第十九話 謝罪と懇願
ジルベールは自分自身が産み出したこの状況を信じがたく思っていた。
「……俺はこんなに誘惑に脆かったか?」
シウネの栗色の髪を撫でながら、そう呟く。
ベッドのシーツは乱れ、互いの首筋には散らされた花弁のような痣が隠しようがないほど付いている。
彼なりに理と情を以って捻り出した結論としての行為だったが、コトが始まってしまえばケダモノのように彼女を貪っていただけだった。
シウネは「もうダメ」と懇願しながらも終わらせてもらえない快楽の果てに疲れ果てて眠っている。
火照る身体が冷えてきてようやくジルベールは現状と向き合い始めた。
サリナスの言ったとおりだ。
抱いてみてはじめて分かることはあるみたいだ。
素っ裸で他人に見せない顔や声で甘えあう。
こんな親にも見せられない時間を共有しているのだから当然かもしれないが……
強く思ったのは、シウネを誰にも渡したくないということ。
俺以外の男に媚びるのも身を尽くすのも許せない。
そうやって彼女を縛り付けるには、やはり俺が娶るしかないんだろう。
となると……考えなければならないのはディナリスにどう納得してもらうかだ。
だが、俺のやったことは、俺を裏切って傷つけたフランチェスカと何ら変わりない。
ジルベールは頭を抱える。
頭を占めていたモヤモヤが消えたことは喜ばしいが、今度ははらわたにズンとのしかかる様な不安が現れた。
彼のやったことはいくら取り繕おうが浮気である。
ディナリスに愛を誓いながら、他の女性と関係を持ち愛するようになったのだから。
彼は今国王ではなく、後継者を作るという大義名分もない。
結婚制度すらないこの地ではお互いの信頼関係だけが男女の仲を維持する鎖である。
それを損ねる行為だ。
「……後悔はしていない。今はまだ」
ジルベールは自分に言い聞かせるように呟いた。
「……で、どうしたんだ? その格好は」
翌日の夜、ディナリスの元に尋ねたジルベールは顔を見るや否や床に額を擦り付けて謝罪する姿勢を取った。
ディナリスは訝しげな表情をするも腕を組んで彼を見下ろしている。
「……俺は、お前という女がいるのに他の女に惹かれ、抱いてしまった」
振り絞るように声を発するジルベール。
それに対して、
「へえ。ふーーーん……」
小さく繰り返しうなづきながらジルベールを凝視するディナリス。
抑えきれない怒気が声音に現れていた。
「それで、どうしてほしい?
殺されたいか?
相手を殺しにいってほしいか?
それとも————」
「許してくれ! 殴りたいなら俺は死ぬ寸前まで殴っていいが彼女には何もしないでやってくれ!」
「彼女って誰だ? レプラねえさまか?」
「違う! シウネだ!!」
あっさり白状したジルベールだったがディナリスは虚をつかれたような顔をした。
「あー……シウネ、ね。うん……そう……」
少しの間をおいて彼女は冷静さを取り戻し、ジルベールの顎をわし掴みにして語りかける。
「シウネか……たしかにアイツは可愛いもんな。
私の持っていないものをたくさん持っている。
例えば、たわわなおっぱいとか」
「うん————ムグウウウウウウっ!!」
ジルベールがだらしない顔になった瞬間ディナリスに頬を締め上げられた。
「あなたも男だなぁ……いや、男らしくなったと言うべきか」
「ディ、ディナリスもサラシを取ればそこそこあると————ごめんなさい。発言を撤回いたします」
「昨夜は随分、お楽しみだったようで。
私が仕込んでやった技巧でシウネを可愛がってあげたワケだ。
生娘の味は格別だったか?」
「それは……」
ジルベールは思い返す。
たしかに何も知らない無垢なシウネの身体と心は踏まれていない新雪の雪原のような美しさがあった。
それを荒らして、汚して、自分の色に染めていく行為に征服欲は余すことなく満たされた。
だからと言ってディナリスを初めて抱いた夜が色褪せるわけではない。
女の愛し方や愛しさを教えてくれたディナリスの価値が変わることなんてない。
「こんな事をしておいて見下げ果てたかもしれないが、俺はお前の事をちゃんと愛している!
子どもを産んでほしいと言った気持ちは今だって変わっていない!」
「…………浮気男のくせに目だけは汚れないんだな。
タチが悪いよ」
ディナリスは吐き捨てるように言ってジルベールを解放した。
「しかしあなたも愚かだな。
私が浮気に気づかないわけがないだろう。
別の女の匂いが染み付いているから丸わかりだった」
「そうだろうな。
バレずに嘘をついてやり過ごそうだなんて最初から考えていない」
「ほう。ならば殺されるかもしれないのになぜこんなことをした?」
刃物を突きつけられているような緊張感。
それでもジルベールは伝えなければならないと思っていた。
この場で取り繕いや弁明は逆効果。
死ぬにしても自分の意思に殉じたい。
信頼や誠実という言葉を足蹴にした自分のケジメでもあった。
「それくらい、シウネを抱きたかったんだ!
だって、俺が抱かなければアイツはいずれ他の男のものになるか一生独り身だ!
どちらの未来も俺は見たくなかった!
俺は……シウネにもお前にも! 俺だけを愛してほしいんだ!
二人とも俺だけの女であってほしいんだ!!」
ジルベールの叫びはディナリスに大きなため息を吐かせた。
「まさか、ここまであなたが欲望をむき出しにできるとは知らなかった……
ハッキリ言うが、めちゃくちゃ格好悪いぞ」
「分かっている!
だが、保身を考えている場合じゃないからな!
俺はどうしてもお前達を失いたくない!」
品行方正であるがそれ以上に他人のことを幸せにしたいと想うジルベール。
傲慢ではあるが彼なりに愛する二人の女性を幸せにできる男は自分しかいないという結論に至った。
その上で彼が決めたことは、ディナリスへの裏切りを正当化することなくその罰を受けようとすることだった。
「……船の上で言ってくれたな。
私に子を産んでほしいと。
剣の道に明け暮れて男と寝ることを非生産的な遊びと割り切っていた私を普通の女に堕としたんだぞ。
それまで思い描いていた未来を描き換えて、お前とお前の子に囲まれている姿を夢想した。
その時の私の気持ちが分かるか?」
「……喜んでくれていた、と思っている」
ぶつけられた感情に胸を軋ませながらもジルベールはまっすぐ見つめ返して言い放つ。
だからディナリスは余計に腹ただしく思った。
「その喜びを、取り上げるのか!?
若い女に目移りしたという理由で!」
「目移りなどしていない!
俺は今でもお前を愛している!
できるなら今押し倒してそれを証明させてほしい!」
「なっ……!?
あ、頭でも打ったのかっ!?
バカなこと言うのも大概にしろっ!!」
「バカなことだ!
だけど、何の取り繕いもなく全てを開け広げて自分を見せている!
嘘はない!!
本当にお前もシウネも、両方愛したいし幸せにしたいから!
俺のわがままを受け入れてくれっ!!」
深々と頭を下げるジルベール。
彼の生涯においてここまで心を込めた謝罪と懇願はなかったかもしれない。
それほどに必死だった。
「ふうん…………
言いたいことは分かった。
立ちなさい」
ディナリスの指示に従い立ち上がり背筋を正すジルベール————その腹部にディナリスの拳が突き刺さった。
「あっ…………がぁっ————」
激痛と内臓へのショックでジルベールは白眼を剥いて意識を失い、ディナリスに寄りかかった。
「言ったろう。
若い女に目移りしたら、思いっきり殴る、って」
「………………」
彼女の呆れ気味の呟きは届いてはいなかった。




