私が名付け親になってやる。
今から開いたページにある単語でしっくりくるヤツがここの国名だ!」
悪戯っ子のようにハシャギながらディナリスはパラパラとページを捲り、ここだ! と選んだページに目を落とす。
ジルベールは諦めた様子で出てくる言葉を待つことにした、がなかなかその時が訪れない。
笑いながら眺めるように本を見ていたディナリスはいつしか真剣な表情で食い入るように本に目を近づけている。
「旧字が使われているから読みにくいか?」
助け舟を出そうかとジルベールが彼女の肩に身体を寄せて本の中身に目を落とす。
それから間もなく彼も同じように本の内容に没入した。
『神鳥アルズ————大陸を護る神の御使。
その巨体はドラゴンにも匹敵し、この世の空に舞う鳥の中でもっとも巨大で強い。
100年ごとに卵を産み落とす。
卵は硬くヒトのアタマ程の大きさ。
産卵すると餌のために人間や妖精を生け捕りにし、天空の檻と呼ばれる魔大陸の頂、シクベリー山脈のさらにいと高きところに作りし巣にて閉じ込める』
「ジルベール。
アレはまだ持っていたよな?」
「……ああ。
やはりお前もそう考えるか」
「そりゃあな。
いくらなんでも符号が多い。
私たちと同じ経験をすれば皆そう考えるさ。
船の上からあなたを攫った怪鳥がここに描かれている神鳥アルズだと!」
ジルベールはうなずくと、旧式聖典を高速で読み込み始める。
ディナリスも傍で読もうとしたが集中力が続かず、途中で眠ってしまう。
その後、ジルベールは一晩かけて一通り旧式聖典を読み終えるとディナリスを起こして、共に怪鳥の卵を保管している人物の家に向かった。
その日は朝だというのに雲が厚く日光が差し込まなかった。
シトシトと小雨の降る中、ジルベールはシウネの家の扉をノックした。
「ジルベールさまぁ……おや、ディナリスさんも。
ヒヒヒ、そんなに濡れそぼっちゃって。
ゆうべはおたのしんでいたようですね。
けっこうけっこう————」
ぼんやりした様子のシウネにディナリスが呆れ顔で詰め寄る。
「残念ながらお楽しみはお預けだったよ。
お前がこんなものをジルベールに貸し出すせいでな」
ディナリスはジルベールの持つ旧式聖典を指さす。
シウネは経緯を察すると「どうぞ中へ」と二人を家に入れ、ドアに鍵をかけて、カーテンを閉めた。
「シウネ。そなたはこの本の内容を頭に入れていると言っていたな」
「ええ。自慢ではないですが私は忘れるということができない人間なので。
ページ数から紙の汚れまで鮮明に記憶しております」
「だったら話が早いな。
率直に聞く。
これを私に読ませたのは意図があってのことか?」
詰め寄るようなジルベールの態度に対して飄々とシウネは答える。
「ええ。ディナリスさんに見られちゃったのは予想外でしたが、ジルベール様以外にはこの本の存在すら教えていません。
レプラ様にもね。
……こう言ってはなんですがあまりアドバンテージを取られたくないんですよね。
王都の脱出作戦の時もそうですが彼女は危ういところがあるので」
「レプラが?」
「まあ、その話はまた別の機会に。
ジルベール様が話したいのはそういうことではないでしょう」
焦れたジルベールは単刀直入に自分がこの旧式聖典を読み終えて考えたことを発言する。
「お前は国教会が現在の聖典を採用するにあたって異端の思想や知識が混じる旧式聖典の焚書が行われたと言ったな。
だが、それの真の狙いは天地解明の詔と同じだ。
この書にある通りなら、この地は……人類発祥の地ということになる!」
「そう、解釈しましたか」
「そうとしか思えないくらいこの地と聖典の中に出てくる魔大陸とやらの共通点が多すぎる!
『魔大陸を追われたヒトの子は東の海に進み、新たな営みを始める』
ここは中央大陸から見れば西側。
それに生息する動植物や気候、地形も。
ここに書かれている通りだ。
極めつけは神鳥アルズ。
これは俺を攫ったあの怪鳥と同一のもので間違いない」
シウネはため息を吐き、ジルから目を逸らしディナリスに問う。
「ディナリスさんも読まれましたか?」
「いや、私は途中で眠ってしまって。
だが、神鳥アルズの箇所は読んだぞ」
「ふーむ……ま、そういう事ですよ。
そもそも、この時代の書物は極めて数が少ないんですよね。
印刷技術が未発達だったのもありましたが、紙の質が悪くて保管できていないものが多いです。
ですが、これに使われている紙は極めて上質。
紙と製本の手間賃だけで家が一軒買えてしまうくらい高価だったと推測できます。
すなわち、書かれている情報がそれくらい価値があるって事ですよ。
愚民を煽動するデマを書くには些かもったいなさすぎます」
シウネの返答は旧式聖典の内容を肯定するものだった。
博覧強記の極みであるような彼女がいう事なら自分の素人判断より信用できる、とジルベールは考え、大きくため息を吐いた。
「逃げて逃げて、辿り着いたこの地が人類発祥の地とは。
国教会は認めたくないだろうがな」
「オルタンシアにもたくさん神代の秘跡とか人類最初の建造物とかありますからね。
それらの権威が揺らぐことになりますからねぇ。
私の知る限りですがこの聖典はこの地について書かれている唯一の書物ですよ。
これで得た情報をどう扱うかはジルベール様のよしなに」
ジルベールは少し思案した後に問い返す。
「レプラには伝えない方がいい、よな?」
「この地に導いたのはレプラ様ですよ。
あの方はあなた様に忠誠を誓っては居られますが、すべてを明かしている訳でもないと思いますねぇ」
シウネの言葉にディナリスは無言でうなづく。
信頼はしているが、隠し事をしている相手に対して手の内をすべて見せるわけにはいかない。
ジルベールも同意だった。
「旧式聖典の存在は俺たちだけの秘密にしよう。
但し、ここに書かれている情報は利用させてもらう。
どうやらこの地には俺たちの条理では計り知れないことが多すぎるからな」
と言ってジルベールはシウネに本を返した。
冬が近づき、風に冷たさが混じる朝、行政府は全ての民を海岸近くに作った広場に集めた。
ジルベールは石で作られた演説台に昇り、声を発する。
「皆に知らせる事がある。
我々の国号を制定した」
瞬間、喝采が上がる。
暮らしの基盤ができ、統率者を得て組織としての集団はできつつあったが、やはり自分たちが何者であるかを自覚するには名前が、国号が必要だったのだ。
ジルベールが軽く手を挙げると水が堰き止められたかのように民衆の声は聞こえなくなった。
「発表する!
我らが国の名は『ロランシア共和国』!
国教会の定める聖典の創造記にある、原初の光の名を拝した。
同時にこの大陸の名をロランシア大陸と名づける。
今はまだこの地の端に間借りさせてもらっているような身だが、原初の光が世界を包んだように、我々は邁進し続ける。
この国に生まれ落ちる事が幸せに思えるような国を皆で作っていこう!」
そう宣うジルベールの姿はかつての華奢な少女のような面影は薄れていた。
中性的で端正な顔立ちは健在だが、鋭さと意志の強さを感じさせる顔つきとなり美丈夫という言葉が似合いつつある。
強くて賢く、美しい王に忠誠を誓う事は心の拠り所ともなる。
民衆は憧れと畏敬を以って自分たちの統率者の演説に聴き入った。
演説後、自宅に戻ったジルベールはレプラの淹れたお茶を飲んでいた。
盆を抱えたまま傍らに立つレプラが声をかける。
「すっかり王に返り咲きましたね。
いや、むしろ今の方が王らしくなられたかと思います」
「王ではない。
ロランシアは共和国だ。
今は俺がまとめ役を担っているだけで、相応しい者が現れれば喜んで椅子を明け渡すさ」
「ロランシア……
あえてプレアデス教の神話から名前を取るなんて粋な計らいをしますね」
そう言ってレプラはその場を離れようとした。
だが、ジルベールはカップを置いて呼び止める。
「ロランシア、という名前に聴き覚えはないか?」
レプラは首を傾げ、微笑を堪えたまま、
「なんのことでしょう?」
と答える。
ジルベールは安堵した様子で、ホッとため息を吐く。
「いや、知らないならいいんだ。
せっかく付けた名前が既に使われていたなんて事があったら悔しいからな」
「あはは、ご安心を。
見たことも聞いたこともありませんよ」
笑いながらレプラは台所に消えていった。
瞬間、ジルベールの目が細められた。
(ロランシアなんて見たことも聞いたこともない……ね。
そんなわけはないだろう)
ジルベールの母国、聖オルタンシア王国は群雄割拠の戦国時代を経て、初代王が統一しできた国家である。
その初代王にとって最大の敵とされていたのが大陸西部の雄、ロランシア王国。
オルタンシアにおける歴史教育は国家成立以降が範囲となっており、以前の事はあまり一般的には学ぶ機会がない。
だが、高等教育を受けている者ならばロランシア王国の名は知っていて然るべきなのだ。
ましてレプラのような才女が知らない訳もない。
何故、彼女は知らない、と言ってしまったのか。
ジルベールは確信している。
(旧式聖典にもロランシアの名は出てきた。
だが、それは戦国時代の国の名としてではない。
俺たちが今いるこの大地を『ロランシア』と呼んでいたのだ。
レプラはその事を知っていたからこそ混同してしまった。
正式な教育で得る事ができないはずの知識を隠すために「見たことも聞いたこともない」と嘘を吐いた。
……レプラが俺に嘘を吐いた)
ジルベールにとってレプラの嘘はそれこそ信じがたいものだった。
嘘をつかれた事に傷つきはしたがそれ以上に、どうして自分に嘘を吐いてまで隠さねばならないのかが気になって仕方なかった。
しかし、今は口をつぐむ。
予感がしていたからだ。
その嘘を暴く時、自分とレプラの関係が足下から崩れてしまうという予感が。




